安帝15 411年 伐盧循

1 月


建康

劉裕りゅうゆう建康けんこうに帰還、大將軍への昇進が諮られるも辞退した。



通鑑

後秦こうしんでは姚興ようこうの息子、姚弼ようひつが権勢を固めるための工作を進めていた。

姚興は西秦せいしんの侵攻を抑え込むべく使者を遣わせた。あわせて国内で賢才を探し出し推挙せよと命じた。臣下が人材枯渇を不安がると、捜索の甘さを指摘した。足りぬ足りぬは努力が足りぬ……。

の南侵に伴い、後秦に仕えていた王買德おうばいとく赫連勃勃かくれんぼつぼつのもとに亡命した。

劉藩りゅうはん孟懐玉もうかいぎょくらが盧循ろじゅんを追い詰めた。




2 月


晋書

劉藩が徐道覆じょどうふく始興しこうで斬り、首を建康にもたらした。


七年春二月壬午,右將軍劉籓斬徐道覆于始興,傳首京師。



通鑑

乞伏乾帰きっぷくけんきは勢力をさらに固めた。

沮渠蒙遜そきょもうそん姑臧こぞうを攻め落とし、そのまま更に南涼なんりょうの都、樂都がくとを包囲したが、攻め落とせなかった。禿髪辱檀とくはつじょくだんは子の禿髪安周とくはつあんしゅうを人質に差し出した。

吐谷渾樹洛干とよくこんじゅらくかんもまた南涼を攻撃した。

禿髪辱檀は沮渠蒙遜にリベンジを図ったが返り討ちにあった。




3 月


通鑑

劉裕は太尉となった。孟昶もうちょうのもと幕僚から謝晦しゃかいを抜擢、採用した。

盧循は孫処そんしょによって攻め落とされていた番禺ばんうに到着、約二十日に渡って包囲した。




4 月


晋書

盧循は交州こうしゅうに逃れたが、そこで交州刺史の杜慧度とけいどに斬られた。


夏四月,盧循走交州,刺史杜慧度斬之。



建康

杜慧度は虚実を操って盧循を翻弄。逃れきれないと悟った盧循は妻子に毒を飲ませた。死をもいとわず付き従うと言い出してきた者たちを見捨て、自らも投水自殺した。杜慧度はその死体を引き上げた上で斬首、首を建康に送った。



通鑑

乞伏乾歸は更に勢力を拡大した。




5 月


通鑑

拓跋嗣たくばつし拓跋珪たくばつけいの墓参りに出た。奚斤けいきんに墓所を守らせた。慕容伯児ぼようはくじが謀反を起こしたため奚斤が平定、誅殺した。




7 月


晋書

劉道規りゅうどうきを征西大將軍、開府儀同三司とした。


秋七月丁卯,以荊州刺史劉道規爲征西大將軍、開府儀同三司。




通鑑

北燕ほくえん馮跋ふうばつが太子の馮永ふうえいに大單于を兼任させた。柔然じゅうぜん斛律こくりつが通婚を求めてきたため、樂浪公主がくろうこうしゅを送り出した。なお馮跋の治世は燕人に広く歓迎されたと言われる。




8 月


通鑑

乞伏乾歸もまた南涼を攻撃した。あわせて後秦にも攻撃した。




10 月


晋書

沮渠蒙遜が西涼せいりょうを攻撃するも返り討ちにあった。


冬十月,沮渠蒙遜伐涼,涼武昭王玄盛與戰,敗之。




11 月


通鑑

乞伏乾歸の後秦攻撃が引続き行われていた。




12 月


通鑑

西羌せいきょう彭利發ほうりはつが乞伏乾歸に反旗を翻した。乞伏乾歸は攻撃を仕掛けたが、攻め落とせなかった。



(晋書10-15_政事)

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