風になりたい!

大月クマ

大空へ!


「風になりたい!」


 それを夢見た男がいた。アンリという青年だ。

 のちに祖国ルーマニアの国防大臣になる父親の意向で軍の学校に入った。軍曹となり、軍の工学学校で研究をしていた時だ。

 新聞を見た。


 ライト兄弟が、動力付き航空機の飛行に成功した。


 遠く新大陸アメリカでの出来事であった。信じられなかった。何せ最有力と言われたフランスの発明家が、墜落し命を落としたという。それが無名な自転車屋の兄弟が成し遂げたというのだ。

 ヨーロッパ中の名のある者達がショックを受けただろう。


 先を越された!


 数年もしないうちに、ライト兄弟はヨーロッパへ現れた。

 そして、自分の機体を彼らの前に見せつけてまわった。

 空を飛び回るライト兄弟の機体。ヨーロッパで、我こそは一番になると意気込んでいた者達は、悔しかっただろう。プライドを傷つけられただろう。怒りを覚えただろう。


 この無名のアメリカ人に、空の飛び方を教わらなければならないなどと……。


「風になりたい!」


 その男――アンリは、祖国ルーマニアにもどり陸軍の軍務に就いた。だが、軍事訓練は彼にはあわなかったようだ。

 彼は請願して軍隊を去ると、風のように自由になりたくて、車を用意した。

 自由に旅をしてユーラシア大陸横断へと洒落込んだ。だが、チベットあたりまでで、その旅は中断する。パリへとって返してしまった。

 理由は出来たばかりの国立航空宇宙大学院大学へ入学したくなったのだ。


「風になりたい!」


 アンリ青年は航空工学科を首席という成績で卒業した。

 卒業後も航空機の作成や空気力学実験を続けた。その中で航空機が飛ぶ原理、揚力がどうして発生するか、空気力学的効果の発見につながった。


「どうしたらもっと飛べるだろうか……」


 彼はいつもそれを考えていた。

 友人のジャンニが作った工房の片隅に陣取り、天井を眺めながらつぶやき続ける。


「もっとというのは、距離ですか? それとも高く?」


 アンリ青年に付いている技師助手のジャンが聞き返す。とはいって、この問答はこのところずっと続いている。


 結論のない問答。


 今の最高傑作と言われる機体でも距離にして数十キロ。高さも数百メートルほどだ。


「まず機体だよ。ジャン。機体の材料……木材と帆布はんぷ。それ以外に何かあるだろうか……」

「いっそうのこと、紙にしますか?」

アルバトロスあほうどり号かい? 僕がロビュールに見えるかい?」


 ふたりが子供の頃に出版されたジュール・ヴェルヌの冒険小説。『征服王ロビュール』のことを思い出した。

 そこに出てきた飛行戦艦アルバトロス号は小説の中では、紙を特殊加工して金属のように強靱でありながら軽い素材だ。

 もちろん、そんな素材は現実に存在しない。


「金属で機体を作るのはどうだろうか? 限りなく薄くする」

「博士が証明した空力に負けませんか? 第一、鉄では……」

「鉄ではないよ。アルミニウムはどうだ。鉄と強度を同じにしようとすると、アルミニウムだけなら重さは半分だと……」


 そういったアンリ青年であったが、途中で気が付いたことがあった。


 アルミニウムは金が掛かる。


 ――資金は父親にねだれば……いや、パトロン援助者のエッフェルやパンルヴェもいい顔をしないだろう。


 まだ量産が始まったばかりの新金属だ。だが、木材や帆布では、やはり強度にも限界がある。スピードを求めるのであれば、強度のある金属は捨てきれないアイデアであった。


「骨組みに使われますか? ニッケルならもう少し軽く出来ると思いますよ」

「そうだねぇ。今は無理かもしれないが、使える場所があるだろう」


 アンリ青年は、素っ気ない返事をする。

 すでに別のことを考えているようだ。


「後は推進力だな。プロペラはダメだ」

「なぜです? 推進力を得るにはプロペラが必要でしょう」

「推進力を得るにはプロペラには限界がある。僕の発見した空気力学的効果の結果から、限界があることを知ってしまったのだよ。

 空気を推進力に使っている以上、プロペラには限界があるということをね」

「どういうことでしょうか?」

「プロペラは……船のスクリューと同じことは解っているだろう。あれと同じで空洞現象キャビテーションのようなことが空気中で起きるんだよ。

 それを解決する方法をわたしは考えた!」

「それがプロペラを使用しない推進力ですか?」

「そう。次の展覧会を楽しみにしていたまえ!」



 ***



 1910年12月――


「最高の航空機。そうですね……」


 勿体ぶった言い方をしながら、アンリ青年は記者の質問に答えようとした。


「もっとも空気抵抗が少ないモノがイイですね。こんな感じのモノですよ」


 と、ポケットから万年筆を取り出して見せた。


「――でも、これでは人が乗せられませんからね」


 周りの取り囲みしている者達と共に笑いを上げていた。

 その中で、助手のジャンは笑えないでいる。

 彼の後ろ……飛行服に身を包んでいるアンリ青年の後ろの機体が正直いって、万年筆に二枚の翼を付けたような機体だ。後部の方向舵ラダー昇降舵エレベータも今までの機体とは違う。垂直水平に備わっているはずのモノが、X字形になっているのだ。

 それよりも驚くべきモノは前部である。


 プロペラがない。


 あるのは、万年筆のキャップのようなモノだ。

 アンリ青年が発明した新型推進機。プロペラが無く、前方から見ると写真機カメラの絞りのようなモノが見える。実はこの絞りの奥に、プロペラが何列も並んでいるのだ。要は圧縮機タービンだ。操縦席コックピットの前にあるエンジンの力でタービンを回し、空気を取り込み燃焼室へ。圧縮し高温になった空気に燃料を吹き付けて、連続して爆発を起こし後方へ。燃焼ガスを推進力とする。

 説明だけでは素晴らしい推進機であろう。


 ただ……


「そろそろお願いします!」

「では、新たな挑戦に行って参ります!」


 アンリ青年は笑顔で、新型機に向かいコックピットに座る。


「どうなっても知りませんよ」

「ジャンくんは心配性だな。任せた前!」


 助手の最後の説得を聞かずに、アンリ青年はエンジンをスタートさせた。4気筒のレシプロエンジンによってタービンが回転し、前方から空気を取り込みはじめた。


「やはり少々暑いな……」


 熱風が前方から襲ってくる。圧縮した空気に燃料を吹き付け、爆発させているのだ。その力を推進力にしている。それがコックピットの前にあるのだから、熱風をまともに食らう。

 耐えきれなくなって、助手のジャンは機体から離れた。

 一応、コックピットにはマホガニー製の防熱板が貼ってあるが、それが黒く焦げはじめている。


「脱出してください!」


 ジャン助手の声が届いたかもしれないが、機体は滑走をはじめた。

 そして、滑走路から機体が離れた。


 世界初のプロペラのない機体が飛び上がった瞬間であった……かに見えた。


 だが……次の瞬間、ガクリと頭を下げたと思うと、滑走路の端に墜落した。

 煙が上がる。ニッケル鋼管とマホガニーの合板製の機体から火が上がったのが見える。


 アンリ青年はどうなったのか?


「博士!」


 ジャン助手の声がこだました。

 煙の中から人影が現れた。手を上げて元気だ、というばかりに振っている。

 みんなの前にやってきたアンリ青年は、打撲と軽い火傷を負った程度で元気そうだった。



 ***



「博士! イタリアがやったそうです!」


 あれから何年経っただろうか。

 ジャン助手は相変わらず、初老アンリの下で働いていた。


「何をそんなに興奮しているんだ」

「見てください。ジャンニさんのところの会社が飛ばしたそうです!」


 助手の持つ新聞には、モータージェットを動力としたプロペラのない飛行機が飛行に成功したというモノだ。


 カプロニ・カンピニN.1


 自分の実験機『コアンダ=1910』が、飛び上がろうとして失敗。それから30年経っていた。


「そうか。そうか……」


 アンリは自分のことのように嬉しそうにうなずいた。だが、一筋の涙が頬を流れていた。


「風になりたい!」


 この30年間、彼は航空機業界で働き続けた。


 そして、この先も――


 奇抜なアイデアはあったが、彼の貢献した航空機業界は飛躍を続けている。

 それは今でも……彼が夢見たように風になった。


 そこが終着点ゴールなんだろうか?

 そんなものは、どこにもないのかもしれない。



 地球は丸く、空は広大であるのだから……



<了>

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風になりたい! 大月クマ @smurakam1978

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