06話.[ハグぐらい普通]

「サーちゃん!」


 名を呼びながら歩きつつ、自分らしくないこの行為に少しだけ驚いていた。

 いつもなら無駄なことだと切り捨てて、聞かなかったふりをして終わらせるところなのになにをやっているのかと。

 恥ずかしいなんて思わなかった、それどころかもういいと言う雪子に私がまだまだと拒んでいたぐらいで。


「サーちゃんは中々見つからないなあ」


 あ、ちなみに雪子には自宅で待ってもらっている。

 もしかしたら帰ってくるかもしれないし、ふたりで同じ場所を探しても仕方がないからだ。

 通話料金がかからないのをいいことにずっと通話中のまま私は歩いていた。

 行ったことのない細道などを見に行ったりね。

 そうでなくてももう六月だ、雨が降るのが当たり前の時期だから心配になる。

 猫だって体が濡れてしまえば風邪を引くだろうし……。


「にゃ~」

「お、さーちゃん……じゃないな、ねえ」


 写真を見せて知っているかどうか聞いてみたものの、よく分かっていなさそうな顔でどこかへ歩いていってしまう猫。

 

「マジでなにやっているんだろ……」


 いまもし通行人がいたら間違いなく私はやばいやつを見る目で見られると思う。

 猫に話しかけてしまう人間がいたら私でも絶対に見る自信があるからね。

 一時間でも歩けば疲れるもので、休憩になった瞬間にその思いが強くなった。


「にゃ」

「お~、今日はやたらと猫に会うな~」


 猫を探しているから当然なのかもしれないけど。

 やたらと人懐っこい猫で自ら近づいてきてくれた。

 そのまま留まることなく私の足に衝突するような感じでぶつかってくる猫を抱いて止めつつ、サーちゃんはなにをやっているのかなって考えた。


「い、犬子っ」

「わっ!? そうか、通話中だったか」


 改めて聞いてみたら「サクラが帰ってきたわっ」と。

 それは良かった、なにもないままだと虚しかったからサーちゃんは私を救ってくれたということだな。


「にゃ~」

「おーう、ありがとー」


 真っ白体毛の彼と別れて更に少し休憩。

 それからあまり経たない内に暗くなってきたうえに雲行きが怪しくなってきたから帰るために歩き出す。


「犬子っ」

「うん」


 ああ、年相応な顔もするんだなと分かった。


「あっ、そ、そろそろ行かなければならないわよね」

「そうだね、ご飯を作らなくちゃ」


 少し汗もかいたし元子が来る前にお風呂にも入りたい。

 流石に臭うまま会うのは恥ずかしい。

 そうでなくてもイメージが良くないんだからこれ以上悪化しないように気をつけないとね。


「よし、こんな感じかな」


 大体、十九時頃にはご飯作りが完了。


「雪子、お風呂に入ってきてもいい?」

「ええ、行ってらっしゃい」

「ありがとう」


 想像よりも早くサーちゃん探しを終えられて良かった。

 あと、彼女が非常に効率的に作業ができるからというのもあって、想像よりも早い時間からゆっくりできると。


「ふぅ」


 可愛かったな、私はてっきりあの近づいてきてくれた子が実はサーちゃんだった、みたいな展開だと思っていたけど……。


「犬子」

「んー」

「芽生が来たから上がってもらったわ」

「あ、うん、ありがとう」


 まだ十九時半とかなのに早いな。

 じゃあ出るとするか、洗えたんだからそれで十分だし。


「あ、犬子ちゃんっ」

「うん、ようこそ」


 彼女は部活後だというのにいい笑顔で「約束だったからね」と言った。

 しかも普通にいい匂いで、だ。

 人によって違うのはなんでだろう?

 食事の差とか使っているシャンプーなどの差があるのは分かっているけど、部活後もそれを維持できるのはなんでなんだ……。


「ご飯を食べよっか、作っておいたんだ」

「えっ、いいの!? 食べる食べる!」


 母には悪いけどこの状態で待たれても嫌だろうしと勝手に考えて食べてしまうことにした。

 だってふたりだけは食べてよなんて言ったところでふたりは聞かないだろうしと重ねて。


「美味しいっ」

「主に作ってくれたのはそこのお嬢さんですけどね」

「いや、犬子ちゃんも作ってくれたんでしょ? ありがとう!」


 こういうところは好きなところで嫌いなところだ。

 私は本当になにもしていないと言っても過言ではないことしかしていないのにさ。

 これで喜んでいたら馬鹿でしょ。

 それに雪子は元子のことを気にしているはずだ。

 自分がメインで作ったのにそちらばかり褒められたらいい気はしない。


「ごちそうさまでしたっ、すっごく美味しかったっ」

「それは雪子の腕がすごいからだよ」


 洗い物は全てこちらがやらせてもらう。

 でも、そうなるとすぐにふたりの帰る時間がやってきてしまい……。

 今日集まった意味がなんにもないぐらいだった。


「家まで送るよ」

「ありがとう」

「ありがと!」


 家の近さ的に先に元子と別れることになった。

 この子は今日、なんのために来たんだろうか。


「犬子ちゃん、また後で連絡するから」

「うん、分かった」

「それじゃあねっ、雪子ちゃんもまたね!」

「ええ、また会いましょう」


 私としてはもう一度サーちゃんに触れてから帰りたいところだけど……どうだろうか?

 一応、動けたわけだからそれぐらいはさせてくれるだろうか?


「犬子」

「ん?」

「今日は本当にありがとう」

「結局なにもできていないじゃん、サーちゃんが雪子とか家族に会いたかったから戻ってきただけでさ」


 大袈裟なんだよなあ、寧ろなにか要求してきてもいいぐらいだというのにさ。

 でも、類は友を呼ぶって本当なんだろうな、元気も雪子もよく似ているし。


「犬子、サクラに触る?」

「うん、雪子がいいなら」

「私はあおって名前なの」

「お、それはまた可愛らしい名前だね」

「ふふ、名前負けしてしまっているけれどね」


 いやでもいいじゃん、漢字も教えてもらって満足感が高いぞ。

 碧か、なんか綺麗な彼女に似合っていていいと思う。

 少なくとも犬っぽさが微塵もないのに犬子という名前の私よりはマシだ。

 両親はどうしてこんな名前にしたんだろうか……。


「はい、これが本物のサクラよ」

「おお、写真で見るより可愛いねえ」


 逃げられても困るから玄関で触らせてもらった。

 あまり鳴かないタイプなのか、単純に彼女を信用しているのか大人しかった。

 でも、私から明らかに悪い雰囲気が伝わってきていたらきしゃー! ってなる可能性もある。


「家族なの、だからこそいなくなっていて不安になって……」

「でも、こうして帰ってきてくれたんだよね」

「ええ、あなたのおかげよ」


 だけどそろそろ帰らないと。

 母ともゆっくり会話をしたいから仕方がない。


「それじゃあね、今度はサーちゃんが出ていかないようにね」

「ええ、また明日会いましょう」


 あとはまあ元子の相手もしてあげなきゃいけないしね。

 最近の私はそれなりに多忙だった。




「ということがあったんですよ」

「なるほど、案外いいことだったのかもしれないな」


 なんかどっかで聞いたことがある。

 野良猫に写真を見せたら行方不明だった猫が帰ってきた! みたいなことを。

 だからしたというわけじゃないけど、昨日の私にはナイスと褒めてあげてもいいのではないだろうか。


「って、今日も悪いな」

「いいですよ、誰かのために動けることが気持ちいいって分かりましたから」


 母にも褒められたし少しハイテンション気味だ。

 ぼけっともしていられないからこうやって手伝いをしているぐらいが丁度いい。

 間瀬先生の頼みならもっと受け入れたいし。

 

「最近は藤塚とも一緒にいるし、安心できたよ」

「ふじ……?」

「ああ、藤塚碧、それが雪子だ」


 漢字も教えてもらったらどんな偶然かと驚いた。

 同じ◯塚か、ならもっと仲良くした方がいいのでは? 

 幸い、毎時間ちゃんと来てくれるようになったし、一方通行で恥ずかしい思いを味わう、なんてことにはならなさそうだしね。


「よし、これで終わりだな」

「ありがとうございました」

「いや、ありがとな」


 これでもまだ十八時前だ、まだまだゆっくりできる。

 じゃなくて、待たせているから行ってあげないといけない。


「碧」

「もう終わったの?」

「うん、終わったー」


 彼女はこちらにやって来て「お疲れ様」と言ってくれた。

 もう悲しそうな表情は浮かべていないから安心できる。


「雨だね」

「そうね、音が落ち着くわ」

「でも、帰るの面倒くさいね」

「そう? 私は傘をさしながら帰るの嫌いではないけれど」


 まだないけど、例えば相手と手を繋ぎたくなったときなんかにはびしょ濡れになってしまうからだ。

 抱きしめることもそう、相手を求めようとしたらどうしても濡れてしまう。

 屋内ですればいいだろと言われればそれまでだけど、外でさくっと済ませて別れて帰るということがたまには必要だからだ。


「犬子」

「ん? ――はは、いいの? こんなことして」

「ええ、あなたは温かいから」


 そりゃまあ生きていますからね。

 彼女もそう、生きているから温かい。

 でも、それだけじゃない。

 藤塚碧という女の子のことを知ることで単純な暖かさというやつを知ったからだ。

 優しいから一緒にいて安心できる。


「そういえば芽生はどうしてあのとき来たの?」

「さあ? 私も分からないんだよ」

「犬子といたいのね」


 まあ、そうじゃなければこっちに連絡はしてこないだろう。

 碧と遊ぶために利用されているのだとしてもどうでもいい。

 碧と元子が仲良さそうにしてくれていればそれでいいし。


「サーちゃんってあんまり鳴かないんだね」

「ええ、ほとんど聞いたことがないわ」

「はは、いつの間にか側にいてじっと見られてそうだね」

「そういうことは多いわよ、いつの間にか布団で寝ていることもあるぐらいだし」


 もしそうだったら幸せだな。

 朝からあんな癒やしの存在と触れ合えるんだから。

 とはいえ、飼うにはやっぱりそれ相応の覚悟が必要だからいいなあと思っているぐらいが丁度いいんだと思う。

 碧と仲良くするということはそういうチャンスを増やせるということでもあるので、それで満足しておこうと決めた。


「あなたが家族だったらどうなると思う?」

「私はさっさと部屋に引きこもるかな」

「私はそんなあなたにしつこく話しかけると思うわ」

「そうしたら相手はするよ、ちょっと面倒くさそうにだけど」


 元子が家族だったらそれはもう休まる時間はない、かな。

 それか気になる人を見つけてあっという間にそちらばかりに意識を向けるようになるかもしれないし、うん、元子が家族になったら色々と大変そうだった。


「そろそろ帰りましょうか、この後酷くなるみたいだから」

「そうだね」


 間瀬先生の手伝いもした、彼女とも話せた。

 たったそれだけで気持ち良く帰ることができるというものだ。


「わっ!?」


 また残念なところを晒して冷たい地面に倒れそうになったときのことだった、彼女が意外と力強い感じでこちらを抱きとめてくれたのは。


「危ないわよ」

「あ、ありがと」

「大切な友達が倒れそうになったらこうするのが当然よ」


 私だったら助けようとして支えきれずに一緒に倒れそうだ。

 再度お礼を言って今度は注意をしつつ歩き始める。

 

「って、濡れちゃったよね、拭くからじっとしてて」


 彼女の髪や肩辺りを拭いておいた、一度しか使用していないからタオルの方は大丈夫だと思いたい。


「よし、はい、できた――わあ!?」


 傘の範囲内にいなかったら拭いた意味がないじゃないかっ。

 慌てて傾けたものの、あんまり意味はなかった。


「犬子、このままあなたの家に行きましょう」

「それはいいからちゃんとして」

「ええ、分かったわ」


 サクラを探してからずっとこんな調子だ。

 もしかしたら私が少し動いただけでトゥンクとなってしまったのかもしれない。

 いやまあ勝手な想像だけど、以前よりも接触とかが増えたわけだし。


「上がって」

「お邪魔します」

「あとこれで拭いて」

「ええ、ありがとう」


 あと、単純に近いんだ。

 例えば、ここではソファだけど本当に隙間ができないぐらい真隣に座ってくるぐらい。

 教室でもそうだ、声をかけたらゆっくりと近づいてきて抱きしめてくるぐらいだからこちらが一概に悪いというわけではないはずだった。


「碧、もしかして私のこと気に入っているの?」

「そうね、あの学校では唯一の友達だし」

「元子は?」

「あの子のことも好きだけれど、あなたの方がいいわね」


 まあ抱きしめるぐらいだったら同性でも、ライクでもするかと片付けておく。

 というか、変に見てしまうと普通ではいられなくなってしまうから仕方がないということでもあったのだ。

 異性がとか、同性がとか、性別のことはどうでもいいものの、急に現実が変わろうとしすぎると混乱ばかりで追いついていけないからね。

 あくまでもゆっくりであってほしいと思う。


「最近は間瀬先生とよくいるわよね」

「うん、なにかしてほしいことがあったら言ってくださいって言ってあるんだ。任されるのは本当に楽なことばかりだけど」


 それでもやり甲斐があるから良かった。

 あとは単純にありがとうって言ってくれるのが嬉しいから、この先も続けていきたいという気持ちでいる。


「頼みたいことがあるわ」

「なに?」

「今日も一緒にご飯を作りたいの」

「あ、いいよ、碧の効率の良さを真似したいから丁度いいし」


 それで一緒にご飯を作っていた自分だったけど、その間にひとつのことに気づいてしまった。


「ご飯を食べたら帰るんだよね?」

「ええ、泊まらせてもらうわけにはいかないもの」


 そうこれ、雨の中外に出なければならないというあれ。

 彼女のことは大切だから送りはする。

 けど、こういう点でも早く七月になってくれればいいと考える自分と、七月になったら暑くて汗をいっぱいかいて体臭の面で問題になるから秋になってくれと考える自分がいて忙しかった。


「ただいま」

「おかえり」


 母と碧には出来たばかりの物を食べてもらう。

 その間にこちらは制服から着替えて待機することに。


「あ、え? またか」


 それなら食べ終えた碧を送ったついでに迎えに行こうと決めて更に待機。

 それから大体十分ぐらいが経過した頃に碧を連れて家を出た。


「芽生が来るの?」

「うん、だから碧を送ってから迎えに行こうと思ってさ」

「ふふ、それなら気をつけなさいよ」

「ありがと」


 まだ時間は早いけど駅の屋根の下で待っていればすれ違うこともない。

 普通に家で待っていると忘れるかもしれないからこの方がいいだろう、と判断してのことだ。


「元子に言いたいことがあるなら言っておくけど?」

「特にないわ、また明日もよろしく」

「分かった、それじゃあね」


 さて、雨の中わざわざ駅に行こうとしている、そこで待とうとしている自分だけど、


「なにをやっているんだろ」


 別に唐突に元子が言ってきたんだから家で待っていれば良かったのにアホかって感じだった。

 ……最近はいいことが多くて少し調子に乗っていたということが分かって残念な気持ちにもなってしまい……。


「えっ!?」

「ん? あ、元子」


 目当ての人物と会えても気持ちは変わらず。

 

「な、なんでここにっ?」

「待っていただけだよ、ほら、お腹減ったから早く行こ」


 なんで一緒にご飯を食べなかったのかも謎だ。

 ああ、これが変わってしまうことの恐ろしさだと思う。

 なんか色々手つかずというか中途半端になって、後にどうしようもない状態になってしまうんじゃないかという不安がある。


「えっと……なんで?」

「碧を送ったついでに来ただけだよ」

「待って」


 なんだいなんだい、雨なんだから早く帰ろうよ。


「いつの前に本当の名前で呼ぶことになったの?」

「教えてもらえたからそうしているだけだよ、ほら――」

「待ってっ、納得できないよっ」


 サーちゃんの件のこともきちんと説明しておく。

 いつも部活で疲れる~なんて言っているくせにこんな無駄なことで体力を使わなくてもいいのにとしか言えないけど。


「それより小熊先輩とはどうなったの?」

「どうもなってないよっ、仲良くはなれているけど」

「それなら普通に言ってくれればいいじゃん」

「犬子ちゃんのせいだからっ」


 これ以上外にいたくないから彼女の腕を掴んで歩き始める。

 濡れようが構わない、それよりも留まることの方が面倒くさいし無意味なことだから。


「はい、半分あげるから元子も食べて」

「え、それは犬子ちゃんのでしょ」

「いいから、食べながら話そうよ、隠すなんてしないからさ」


 全部の質問にちゃんと答えるから信じてほしい。

 こそこそしているとかそんなのじゃないんだ。

 そりゃ他校で、自分のいないところで行われていることだからそういう風に感じてもおかしくはないのかもしれないけどさ。


「……それなら私も名前で呼んでほしい」

「芽生って呼べばいいの?」

「え、し、知っているの?」

「碧が教えてくれた」


 これも碧と一緒に作ったことを説明、最近はよく抱きしめてくることも説明、普通に仲良くできて嬉しいことも説明。

 全部知られても困るようなことはない、寧ろ疑われることの方が困るから全部吐いてやるつもりだった。


「だ、抱きしめられているの?」

「うん」

「ずるい」


 なんとなく立ち上がって両手を広げてみる。

 最初はこちらを不思議そうな顔で見てきていた彼女ではあったものの、気づいたのかぎゅっと正面から抱きしめてきた。


「ずるいって言うけどさ、芽生はその前から触れてきていたと思うけどね」

「だって仲良くしたかったんだもん」

「その割には碧が来るとそちらにばかりしか相手にしていなかったけどね」


 やっぱり碧が目的だったのかと傷ついたこともあったし。


「はい、これで終わりね」

「えぇ……」

「洗い物をするから」


 別に二股をかけているわけではない。

 外国に行ってそういう文化に触れたからなどと考えておけばいいだろう。

 あっちではハグぐらい普通だしね。

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