歩みの先にあるものは

熊坂藤茉

一歩間違えれば駄目だった

 薄ぼんやりとした意識のまま、私は川縁かわべりを歩いていた。何でこんな所を歩いてるんだったかと思い返そうとするものの、じわりと広がる頭痛が頑なにそれを阻む。


「どこの川だろう、ここ……」


 てくてくと歩いていれば、時折石を積んで遊んでいるらしい子供達が目に留まる。「水辺で遊ぶなら保護者同伴じゃないと駄目だぞ」と言いたいところだが、かくいう私も一人でこんな所を歩いているので、あまり人の事は言えないだろう。


「うーん……ゴール地点的なモノでもあれば、歩くモチベも上がるんだけど」


 今はただ闇雲に歩いているだけだ。かといって川縁から高台に足を運ぼうという気持ちにはどうしてもなれない。まるで、そうしてはいけないのだと本能が必死に言い聞かせているかのようだ。


「ぼやーっと霧が掛かってるし、それ抜きにしても殺風景だし。観光地ではない、よねえ……」


 これが温泉の水蒸気だというなら話は別だけれど、硫黄臭さのようなものはないので温泉ではなさそうだ。いよいよもってどこなのかが分からない。


「霧の向こうのクソデカクリーチャーに襲われる小説原作映画あったよなー……」


 つい後味が最悪すぎた昔の映画を思い出す。主人公達が救われ事を願って鑑賞した結果、立ち直れなくなるような終着点を見せられてしまい、今でも大分傷になってる思い出だ。子供犠牲にするサスペンスホラーはやっぱ駄目だって!


* * * * * * * * * *


「――んお? あれ、お客さんかい」

 うんうん考え込みながら歩いていると、櫂を手にして小さな舟に腰掛けたお兄さんを見付けた。今まで視界に映ってたの、子供しかいなかったしなあ。この年齢の人を見るのは初めてだけど――

「ええと……渡し守さん?」

「おうよ。ここにいるって事は、お嬢ちゃんも向こう岸に行くのか?」

 にかっと景気のいい笑顔を見せられ、なんだか少しだけ元気が出る。とはいえこんな霧の中じゃ舟なんて出せないだろうし、そもそも向こう岸は何があるんだろう。

「えー、お嬢ちゃん名前いいかい? 帳簿をちょちょっとアレするからさ」

 ごそごそと舟の中で転がっていたらしい帳簿を引っ張り出したお兄さんが、私の名前を尋ねて来る。渡し舟を使った事はないけど、乗ったお客さんの名前を書いていく物なのかな?

「お疲れ様だな。ある意味ここがゴールだから、後は俺に任せて――うん?」

 ここがゴールだというお兄さんの言葉に首を傾げていると、今度はお兄さんの方が首を傾げてしまっている。帳簿の空きでも足りなくなったとか?

「待て待て今はこの時間で、そんで帳簿の記載がここで……そうなるとこのお嬢ちゃんは、あ、あぁ~~~~~!」

 べらべらと勢いよく帳簿をめくり続けていたお兄さんが、不意に大きく奇声を上げた。何事かと反射的に耳を塞ぐと、お兄さんはがしりと私の腕に掴みかかった。


「えっ、待って何が」

「悪い! ゴールここじゃねえわ!」

「えー!?」


 酷い! やっと虚無散歩終了かと思ったのにこの仕打ちは酷い!

「何でですかさっきゴールって言ったじゃないですか-!」

「事情が事情なんだよ! お嬢ちゃん連れてったら、俺が上にどやされちまう!」

 すまん! と謝り倒すお兄さんだが、その表情はどことなく嬉しそうだ。全く何が嬉しいんだか。

「じゃあ悪いけどお嬢ちゃんは今来た方角に戻ってくれるか? 歩いてる途中で声掛けられたら、進んでる方角からの奴だった時だけそっちに向かってくれ。他の方角から何か聞こえても無視な、無視。いいか、今から絶対こっち向くなよ。そんで元気でな」

 ぐいぐいと私の身体を反転させると、そのまま背中を押される形でもう一度歩き出す。振り向いてお礼を言おうと思ったその瞬間、「こちらを向くな」という彼の言葉が脳裏をよぎった。

「……なんだかよくらからないけど、このままいけばいいんですね? どこに行けばいいか分からないので、取り敢えず進んでみます。お兄さんもお元気で」

「おう、達者でな」

 私達の会話はそこでおしまい。今度は今まで歩いた道を、戻る形で進み出す。

「私のゴールはどこなのかなー……」

 とことこと歩く先は霧で霞んでいる。仕方ないとはいえ、今はただ進むしか手はないのであった。


* * * * * * * * * *


「――――、――――! ――い――! 患者の、患者の意識が戻りました、先生!」


 歩き続けていた筈の私は、そんな声で目を覚ます。目線を動かせば身体は完全にベッドの上。周囲の様子を鑑みるに、ここはどうやら病院のようだ。

「……ええと?」

「ああ、遂に意識を取り戻したんだね! 念の為に名前を確認したいんだけど、大丈夫かい?」

「それは構いませんが……私の名前は――」

 名を告げると、医師らしい人がカルテを指差し確認して頷いている。さて、聞きたい事しかないけどどうしようか。

「君はバスを含んだ玉突き事故に巻き込まれて、三日程意識不明だったんだよ。面会制限していたけど、ご家族はもうじき来るからね」

「事故……」

 つまり今までのは全部夢だったという事か。それにしては砂利を踏む感触も流れる水の音も、霧まみれの空気さえもあまりに生々しく感じて――


「……もしかして、三途の川の船着き場?」


 医師や看護師が一旦退室したのを確認して、ぽつりと誰にも聞こえないような声で呟く。そう考えると石積みをして遊んでいた子達、アレは遊んでたんじゃなくて賽の河原のそれだったのでは。あのまま渡し舟で向こう岸に行っていたら、自分は一体どうなっていたのだろう。


「あの帳簿、渡した相手メモじゃなくて死亡者確認リストかぁー……」


 渡し守のお兄さん、ざっくりした人柄……人でいいのかな……だったけど、雑に確認なしで乗せるとかやらないでくれたのは助かった。まさか目の前の相手が臨死体験真っ只中とは思わなかったろう。


「今度会ったらお礼言わないとだけど、挨拶用に棺桶に菓子折入れてって遺言書いた方がいいのかな」


 人好きのするタイプのお兄さんが次に行くまで渡し守をしているかも問題だけれど、改めてあのゴールまで歩いて行くには、まだまだ時間が掛かりそうだ。


「ま、のんびり終点目指せばいいや」


 小さく笑って伸びひとつ。まずは、三日間動かせずバキバキになった身体を何とかするところからスタートしてみよう――。

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