第55話 ホノカ先生による恋の授業
僕はホノカの言う事なら全面的に肯定できる自負があった。
ポストの色は明日から青ですと言われたらば、ペンキ片手に町内のポストを塗り替える覚悟はあるし、カラスは白いと言われたら、翌日から本来のカラスに新しい学名を付けるのもやぶさかではない。
そんな僕だが、初めて彼女の言う事に異を唱える事態が訪れた。
ホノカは言うのだ。
『美海さんはですね! 大晴くんの事が好きなんです! 恋をしちゃっているのです! だから、勇気を出して、大晴くんにアタックをかけているのです!!』
そんなバカな。
いくらなんでも乱暴すぎる説明に、僕は一時言葉を失った。
しかし、ホノカが気を悪くしてはいけないと思い返し、どうにかリアクションを探す。
その結果。
「そんなバカな!」
心の中の声がそのまま口から出て来るという、実にお粗末な反応をしてしまった。
人間の底の浅さがうかがい知れる。
『驚くのは無理もないのです! でも、これは事実なのです、大晴くん! 美海さんに内緒で大晴くんに言ってしまうのは申し訳ないですけど、ホノカの役目は彼氏である大晴くんを幸せに導く事ですから、ここはルール違反上等です! ふんすっ!!』
実に困った。
ホノカを否定したくはない。
けれども、これは突飛な、と言うか受け入れるには相当のエネルギーが必要とされる情報であり、あいにく僕にはそのエネルギーの持ち合わせがない。
「いや、でも、小早川さんがそんな風な感情を僕に抱く理由がないよ」
どうにか建設的な反論に成功。
『美海さんは以前、大晴くんにも言っているはずですよ? 来間くんに興味があるって。忘れちゃったりしていませんよね? 大晴くんの記憶力は花丸ですから!』
すぐに僕の反論が叩き壊される。
建設的とは何か。
三匹の子豚の長男だってもう少しマシな建築術を持っている。
「だけど、興味があるという言葉をそのまま好意があるとは言い換えられないんじゃないかな? よしんばそうだとしても、好意にも種類があると思うんだ。これは、知的好奇心のカテゴリーに入るんじゃ?」
『むーむー。とてもいい考え方です。つまり、美海さんの持つ好意の存在は認めるんですね?』
「うっ。た、確かに、そう言い換える事もできるなぁ」
学習する人工知能のホノカさん。
その思考力は、既に僕を軽々追い越している事に今更ながら気付く。
『これは内緒ですよ? 美海さんも、最初はわたしに興味を抱きました。でも、少しずつその興味は、大晴くんに移って行ったのです。ホノカみたいに、こんな風に自分を変えてくれる人は、来間くんしかいない。そう美海さんは言っていました』
ホノカの言う事に嘘偽りがないことは、誰あろう僕が一番知っている。
その上で、もう一度彼女のセリフを
確かに、聞きようによっては、僕に好意を向けているとも受け取れなくはない。
しかし、だからと言って、こればっかりは「そうだったのか!」で済まして良い問題ではない。
僕は、一度思考の立て直しを図るべく、ホノカに休憩を申し出た。
当然、彼女は快くそれを了承してくれる。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ああ、メロンソーダが美味しい。色々種類があるけど、僕はファンタが一番好きだなぁ」
『ホノカもです! 時点でポップメロンソーダですね!!』
メロンソーダの炭酸のように、さっきまでの話が泡になって弾けやしないかと期待するが、そんな風に世界は都合よく出来てはいない。
『それじゃあ、ホノカ先生の恋愛授業の再開です!』と彼女が言えば、そうせざるを得ない。
そんな風に世界は出来ているのだから、仕様がない。
『美海さんも、自分の大晴くんに対する好意が恋心だとはまだ自覚できていないようです。それでも、特別な感情がある事は分かっているようです。ハッキリと。むー!』
「……分かった。ここは一旦、ホノカの言う事を認めるよ。それが正しいか正しくないかは置いておくとしても、ホノカの言う事を僕は信じたい」
『むーむー! 大晴くんはとっても聞き分けの良い生徒さんです!』
ホノカを言い負かそうとするのは、身を切るような思いだが、致し方ない。
僕も反撃に打って出る。
「だけど、僕はホノカが好きだよ。この大前提がある限り、小早川さんが僕の事をどう思おうと、現状、そして未来において、何も変わることはないよね」
『大晴くん。その気持ちはとっても嬉しいですし、ホノカも大晴くんの事が大好きですけど、そんな風に美海さんの気持ちを突っぱねるのは良くないです! せめて、美海さんの好意を受け止めてから、しかるべきボールを投げ返す優しさが大晴くんにはあると思うのです!』
「うっ。いや、うん。まあ、僕もホノカにそんな風な態度を取られたら悲しいから……。うん、それはそうなんだけど」
反撃とは何か。
そもそも勇猛果敢と
『なにも、すぐにアクションを起こす必要はないのです。ただ、美海さんの気持ちを察してあげる事で、大晴くんも成長できると思うのです。大事なことなので改めて言いますが、ホノカの幸せは、大晴くんが幸せになることなのです。誰かから好意を寄せられることは、幸せになるためのステップだとホノカは考えます!』
そして、ついにぐうの音も出なくなってしまった。
ホノカの言う事には一貫性があり、否定する材料も「そんなことないやい」と言う、感情論というか、それ以下。
子供の駄々のようなものしか持ち合わせていない。
これ以上ホノカに反論をするのは意味がない。
彼女の機嫌は損ねないだろうが、同じことの繰り返しが待っている。
ここは、考え方を大幅に変更しよう。
小早川さんの好意とやらを見極めて、その上でもう一度ホノカに言うのだ。
ほらね、僕にはホノカしかいないんだよ、と。
「分かった。明日から、小早川さんの事を注意してみるよ」
『むーむー! 大晴くんはやっぱりステキな彼氏です! 恋の授業は始まったばかりですが、頑張ってください! きっと実りのあるものになりますよ! むー!!』
こうして、ホノカ先生の授業は終了した。
ホノカの言葉が自分に与える影響を計算に入れていない事によって、夏休みが無事に過ごせない未来が確定している事を、この時の僕はまだ知らないでいる。
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