安帝19 415年 伐休之

1 月

晋書

司馬休之しばきゅうし魯宗之ろそうしが結び、劉裕りゅうゆうに反旗を翻した。劉裕は兵を率い討伐に赴いた。大赦がなされた。謝裕しゃゆうが尚書左僕射となった。


十一年春正月,荊州刺史司馬休之、雍州刺史魯宗之並舉兵貳於劉裕,裕帥師討之。庚午,大赦。丁丑,以吏部尚書謝裕爲尚書左僕射。



建康

司馬道賜しばどうし劉敬宣りゅうけいせんを殺害、自立し、齊王せいおうを自称。司馬休之に呼応した。




2 月


晋書

姚興ようこうが死に、姚泓ようおうがあとを継いだ。


二月丁未,姚興死,子泓嗣偽位。



3 月


晋書

司馬蘊しばうんが死んだ。劉裕は江津こうしんで司馬休之を撃破。司馬休之らは襄陽じょうように逃れた。


三月辛巳,淮陵王蘊薨。壬午,劉裕及休之戰于江津,休之敗,奔襄陽。



通鑑

数百からなる盗賊が夜に冶亭やていを襲撃。劉鐘りゅうしょうが平定した。

資治通鑑の姚興死亡のタイミングは、晋書とズレている。このときは姚弼ようひつ誅滅を図るタイミングであったとする。

赫連勃勃かくれんぼつぼつ後秦こうしんを攻撃した。

北涼ほくりょう沮渠蒙遜そきょもうそん西秦せいしんを攻撃した。

司馬順宰しばじゅんさいは勢力を広げ、北魏ほくぎ河內かだい郡に迫った。




4 月


通鑑

北魏の拓跋嗣たくばつし公孫表こうそんひょうらに司馬順宰の討伐を命じた。

拓跋嗣は北方を巡察した。

後秦に人質として送り込まれていた乞伏元基きっぷくげんき長安ちょうあんより西秦に亡命した。




5 月


晋書

彗星が二つあらわれた。司馬休之らは後秦に亡命した。しょく制圧の論功行賞がなされ、劉義隆りゅうぎりゅう彭城ほうじょう公、朱齢石しゅれいせき豐城ほうじょう公となった。霍山かくざんが崩れ、銅鐘六枚が出土した。


五月甲申,彗星二見。甲午,休之、宗之出奔于姚泓。論平蜀功,封劉裕子義隆彭城公,朱齡石豐城公。己酉,霍山崩,出銅鐘六枚。



通鑑

拓跋嗣は大寧だいねいに出た。司馬休之らは後秦や北魏に救援を求めており、後秦の姚成王ようせいおう司馬国璠しばこくはん、北魏の長孫嵩ちょうそんすうなどが向かっていたが、敗報を聞き、引き返した。

赫連勃勃かくれんぼつぼつと沮渠蒙遜が同盟を組んだ。

乞伏熾磐きっぷくしばんが北涼を攻撃した。

拓跋嗣は濡源だげんを経、上谷じょうこく涿鹿たくろく廣寧こうねいを回った。




7 月


晋書

建康けんこうで洪水。太廟たいびょうが壊れた。日蝕があった。


秋七月丙戌,京師大水,壞太廟。辛亥晦,日有蝕之。



通鑑

拓跋嗣が平城へいじょうに帰還した。




8 月


晋書

謝裕が死亡した。劉穆之りゅうぼくしが後釜についた。


八月丁未,尚書左僕射謝裕卒,以尚書右僕射劉穆之爲尚書左僕射。



通鑑

劉裕は建康に帰還した。




9 月


晋書

大赦をなした。


九月己亥,大赦。



通鑑

北魏で霜害や旱魃が起き、多くの民が飢え死んだ。そこで北方の民を南方に移し、農務を奨励した。なお翌年は豊作となったという。

夏が後秦を攻撃。姚弼が撃退した。

姚興の病状が急変。この機を狙って姚弼がクーデターを図ったがすぐさま鎮圧された。姚弼は殺されかけたが、姚泓ようおうのとりなしにより許された。

北魏の星見たちが火星の動きに国難の予兆を見たが、崔浩さいこうは「秦の国難であり、我が国のものではない」と切り捨てた。星見たちが一斉に怒るも、崔浩は笑って取り合わない。しかしまもなく後秦でも旱が起き、それから一年と経たずして滅んだ。人々は崔浩の予見の精妙さに感服した。





10月


通鑑

姚興が拓跋嗣のもとに娘を送り、両者は姻戚となった。




11 月


通鑑

乞伏熾磐が周辺勢力を併呑した。

北燕で反乱が起こったが馮跋ふうばつは速やかに平定、関与者を殺した。

林邑りんゆう交州こうしゅうに攻めてきたが、州將が撃退した。いや名前残しといてあげて……?



(晋書10-19)

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