ブラオフィッシュとテディベア

Planet_Rana

★ブラオフィッシュとテディベア


 ……お客さんか。


 こんな時間に珍しいこともあるもんだな。ああ、気にしないでくれ、これはただの本だ。読書が趣味でね。今は現代推理ものにどっぷりつかっているところさ。


 あぁ、人前なのだから帽子は取らなきゃいけないな。申し訳ない。ここにかけて置いてっと。さて、ご要望は水槽の魚に食事をあげながらでも構わないか? 良い? ありがとう。


 さぁ話を聞く前に、まず、ひとつ。君はこの店が、何をする場所か知っているかな。知っていると。ほう。悪魔や超常現象、人の手に負えない出来事について、相談解決できる場所だと聞いてやってきたというのか。なるほど。それは一体誰から教えて貰ったのかな?


 女の子? 金髪でツインテールの? ……そうかそうか。あっ、もしかしてその女の子、隣にダンディな紳士を連れていなかったか。連れていた。なるほど。じゃあ間違いないか。


 一人で納得して笑顔になるなって。難しいことを言うなあ。君だって、生死不明の顔見知りがお客様とも知り合いだったら驚くだろう?


 ああそうだ。彼女たちとは長い付き合いになる。まあ、生きているとは予想がつくにしても、元気に現役とは思わなかった。良い話が聞けたもんだ。ここ最近で一番の満足だよ。


 ん? 手元に持ってるのは何だって? さっき説明した魚の食事だよ。乾燥オキアミ。お腹が空いたら人間の食料にもなる優れものだぞ。食べる? 食べない。ははは! 悪い悪い。冗談だ。あれ、食べるの? そっか。美味くはないと思うがなぁ。


 ――それじゃあ、相談内容を聞こうか。君は、どんな悩みを抱えているんだ。


 ん? 声が小さくて聞き取れなかった。申し訳ないけどもう一度繰り返してくれるか。うんうん。……なるほどね。今回はそう来たか。ちょっと待っててくれ。俺もそういう案件を多く受けたことがあるわけじゃないからな、マニュアルを探すよ。魚に食事をあげるのが先だけどな。


 んー、ブラオフィッシュちゃんは今日も元気いっぱいだな! よしよし。よーく食べてくれよ! ……青い魚? そうそう。その辺の湖で釣れた奴だがやけに綺麗だろう。鱗が青いからブラオフィッシュって呼んでるだけで、品種なんて調べたこともないんだよなぁ。なんて名前の魚なんだろ。君、分かる? 分かんないかぁ。釣りとかやったことない? ない? そっかぁ。


 あの人が置いて行ったマニュアルは……ははっ。不安そうな目はしないでくれ! 君はその席に座って、のんびり水槽を眺めながら紅茶を飲んでいると良い。


 あった。なるほど。管理室に保管されているんだな……。少し待っていてくれないか? すぐに戻って来る。


 ――お待たせした。君が探していたものはこれかな? 変哲ないテディベアだぞ。多少虫を食っているけども、抱いて眠れない程のものでもない。……抱いて眠るような年齢じゃあないって? 何を言っているんだ君は。世間はぬいぐるみに寛容だぞ。俺だって枕を抱いて眠りたい日がたまにあるくらいだからなぁ。寝心地に関係する寝具には、人それぞれこだわりがあるもんだ。決めつけはよくない。


 で。本題はこのぬいぐるみの使用方法だ。背中の縫い目を切ることなく解いて、綿の中に呪いたい相手の所持品を突っ込んで、元の糸で縫い直す。これだけだ。簡単だろう?


 ……喉から手が出る程欲しいって顔をしてくれるな。俺は悪魔や異形を狩る店に、まさか呪具を求めてやって来る子どもがいるとは思わなかったけれども。まあ、この場所にこれが保管されていたということは、つまりそういうことなんだろうなぁ。


 あっ。駄目だぞ引っ張っちゃ。人形は大切に扱うべきものだ。それに、用途はどうあれ製作者が丹精込めて作ったものだしな。因みに、俺はこのテディベアを差し上げるとも売りますとも言えないんだ。だから、多少手荒でも返してもらわないと困る。ほら、抵抗せずに渡すんだ。こら。


 マニュアルには、善悪問わず人が人を貶めようとするこれ即ち討伐対象である。って書いてあるんだ。対象に人間を含むかどうかは明言を避けているけどな。


 ……? ああ、凄い顔してる。はは、今すぐどうこうしようって訳じゃあない。万が一、この事務所を出た君が、今後誰かを呪う様な事があれば、例えそれがどのような手段であったとしても、っていう――もしもの話だよ。


 聡明な君はそれをしないし、俺はそうだと知っている。口の悪い若者に何が分かるのかって言いたげだけどな、俺は君よりずーっと年上だぞ。多分、君のご両親よりも年を食っている。単に若作りってだけだ。


 人はそれぞれ違う意思を持って動く生き物だが、沢山の人と出会っていくと大体のカテゴリ分けができるようになる――と、思っているだけはタダだ。っていうのが俺の考え方でな。


 自分のアイデンティティを否定されたのか。丹精を込めたものが評価されなかったのか。

 過去の自分を恨んでいるのか。過去の他人に転嫁しようとしているのか。

 現実が憎くてたまらないのか。自分が嫌いでたまらないのか。

 はたまた、他人を害したいと願うのか。生きていることが億劫になったというのか。


 そうやって色々考えはしたんだが、俺は君より長生きだけども残念ながら超能力者ではないんだ。君が良ければ、聞き役にはなれるけれど。どうかな。


 要らない? そっか。おじさん、これでも勇気を出したんだけどなぁ。


 そのぬいぐるみ、本当に持って行くつもりか? 呪いの品っていうのはでまかせで、数日前に小物屋から買ってきたもので、さらに言うと俺の部屋から持ってきたものだって白状しても? ……持って行く? そっかぁ。物好きなんだなぁ君は。


 ――だからぬいぐるみは大切にしよう!? 急に振りかぶるから何かと思えば!! 人形の目は固いんだぞ当たったら痛いだろう!? 投げるな!!


 え? からかったお返しだ? 俺、頑張って策を巡らせただけなのにそんな事ってある? というか、テディベアを投擲の道具にしない!! ぬいぐるみを武器として使っていいのは創作の世界だけだぞ!!


 あっ、逃げるな! 相談料は!? おいてめぇ! 坊主! もう来るなよ!?


 ……………………。


 行ったか。足速いなぁ。とても追いつけそうにないのでテディベアの腕を持って手を振るモーションをしてみるが振り向く気配はない。陸上競技の選手を目指せるんじゃないか?


 事務所の椅子に座り直して、日よけの為につばつき帽子を被る。


 因みに、あの子の依頼内容は、異形殺しになりたい。だった。それは、あまりいい相談ではないだろうさ。


 彼がこの事務所に顔を出すのはこれで5回目だ。相談内容は毎回趣向を変えてくるが、その目的は一貫している。なんて面倒なお客様。


 呪いに対抗する武器が欲しい。人に役立つことがしたい。誰かが困っているから助けたい。


 そのようなことを言うあのお坊ちゃんは、見た目には成人しているが俺から見ればまだまだ子どもだった。それなのにどうして、俺にからかわれると分かっていて事務所へ通いに来るのだろうか。本当に物好きなことだ。だからこそ思い直して欲しい。


 俺のことを採用する時、元社長もあいつも、こういう気分だったんだろうか。何だかそわそわして落ち着かない。……そうだ、電話をしよう。


 いや、なに。気になるあの子の持ち物の中に、少々厄介なものが憑いている形跡があったものだから。俺は長生きという点を除いて非力なので、こういう時は戦闘経験が豊富なできる奴に任せるに限るのである。


 おっと繋がった。よぉ! 元気してるか? 義眼の調子は良いか? ……空が見えない? そりゃ見えねぇだろうよ。ねえんだから。雄鶏? 最近は見てねぇよ。っつうかまだ諦めてなかったのかよあんた。


 ……って、じゃねえや。給料は出ないが仕事だぞ喜べ! ん? ああそうだぞ。最近事務所によく来る、あの子ども絡みの件……目の前にいる? 鞄のストラップが巨大化して襲われている? 助けるか迷ってた? は? 見てないで助けろよこんにゃろ!!


 嘘だろ、まさかさっき事務所に入った事で刺激されたか!? あーっ面倒臭い!! 何でこうなる!? 鍵よし服装よし装備よし血清は持った死霊滅殺銃も持った他にあるかないな出るぞ!!


 ――っやべえ、忘れもの!!






 切羽詰まって呼吸を乱し、髪をまとめる余裕もない。

 目まぐるしくも、日常は続く。


 それでも青年は振り返って錆色の目を細め、壁の水槽に目をかける。


 「いってきます」と。それだけを口にした。





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