天文5  月犯五星1

晋書しんしょ孝武帝こうぶていの時代。


385 年2月、火星が月の裏に回った。「乱が起こり臣下が死ぬ、殺し合う」であるとか「女系の親族が政を恣とし、天下が乱れる」兆しとされた。このとき司馬道子しばどうしが権勢を振るい、皇后のいとこである王国宝おうこくほうが寵を受けていた。更には陳郡ちんぐん人の袁悦えんえつが私党を結成していた。翌年に袁悅は処刑されるのだが、ここから皇帝と臣下の間には溝ができ始めた。後の混乱の兆しが見え始めた、と言える。


386 年12月、月が危宿きしゅくにて水星を隠した。「賊臣が君主を殺さんと図る。また三年以内に内部から悪が現れる」と占われた。間もなくして中原では慕容垂ぼようすい翟遼てきりょう姚萇ようちょう苻登ふとう慕容永ぼようえいが覇を競った。387 年12月に、月が木星のそばをかすめた。占いは上掲のものと同じ答えであった。388 年に翟遼が洛陽らくよう周辺を拠点に割拠。討伐軍が幾度となく立ち上がるも、倒せなかった。慕容氏もまた冀州きしゅうで割拠した。7月にはひでり、8月には水害が起き、また兗州えんしゅうでは蝗害が起きていた。


389 年1月、火星が月の裏側に回り込んだ。「宮中で事件が起こる、ただし賊によるものではない」「乱臣による殺人事件あり」と占われた。そして 394 年9月には孝武帝こうぶていが內殿にて殺害された。386年以降の占断は、みな張氏ちょうしのなした大逆を示していたのである。いっぽう王國寶は邪知の限りを尽くした末、ついにはその罪ゆえに処刑されている。


392 年4月、月が尾宿びしゅくにて木星を覆った。「飢饉が起こり、えんか滅ぶ」兆しとされた。393 年に慕容垂が慕容宝ぼようほう北魏ほくぎを攻撃させるも、却って打ち破られている。このときの死者は数万にも及んだ。そして 394 年に慕容垂は死に、まもなく燕は衰亡している。たぶん2年ズレていることは指摘してはいけないやつである。




孝武太元十二年二月戊寅,熒惑入月。占曰:「有亂臣死,若有相戮者。」一曰:「女親為政,天下亂。」是時琅邪王輔政,王妃從兄王國寶以姻昵受寵。又陳郡人袁悅昧私苟進,交遘主相,扇揚朋黨。十三年,帝殺悅於市。於是主相有隙,亂階興矣。十三年十二月戊子,辰星入月,在危。占曰:「賊臣欲殺主,不出三年,必有內惡。」是後慕容垂、翟遼、姚萇、苻登、慕容永並阻兵爭強。十四年十二月乙未,月犯歲星。占並同上。十五年,翟遼據司兗,眾軍累討弗克,慕容氏又跨略並冀。七月,旱。八月,諸郡大水,兗州又蝗。十八年正月乙酉,熒惑入月。占曰:「憂在宮中,非賊乃盜也。」一曰:「有亂臣,若有戮者。」二十一年九月,帝暴崩內殿,兆庶宣言,夫人張氏潛行大逆。又,王國寶邪狡,卒伏其辜。十九年四月已巳,月奄歲星,在尾。占曰:「為饑,燕國亡。」二十年,慕容垂遣寶伐魏,反為所破,死者數萬人。二十一年,垂死,國遂衰亡。


(晋書12-5)




月犯五星はいわゆる水金火木土の五星を月が覆い隠す、惑星食を指します。辰星、太白、螢惑、歳星、鎮星、がそれぞれの古名ですね。ここでは合わせて北魏における月犯五星も紹介していきます。そこは一緒に見比べたほうが違いが見えて面白そうですので。


しかし何もかもが皇室に結び付けられてますね。ここは「そういう内容の占いだけが書き残された」と考えるのがいいんでしょう。

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