ゴールテープの向こう側
あぷちろ
希死
私の人生は中距離走さながらであった。
短距離走ほど全身全霊ではなく、長距離走ほど惰性に続きはしなかった。
趣味に人生を捧げもしなければ、社会の歯車として無駄に人生を浪費することもなかった。
「と、まあ。過去を振り返ってみてもロクな人生じゃなかった」
どこにでもあるように義務教育を終えて、就職して、仕事をやめて、変な宗教に嵌って、自ら命を絶つ。
正面から私は私の顔を覗く。私は顔面を蒼白にビニールひもで形作られた輪っかの中に首を通している。ばだばたと見苦しく手足がもがき、跳ねる。
傍目にみれば、不出来なヒゲダンスを踊っているようにも見えてなんだか笑えるのだ。
「意外と死なないものなんだね、首つりって」
涎と涙を聞き分けの悪い幼児のように周囲にまき散らしながら、私の生命が潰えていく。
「ねえ、私、みっともないからもうやめてよ、抵抗するのは」
赤黒く染まる首元を撫ぜながら怨嗟のような叫び声を捻りだす。
私が思い描く、想い焦がれていた短距離走のような生き方、それができなかっただけで結末はこれほど惨めなものとなってしまった。
「ほんと、最後までろくでもない人生だったわ」
だらり、手足が脱力する。
「あ、終わりか。ゴおぉル、おめでとう私」
おざなりに拍手をする私。舌をだらしなく突き出して、青くチアノーゼを発生させて、白目をむいている私。控えめに言ってギャグマンガの死体のようだ。
「あ? なんで私意識あんの」
拍手をする手を止めずに私は気づいてはいけない事実に思い至る。
途端、視界が暗転する。
肺が熱い、痛い。熱湯を直接気管に流し込まれたかのような形容しがたき激痛。
喉から不快なぬめりを感じて只管に不愉快だ。激痛から逃れたいのにこんな事を考えるくらい脳が混乱している。目の奥がきしみ、白濁色の右ストレートが眼孔を抉るようだ。
「――ッハッ」
蘇生。直観でそう認識した。
「い、い、今、死んでた私しんでた!」
場所は自宅、ベッドの上。さっきまで見ていたビニールひももなければ、無様に死のダンスをする私もいない。
喉奥が焼け付き、掠れた声しか出ない。いや、声が出せている。
気怠く、ゆるく金縛りにあったように痺れが残る身体を無理に動かして状況を確認する。
明滅する視界、水彩絵の具のように滲む色。
時計を見れば時刻は起床時間の1時間後。日は天頂に延び、世間はもう動き出してる。
ベッドから起き上がれない。腕は辛うじて動くが痺れていて使い物にならない。
「死んでた、絶対今死んでたよ私」
少なくとも首つり自殺ではないが、私は生死の境目を彷徨っていた。
「はは、ははは」
希死観念があったのは正しい。……今はそんな事すらどうでもいいくらい気分は晴れやかだ。
「いや、ゴール手前で転倒しただろうが、これは」
脳みそが死にかけた所為で思考が死んでいる。
まあ、いずれにせよ、私は今生きているし、過ぎ去ったゴールの先にまだゴールがありそうだということだ。
おわり
ゴールテープの向こう側 あぷちろ @aputiro
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