劉裕96 洛陽奪還詔勅3 

昔周呂佐叡聖之主

因三分之形 把旄仗鉞

一時指麾 皆大啟疆宇 跨州兼國

 昔、周王しゅうおうには周公旦しゅうこうたん太公望たいこうぼうがおり、

 この三者で軍権を分け合っていた。

 そしてひとたび動き出せば、

 三者ともに大きく領土を獲得し、

 こうして周は覇を唱えた。


其在桓文 方茲尤儉

然亦顯被寵章 光錫殊品

 後の世には

 せい桓公かんこうしん文公ぶんこうが覇を唱えるも、

 やはり時の周王より栄誉を得ている。

 

況乃獨絕百代 顧邈前烈者哉

 そこから遙か百代を重ねた後の今、

 先人の例に倣わぬ訳に参ろうか!


朕每弘鑒古訓 思遵令圖

 朕は多くの先例を鑑み、

 そなたの功にどう報いるべきかを

 考えてきた。


以公

深秉沖挹 用闕大禮

天人引領 于茲歷載

 なにぶん、公はこれまでも多くの

 大権を辞退してこられた。

 そのため、国家単位での祭礼でもって、

 公の功績を讃えたことはない。

 天帝もまた、そろそろ公を慶賀したいと

 心待ちにしておられよう。

 

況今

禹迹齊軌 九隩同文

司勳抗策 普天增佇

 況してして今、公は王の残された

 功績の跡をたどり、天下を従えた。

 讃えられるべき功績は

 うずたかく積もり積もっておる。


遂公高挹 大愆國章

三靈眷屬 朕實祗懼

 そう、公はこの国の大いなる過ちを

 正してくださったのだ。

 天地の霊、一門を代表し、

 朕はここに、公への畏敬の念を

 包み隠さず、申し上げたい。


便宜顯答羣望 允崇盛典

其進位相國 總百揆 揚州牧

封十郡為宋公 備九錫之禮

 ならば公も、この辺りで

 人々よりの声に応え、

 より高みにつくのがよろしかろう。

 故に相国として万民を統べ、

 揚州ようしゅう牧となり、

 且つ、豫章よしょう郡より彭城ほうじょう郡を中心とした

 十郡に転封、その地をそう国とし、

 九錫の礼を授けよう。


加璽綬 遠遊冠

位在諸侯王上 加相國綠綟綬

 併せて璽綬 遠遊冠を与える。

 その地位を諸侯諸王のさらに上とし、

 相國の役割を受け取られよ。




昔周、呂佐叡聖之主,因三分之形,把旄仗鉞,一時指麾,皆大啟疆宇,跨州兼國。其在桓、文,方茲尤儉,然亦顯被寵章,光錫殊品。況乃獨絕百代,顧邈前烈者哉!朕每弘鑒古訓,思遵令圖。以公深秉沖挹,用闕大禮,天人引領,于茲歷載。況今禹迹齊軌,九隩同文,司勳抗策,普天增佇。遂公高挹,大愆國章,三靈眷屬,朕實祗懼。便宜顯答羣望,允崇盛典。其進位相國,總百揆,揚州牧,封十郡為宋公,備九錫之禮,加璽綬、遠遊冠,位在諸侯王上,加相國綠綟綬。


(宋書2-29_賞誉)




「王を補佐する偉大な臣下はいつでもいたものだ」という前例を出して一気に現代に飛ぶ。ここで曹操そうそう司馬師しばし司馬昭しばしょうを引き合いに出さないのは、結局その流れが最終的に簒奪に至ったから、なのでしょうね。だからあえて「一気に話が飛んで」みたいな断り書きを付けている。「劉裕様はあくまで晋に仕える偉大な将軍でしかないんだよー!」アピールのこの白々しさときたら!


「方茲尤儉」って言葉には、おそらく桓公文公が周王を差し置いて盟主ヅラしてました、みたいなニュアンスがこもっているんだと思います。つまりそういう態度であっても、最終的な着地点は周王を奉じるところにあったので、まぁオッケー、的な。


なお訳文で「公はこれまでも多くの大権を辞退してこられた」と書きましたが、これは実話です。



義熙元年

・侍中、車騎將軍、都督中外諸軍事

・加錄尚書事(一回目)

・加錄尚書事(二回目)

義熙二年

・侍中,車騎將軍、開府儀同三司


→四年に車騎将軍を受け入れるも、

 劉敬宣りゅうけいせんの征蜀失敗を理由に

 中軍将軍に降下。


義熙五年

・太尉、中書監

義熙六年

・太尉、中書監

義熙七年

・大將軍、揚州牧(一回目)

・大將軍、揚州牧(二回目)


→太尉、中書監を受け入れる。


義熙九年

・太傅、州牧(一回目)

・太傅、州牧(二回目)

義熙十年

・太傅、州牧(三回目)



このときまでにこれだけの昇進諮問を辞退しています。ほかの列伝を見てても昇進諮問ってのは大体三回くらい断ってから受け取るのが通例だった(中にはそんなん構わねーと一回目で受け取る人もいたようですが)ようなので、これ、劉裕ひとりが特別多かったわけでもないんだと思います。ただ、一応実績としては「これだけ辞退に辞退を繰り返してきた、謙譲心あふれる大徳の人」と言えるだけの先例を積み重ねてはきているのですね。


そしてここで語られているのは、全てをすっぱ抜いて言うと「お前はすげーから宋王になってくれ」なのですが、最終的に劉裕、この進爵諮問も辞退しています。茶番と言えば茶番なんですけど、その茶番を繰り返さないと輿望を得られない、というのもまたこの当時の空気感だったんじゃないかな、とも思うんですよね。


何せ劉裕は通説に言う「貴族の協力を得るのに苦労した」の真逆で、「貴族の支持を失わないよう苦労した」が実情だと思うのです。ろくな家門もないやつが一足飛びに二足飛びに昇進するわけにも行かないので、「断っても断っても求められるので、仕方なく」のポーズを延々と演じなければならない。うーん、つらい。


ともあれ、いったんここで詔勅は終了。ただまだまだ続きます。というのもここから先は詔勅ではなく「策」と呼ばれる文書のようなのですね。この両者の違いってなんなんだろ。今度調べておきたい次第。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る