その「すくい」の意味は 作・常夜
冬が始まりつつある日、何でも屋をしている『人でなし』はある依頼を受けて、ある村の外れにある森に使い魔を連れて来ていた。
「森の中で山菜取りをしているときに変な建物と人間を見たという村人が二、三人いてですねえ、確かめに行ってくださるとうれしいのですが。」
そんな村長の言葉に、わざわざそんな小さな事でと思いながらも渋々彼は森のほうに調査に向かった。
「それで、何か算段はついてるのかい?」
バサバサと隣で使い魔が羽ばたきながら言う。
「あると思ってんの?」
「いや、ないだろうねぇ。」
「じゃあ、聞くな。」
この会話ののち、また彼らは黙って歩き出す。森にある道は獣道らしく、なかなかに狭いうえに雪が積もって歩きづらい。ただ、人が最近通った後はあるようで、雪の上に足跡のようなものが数多く見受けられた。
「この山ってそんな人気なのかな?」使い魔はかすかに笑った。
「さぁな。ただ村人の話だと秋まではゴロツキや山賊とかが結構いたらしい。」
「その足跡かな?」
「おそらく。」
へぇと言いながら、使い魔はバサバサとやたらに羽を動かした。雪道をかき分けて獣道を進んでいると、確かにそこには建物があった。ツタに覆われた壁と赤い屋根を持つ白い家。彼らはこういう建物をツタがない状態で、町で結構見かけていた。
「おそらく、教会だね。」
使い魔の声に彼はあぁと返した。
建物を見つけて最初に中に入ろうとするのはバカのすることだと『人でなし』は考えていた。最初にするのは周りがどうなっているかを確認することだろう。だから、彼らは建物の周りをまず一周した。一周して分かったのはこの建物が―どうやってかは知らないが―急にここに現れたことだった。ツタはその建物が古いものであることを知らせてくれるが、そのツタは地面に接する部分で不自然に断ち切られていた。またいくつか窓があったものの特殊な仕組みになっているのかそこから中の様子を見ることができなかった。ただ構造的に、内部は一部屋で祈祷場しかないだろうと彼らは考えた。
「この教会は転移魔法で飛んできたのかな?」
「おそらく、もしくは移動式の怪物か。」
「中に入る?」
「いや、まだだ。」
そう言うと、彼はポケットから取り出したナイフで自分の指を切った。切られた指は地面に落ちる前に変化し、目玉に翼をはやした黒く小さい怪物―彼がちょうど連れてきていた使い魔と同じ姿である―になった。建物の入り口に彼らはそのまま戻ると、扉を薄く開けた。その中にさっき変化した使い魔を入れるとすぐに閉めた。
「視界共有(スコープ)。」
彼がそう呟き目を閉じると、さっき建物の中に入った使い魔の視界が彼の視界に一気に映り込む。
「建物の入り口と奥を往復してこい。」
そう命じると、彼は扉の前に座り込んだ。
使い魔の視界には、奥に見える神像と手前に並べられた多くの木の長椅子が映り込んでいた。明かりは壁際のろうそくと窓から差し込む光だけで中は若干薄暗い。至って普通の教会だ。神像の前には教壇があり、その前には一つ人影があった。神像を背にして立っているのは服装から見ればシスターだろうか。黒と白の二色で構成された簡素な服を身にまとう彼女はお椀をその手に持っていた。
「大丈夫そう?」
「まだわからん。」
頭の周りをくるくると飛ぶ使い魔の声にそう返すと、建物の探索をさらに続けさせた。入り口から神像のほうに近づくと、シスターの姿がより見えるようになった。
彼女は瞼を閉じた状態のまま微動だにせず、いくら使い魔を近づけても気づく様子はなかった。また奇妙なことに、彼女の肩からは腕が六本生えていた。本来の腕であろう二本の腕はお椀を抱えている一方で、ほかの四本の腕は自由に動き回っているが、じっくり目を凝らさないとわからないほど周りに同化していた。足元は服の裾に隠されて見えないが、腕の様子からしておそらくまともな足じゃないだろう。ほかに怪しい点はなかったので、とりあえず入ることにした。
「入る?」
「ああ。」
入り口の扉の隙間から使い魔を回収すると、『人でなし』はそのまま建物の中に入っていった。扉の軋みだけが教会中に響く。相変わらずシスターは気づいていないようだ。
「話しかけるの?」と使い魔が尋ねる。
「いや、少し様子を見る。さっきした話覚えているか?」
「えっと、山賊やらがいたんでしょ。」
「そう、でその話には続きがあってな。建物が見つかっていると同時期に、何やら最近その悪党どもが消えているらしい。それで山菜とかを安全に取りに行けるようになったとかなんとかって言ってた。」
「じゃあ、さっきの足跡って村人?でも、この付近ならクマに襲われたってこともあるんじゃないの?」
「足跡は知らないが、死体一つ見つからないんだとさ。クマが人間の骨まで食うと思うか?」
「まさか、ここのシスターが食べているとでも?カニバリズム信仰でもやってんのかな。」
「そもそもあれ人間か?六本腕が生えた人間を俺は見たことがないな。」
「君もそのようなものだと思うけどね、マスター。」
使い魔の言葉に、『人でなし』はかすかに顔をしかめた。
教会に入った後、彼らは一番手前側の長椅子に音を立てることなく移動した。長椅子に座って奥の神像とその前で変わらぬ姿勢のままたたずんでいるシスターをぼんやりと見ていると、扉を叩く者がいた。焦っているのか、やたらと叩く音が大きい。シスターは何も言わなかった。聞こえていないのかあえて無視をしているのか。しばらくすると音は止み、扉を乱暴に開けて男が入ってきた。服はボロボロで、何日も体を洗っていないのかひげや髪が伸び清潔な感じではなかった。『人でなし』は見つからないように気配を隠してその男を見守ることにした。
「あれは件の悪党かな?」と肩の上にとまっていた使い魔が耳元でささやいた。
「話をすればなんとやらかね。だいぶ時差があるが。」と彼は答える。
「そんな都合いい話ある?」
「教会の周りに誘引剤か幻惑剤でもまいてそうだな。」
「してそう。」
男はよろよろとシスターの元へ向かい、そしてシスターの服にすがりついた。うえっと言う使い魔の声を横目に、『人でなし』はシスターがすがりつかれたことでようやく誰かが来たことに気づいたのだと感じた。
「どうしたのですか?」
かすかに高く、そして心地よい声が響く。『人でなし』はそれが彼女の口から出た声だと知ると、急いで結界を張った。絶対ろくなものではないと彼の勘がそうささやいていた。
「俺は、俺は人を殺しました。ああ、俺は、なんてことを…!」
シスターに縋りついた彼はそういうと、頭をかき乱して涙を流し始めた。そんな男にシスターは気味が悪いほどに透き通った声で告げる。
「落ち着いてください。あなたはその罪を悔やんでいるのですね?ならば、神はすべてをお許しになるでしょう。しかし、そのためにはある儀式を行わなければなりません。」
「そ、そうか。神様は俺を許してくれるのか。なんてすばらしいことだ。」そう男は言う。その言葉が本心から出ているように聞こえて、『人でなし』はさらなる気味の悪さを感じた。催眠術でもやっているんじゃないか?
「すくわれたいですか?」
慈悲に満ちた声が響く。すくう、か。言葉の響きがどこか違うように彼には聞こえた。男は顔を上げると、かすかにうなずいた。
「そうだ、俺を救ってくれ。」
「わかりました。」
彼女は微笑む。そのほほえみを見て男は安心したようだった。なんとも滑稽な笑みだろう。あれは嗤いでもあるというのに。ゆっくりと、彼女はお椀を前に掲げた。そして、その目がついに開いた。赤。紅。朱。それはそのどれでもない『あかい』二つの穴だった。やがて、そこから血のように紅い液体が零れ落ち、お椀にたまっていく。やがて、血が溜まるとそのお椀をさらに天へ高く掲げる。一方で、残りの四本の腕は跪く男を抱きしめるように彼の体を囲っていた。男はその腕に気づいておらず、ただうつむいて祈り続けている。
「この血はあなたの罪。この椀はあなたの心。この血を受け止め、心に刻みなさい。覚悟はよいですか?」
「ああ。」
儀式じみたやり取りの後、お椀の血を男にかけ始める。真っ赤に染まった男は何も言わずただ手を合わせ祈っていた。
「よろしい、これであなたはすくわれました。」
しばらくの後、微笑とともに彼女は言った。相変わらずひねくれた笑みだった。男はその声を聞いて、ありがとう、ありがとうと何度も涙ながらに感謝を述べながらふらふらと教会の外へ出て行った。血まみれだが、大丈夫だろうか。
男が立ち去った後、シスターは再び最初の姿勢に戻った。なるほど、ああやって獲物をまた待つわけだ。そう『人でなし』が考えていると、使い魔は彼に話しかけた
「あの男、赦されたと思っているかな?」
「どうだか、そんな事も考えられないぐらいじゃないか?」
そう言い、彼は苦笑した。さっきの儀式じみた奇行にあの犯罪者はあっさりとひっかかった。あれは確かに「すくう」儀式だった。しかし、救われることはない。どちらかというと、巣喰われるものだろう。双眸からこぼした血、あれがおそらく「虫」の巣だろう。だとすると、あの男も長く持つまい。あれが一般人だったら救う気にもなるのだが、犯罪者を助けるほど彼は慈悲深くなかった。少し黙ってシスターを見ていたが、突然『人でなし』は立ち上がるとシスターの元へ歩き始めた。使い魔はその彼の行動に慌てて言った。
「正気⁉まさか、マスターもなんか引っかかってない?」
「ああ、正気だ。それにあいつの問答にうまく答えられれば大丈夫さ。」
ずんずんと彼はシスターの元へ近づいていく。そしてシスターの目の前に来ると、前で組まれている腕にそっと触れた。
「何でしょうか?罪の懺悔ですか」
気味が悪いほどに微笑は慈悲深く、声は心地よかった。彼は顔をしかめて言った。
「いや、もう救われているから、懺悔はしない。少し話がしたくてさ。」
「かまいませんが、どんな話をしたいのですか?」
困惑気味に返す「彼女」の言葉を聞いて彼は笑って言った。
「あんた、救われているかい?」
「ええ。…私はかつて孤児でした。やせた体とボロボロの服で毎日食べ物を探して街をさまよう、そんな生活を続けていました。そんな生活の中で当然あの方が現れたのです。あの方は私に向かっておっしゃいました。『かわいそうに、君は食べ物であればなんでも食べてしまうのだろうね。』私はあの方に尋ねました。『あなたは食べ物を持っているのですか?』そう聞くと、あの方は笑って言いました。『ああ、あるとも。君が食べているものよりももっとましなものがね。』それから、私はあの方についていくことにしました。あの方の家には大量のごちそうがありました。私はあの方にすべて食べていいと言われ、無我夢中で食べました。泣きながら、吐きながらそれでも食べ続けました。気づけばそこは教会の中で、あの方の姿はありませんでした。ただ、声だけがありました。『君はすくわれたかい?もしそう思うのなら、ほかの人にもそのすくいを分けてあげなさい。それが君の役目だ』と。それからのことはあまり覚えていません、気づけば、眼も見えなくなっていましたが、それも今やどうでもいいことです。…そうですね、私はあの方に救われたのです。だから次は私がみんなを救う番です。」
彼はさっきのシスターの言葉をゆっくりと思い出しながら来た雪道を戻っていた。救われた、か。まったく面白いことを言ってくれる、と彼は思った。彼女の足元はその時にすでに掬われているというのに。そんな思考を断ち切るように使い魔が尋ねた。
「放置してきてよかったの、あの教会。絶対ろくなことにならないと思うけど。」
「いいんじゃないか、救われていると思う人間は引っかからないだろう、あんな罠。」
「そんな奴そうそういないよ。しかもあいつ悪気なさそうだし。」
「本人は本当に救われたと思っているんだろうな、実際は巣食われているわけだが。」あの時のシスターの笑みを思い出す。その時の彼女は恍惚とした表情を浮かべていた。何だろう、極限状態にいると、人間はあそこまでおかしくなるんだろうか。
「それで、村長にはどう伝えるのさ。」
「とりあえず、この山で変な建物を見つけても入らないように言っとけば十分だろ。多分あの建物近々飛ぶぞ。」
「まあ、今から本格的な冬だからねぇ。獲物が見つからなければ確かにいなくなりそうだけど。」
「春になったらまた来る事を言っとけば大丈夫か。」
「それまでに、何人巣食われているかな。」
少し考えてから、『人でなし』は答えた。
「二、三人かな。」
「ひどいねぇ、戻って建物焼き払ったほうがいいんじゃない?」
そんな面倒くさいことを彼はしない。この村の人が何人消えようが、彼には全くもって興味がない事だった。仕方がないことだ。
「悪いね。俺は『人でなし』だからさ。」
そして、彼らは足元を雪に掬われないように気を付けながら雪道を歩き出した。
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