孝武5  386年 上

1 月


晋書

慕容垂ぼようすい中山ちゅうざんで皇帝を自称した。翟遼てきりょう黎陽れいようを襲い、滕恬之とうてんしを捕らえた。孝武帝こうぶていが先帝の陵墓を参拝した。慕容沖ぼようちゅうは臣下の許木末きょぼくまつ長安ちょうあんで殺された。


十一年春正月辛未,慕容垂僭卽皇帝位于中山。壬午,翟遼襲黎陽,執太守滕恬之。乙酉,謁諸陵。慕容沖將許木末殺慕容沖于長安。



建康

冠軍將軍、豫州よしゅう刺史の桓石虔かんせきけんが死亡した。



通鑑

拓跋珪たくばつけいだい王に即位し、登國とうこくと改元した。

姚萇ようちょう安定あんていに出た。

秘宜ひぎ乞伏國仁きっぷくこくじんを攻撃したが、撃退された。

翟真てきしんの親族・翟遼が黎陽に逃れた。滕恬之は翟遼を寵愛した。間もなく黎陽は翟遼に乗っ取られた。朱序しゅじょが翟遼討伐に出た。

王広おうこう毛興もうこうを攻撃したが、大破された。




2 月


建康

金星が昼間、オリオン座の側に現れた。


通鑑

慕容垂は、大赦、改元をなした。

慕容沖が韓延かんえんに殺された。段隨だんずいを燕王に立てた。

前涼ぜんりょうのもと太子・張大豫ちょうだいよ呂光りょこうを攻撃した。

拓跋珪が盛樂せいらくにて農務を推奨する布令を出した。




3 月


晋書

大赦がなされた。太山たいざん張願ちょうがんが翟遼に寝返った。


三月,大赦。太山太守張願以郡叛,降于翟遼。



通鑑

翟遼や張願の謀反を受け、北方鎮撫に当たっていた謝玄しゃげんが謝罪のうえ解職を乞うた。

劉顯りゅうけんが南に亡命した。親族の劉奴真りゅうどしん独孤どっこ部を率い拓跋珪のもとに降伏した。

西燕の段隨は慕容恆ぼようこう慕容永ぼようえいに殺された。慕容桓ぼようかん慕容儁ぼようしゅん・慕容垂の弟)の子、すなわち慕容沖のいとこにあたる慕容顗ぼようがいが後継となり、長安より脱出した。しかし慕容恆の弟の慕容韜ぼようとうが慕容顗を殺害した。慕容恆が慕容永に命じ慕容韜を打ち破ると、慕容韜は慕容恆の元に戻った。その後慕容恆は慕容沖の子の慕容瑤ぼようようを立てたが、慕容永によってみな攻め滅ぼされた。慕容永は慕容泓ぼようおう(慕容沖の兄)の息子の慕容忠ぼようちゅうを帝に立てた。

空になった長安を趙穀ちょうこくらが占拠した。




4 月


晋書

百濟くだら王世子の餘暉よきを使持節、都督、鎮東將軍、百濟王とした。拓跋珪が王を自称した。陸納りくのうを尚書左僕射に、司馬恬しばてんを尚書右僕射とした。


夏四月,以百濟王世子餘暉爲使持節、都督、鎮東將軍、百濟王。代王拓拔圭始改稱魏。癸巳,以尚書僕射陸納爲尚書左僕射,譙王恬爲尚書右僕射。



通鑑

姚萇が長安を攻撃し、獲得した。

毛興が王広に逆襲を掛け打ち破った。更に王統おうとうにも攻撃を仕掛けようとしたが部下に暗殺された。衛平えいへいが毛興の勢力を継承した。

張大豫が呂光に打ち負かされた。

姚萇が長安で皇帝を自称した。

拓跋珪が陵石ちょうせきに移動したとき侯辰こうしん代題だいだいが背き、逃亡。臣下は追撃、撃滅を求めたが「愚か者が勝手に消えたのだ、捨てておけ」と拓跋珪は取り合わなかった。




6 月


晋書

地震があった。楊亮ようりょう山陵さんりょうを守らせた。


六月己卯,地震。庚寅,以前輔國將軍楊亮爲西戎校尉、雍州刺史,鎮衛山陵。



通鑑

桓石民かんせきみん弘農こうのうを獲得した。

慕容永が慕容忠を殺害。西燕の総大将として、慕容垂に称藩を申し出た。

慕容垂が苻定らを降伏させた。

苻丕ふひの元に前秦ぜんしんを慕う諸将が集結した。

姚萇は安定の人間を長安に移住させた。



(晋書9-5_政事)




西燕の謎の存在感よ。資治通鑑の記事を読む感じだと、慕容沖を段随の参謀である韓延が暗殺を計画、許木末に実行させた、という感じなんでしょうかね。逆になんで晋書には許木末の名前が残ったんでしょうね。



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