第2話

 気がつけば宇宙空間らしきところにいた。紺青の中に星のような光が大小様々無数に浮かんでいる。すぐ近くで瞬いている光に触ろうとして、伸ばしたつもりの自分の手が見えない。自分の体を見下ろしたつもりが、ふわふわと浮かぶ星屑しかない。

「それは星辰せいしんの状態、体のないき出しの精神体だ」

 つめたく硬い男性の声がどこか上の方から降ってくる。

 見上げた(つもりの)空あるいは天井に、やけに明るい星がいくつかあった。十だかのそれは妙に規則的に、直線的に並んでいる。そのうちのひとつが瞬いて大きくなった──近づいてきている。

 眩しいだけだった光は、(体があれば)数歩分離れたあたりで人間の姿になった。声からイメージした通りに大人の男性だ。膝裏に届くほど長い銀髪が流れる水のように揺れる。

「私はホド。お前の名は」

 その瞳は黄昏の色だった。新にとって、見ると死にたくなる色。

『……し、しんなみ、あらた』

 口もないのに、答えようとした言葉が音になって空間の中に響く。ホドという名はどこかで聞いたと思って、先程見たばかりのゲームムービーの王様と同じだと思い出す。姿もまるでアニメを実写にしたようだ。しかしコスプレとか舞台化したかなんて茶化す余裕はなかった。声に、眼差しに、存在感に圧倒されて、押し潰されてしまいそうだった。

 このひとの存在が、言葉が、意志が絶対のものだと感じる。そして同時に今すぐこの人の前から、消えたい。

(……ああ、死にたい)

 死ななければ、という思考であたまのすべてが埋め尽くされる。

(死ななくちゃ、今すぐに)

 そうだ、死ぬべきだ。黄昏のいろを見たのだから。

 からだもないのなら、あとはこのこころだけが消えればいい。強くつよく思ううちに、あたりの景色がぼやけていく。

「はいそこまで~。“お前は”死ななくていいんだよ、つってもわっかんないよなあ……」

 藍川の声がする。四方から自分を小さく押し込めていくようだった圧迫感が、すいと和らぐ。

「……アイン」

 ホドと名乗った男性が、苦さの滲む声で零した。

「今はコイツと話すのが先。コイツ、このままだと本当に消えるぞ」

「……これ以上、星の運行を乱すわけにもいくまい」

 ホドの圧倒的な気配が遠ざかって、どこにも姿が見えなくなってようやく息ができる心地になる。

「さて、と。ざっくり言っちまうと、元々オレもお前もここの人間なんだ」

 藍川の姿はどこにも見えないのに声だけがくっきり届く。

「オレは純ここ産。お前は体は地球産、星辰──つまり魂はここ産」

『……ここ?』

「そう。ここは観測都市かんそくとし。色んな世界を観測する、観測者かんそくしゃたちのコロニー。オレもお前も、その観測者。地球世界は、数多の観測世界かんそくせかいのうちのひとつで──地球的に言うと並行世界?って感じ」

 宇宙人みたいなもん、と雑に纏めた。

「お前──新には本体っつうか……魂の片割れがいて、シンって言う。お前が時々モーレツに死にたくなったのは、そいつのせい。そっちの感情に引っ張られてたから」

『……なんだそれ……』

「すぐには飲み込めねーだろうし、いいんだけど。ただ、そっちのシンが今消えそうで、シンが消えるとお前も消える」

『……べつに、いいんじゃないの』

 消えると言うならそれでいい。消えたい。──死にたい。

 黄昏を見るたびずっと、死にたかった。消えなければならないと思っていた。どうしてなのか理由も分からないまま、そういうものなのだと諦めていたのに。いきなりそれが自分の感情ではないと言われたって、宇宙人だと明かされたって、どうでもいい。新も、シンだかも消えてすべて終わりにできるなら、それでいい。

「……ジェネシス、あるだろ」

 藍川は唐突にゲームの話を振ってくる。いつもと同じだ、と思った。死にたがる新を止めた後、何の気なくゲームや漫画の話を始める時と同じ調子だった。

「あれ、いわゆる前世ってヤツでオレがつくったゲーム。そのジェネシスのモデルにした観測世界があって」

 創世世界そうせいせかいって言うんだけど。淡々と話す藍川の声を、いつもと同じように聞いてしまう。

「そこに逃げ込んだシンが、創世世界ごと自分を消そうとしてる。そこにいるお前の並行存在、連星れんせいな、それもそうなったら死ぬ。連星が消えると、今の弱々しいお前の星も消える。──お前の星辰、魂は消えて、地球での体も死ぬ」

『……なにそれ、ゲームの導入みたいじゃん』

「そう。お前は差し詰め理不尽な巻き込まれ系主人公ってとこ。世界と自分を救え、みたいな。……ゲームでいい、ゲームだと思えばいいから」

 茶化す口調のくせに、荒唐無稽なつくり話だと笑い飛ばせない切実さが潜む声だった。

『藍川は“シン”を、死なせたくない?』

「……お前も、だよ。シンはさ、自業自得みたいな部分もあって。まあ、大体はオレのせいなんだけど」

 はは、と乾いた声で笑う。

 昔、藍川が階段から落ちた新を庇って怪我を負った時にも「ジゴウジトクだから気にすんな」と言って笑っていたことを、急に思い出した。あの時には、言葉の意味を分かっていなかったからだと思っていた。

『……藍川のせい、って、なんで』

 藍川の言うことを信じるなら、新が死にたいのはシンのせいで。シンが死にそうなのは藍川のせい。心を塗り潰す黄昏が、新を苦しめ続けてきた時間が脳裏に過ぎって。からだもないのに、喉がひどく乾く気がする。

「オレがシンの星辰を切り分けて、お前という星辰をつくったから。繰り返すが、お前が死にたがりなのは、お前のせいじゃない。シンのせいで、そもそもの元凶は、オレ」

『は……』

 日毎、年毎にきりきりと張り詰められていく中でかろうじて守ってきた糸を、無遠慮に鋏で断ち切られたようだった。

 つくった。──つくられた。誰が、何が、誰に?

(死にたがる理由も。俺自身も。誰かに、藍川に、つくられたって?)

 黄昏なんかで死にたくなる自分はどこかおかしいのだと、いつも後ろめたさがあった。いつも息がしにくくて、いつも生き辛さを感じていた。

(だから、藍川は俺を助けてた? 何も言わずに?)

 「自業自得」だから。とんだマッチポンプだ。

(ああ、でも)

 ──あの時階段の踊り場で、幼い藍川は。擦り傷で座り込んだ新の横で、頭から血を流して起き上がれないままで、「ジゴウジトク」だと笑ったのだった。

(バカじゃないのか)

 新をそんな風につくったらしいのに自分を傷つけてまで助けてきた藍川も、こんな話を受け入れようとしている新自身も、どっちも救いようのない大馬鹿者だ。

 今、からだがなくてよかったのかもしれない。からだがあったら叫び出して暴れ回って、蹲っていた。

『…………行く。どこでも、なんでもいいから』

 とにかくここを離れられるなら何だっていい。声が震えたのは誤魔化せないが、泣き顔なんかを見せずに済んで、よかった。自分が今どんな顔をするのか、藍川がどんな顔で言ったのか、互いに見えなくてよかった。

『お前の顔、しばらく見たくない。ひとりで考えたい』

「恨み言も、クレームも、後で聞く。殴っていい。ゲームだと思って、気楽にやればいい。だから、シンとお前のこと、助けてやってくれよ」

 願う声があまりに真摯で、バカだな、ともう一度思った。自分でつくった死にたがりの人間を死なせないために、死にそうな声で願うなんて、本当にどうしようもない馬鹿だ。

 「オレも後で行く」と言うのへ「来なくていい」と返して、少しだけおかしくなった。来なくていいと言ったって、自分が来たいなら来る奴だと知っている。

「メム、っていう観測者が、お前の補佐をする。お助けAIみたいなもんだと思って、困ったら何でも訊け。メム、頼んだ」

『私は私の責務を果たすだけです。アインは直ちに峻厳しゅんげんの塔へ出頭するように』

 ベランダで聞いたのと同じ声が響く。少し低めの、少女とも少年ともつかない、やや神経質そうな声だ。

『観測者シンの双星そうせい、アラタの星辰を創世世界に接続します』

(“シン”、か……)

 “シン”はあだ名の他にも各種ゲームのユーザーネームなんかで使っていて、“もう一人の自分”としての名前のつもりだった。

『しんなみあらた? じゃあ、シンな!』

 そう言って笑ったのは十年くらい前、最初に会った頃の藍川だった。“あらた”を呼ぶためのあだ名ではなかったのだと知れると、空しい気分だった。藍川に絡まれることをうざったく思っていたはずだったのに。

(俺を“シン”にするため? “シン”であってほしかったってこと? “シン”のために、俺をつくったって?)

 どうでもいい。どうでもいいと、自分に言い聞かせる。とりあえず藍川の顔も、声も、何も届かない場所へ行くのだから。

 無数の星が尾を引いて、光の中に飲み込まれる。

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