第一章 旭昇天(きゃくしょうてん)
第3話 はじめての宿暮らし
しばらく歩いて宿らしきものが見えてくる。
周りとの建物と比べ明らかにサイズ感が違うのであれが宿だろう。
旅館という表現がしっくりくる。
「ここがこれから君の拠点となる宿だよ。いつくるかまでは宿の人に伝えれてなかったからここでちょっと待ってて。話してくるよ」
そう言ってシェイは宿の玄関口のほうへ走って行った。
高さは三階建てでそこまで高くはないが、敷地面積がかなり広い。
サッカーコート五面分は余裕で入りそうだ。
「俺ここで生活することになるんだよな」
大きな建物を見ながら小さくつぶやく。
今までホテルや旅館に泊まることはあったとしても、そこが生活するための場所となるのは水無月にとって初めての経験だ。現実味がなく実感が湧かない。
だがその生活を想像するだけでワクワクしてくる。
その証拠に、水無月の胸の高鳴りも大きくなっている。
そんなことを考えているうちに、シェイが宿からでてくるのが見えた。
水無月を見つけられてないようだ。
水無月は街灯の下に立っているのだが、気づかれないというのは影が薄いというわけではないだろう。
━━頼む。そうであってくれ。
心の中で強く願うがシェイは一向に水無月に気づかない。
仕方なくシェイに向かって手を振りながら大声を出す。
「おーい。こっちだシェイ」
「あっ、いたいた。待っててねって言ったのに、勝手に動かないでくれよ」
「ああ、すまん」
水無月はシェイに待っててと言われた場所から一歩も動いてはいないのだが。
━━なんだよ。俺そんなに影薄いかよ。これが俺の異世界転移特典ってか。ふざんけんなよ。泣くよ?泣いちゃうよ?
無意識の内に水無月を傷つけたシェイはそれに気づくことなく話を進める。
「それじゃあ後のことはフロント係の子に聞いてね。」
「シェイはどうするんだ?」
「僕は今から学校に行って話をしに行かないといけないから」
「今からってことは帰ってくるのは夜遅くってことになるのか」
「うん?まあ、学校長とは知り合いだからそんなに長くなることはないと思うよ。あと、僕は別にここに泊まるつもりはないよ」
「えっ?…でも一緒に行動するって言ってなかったか?」
「さすがに寝泊まりまでは一緒にしないよ。それとも君はそういう意味で捉えていたのかな?」
「………」
「………」
無言の時間が流れる。
水無月の無言をシェイは変な風に捉えたようだ。
顔が引きつっている。
ただ単に水無月のコミュ力がないだけなのだが。
「いやっ、違っ、そうじゃなくて」
「ああ、うん…そんなに気にしてないから大丈夫だよ。…また明日迎えに来るからそれまでは部屋で待っててね。じゃあね」
そう言って、シェイは俺がこの世界に来た時と同じ光に包まれて消えていった。逃げるような感じだったのは気のせいだろう。
「ほんとに違うんだよぉぉぉぉぉ」
膝を地面につき水無月が叫ぶ。
残念ながら水無月の叫びは虚空へと吸い込まれ、シェイに届くことはなかった。
「お客様大丈夫ですか!叫び声が聞こえたのですが」
ひとしきり叫んだ後、宿に向かおうと立ち上がった時、宿の方から女の子の声がした。
心配するような声で大きな声を出している。
そちらのほうを見てみると、着物を着た女の子がこちらへ向かってきているのが見えた。
今の叫び声が女の子に聞こえたらしい。
水無月は先の叫び声が聴かれたことが恥ずかしくなり耳を真っ赤に染める。
「大丈夫です。大きな声出してすみません」
「いえ、大丈夫ですよ。急に大声を出されて少しびっくりしましたけど」
小さな声の水無月に対し、女の子は優しい笑みを浮かべながら少し驚いた表情を出している。
その様子はとてもかわいい。
「君がフロント係の人ですか?」
「そうです。この宿のフロント係を務めさせていただいているアルマといいます。宿のほうへ案内させていただきますね」
そう言って女の子はとことこと歩き始めた。
かわいい。
年の頃は八歳、九歳だろうか。水色の髪は短く切りそろえられている。ナチュラルボブというやつだろうか。
宿の雰囲気の合うような着物を着ている。
水無月がそんなことを考えている内に宿の前に着いた。
そこでアルマが水無月に振り向き、説明を始める。
「今、支配人が宿内のほとんどの中居を連れて出掛けておりますので挨拶は女将がすることになります。支配人の方から挨拶ができないこと、ここでお詫び申し上げます」
アルマが深く腰を曲げる。
だが、水無月は自分への扱いの丁重さにピンときていない。
「俺、別にそんな大層な人物じゃないんだけど」
「ですが、プロー・シェイ様からの紹介だと聞いているのですが…」
アルマは困ったように少し首をかしげている
かわいい。
「たしかにシェイにここに連れて来られたけど…あいつそんな偉いの?」
今までのシェイの言動を思い出す水無月だが、あの人物が大層偉い人物のようには見えない。
だが、少なくともこの宿にとっては、支配人自らが挨拶をするほどの存在のようだ。
「支配人がシェイ様に恩があるようで。昔助けてもらったとか。私は詳しく知らないんですけど。そのシェイ様からの紹介とのことですので丁重に扱うようにと女将に…」
「まあ俺には関係ないからそんな扱いしてもらわないでいいよ」
「いえ、この宿のお客様に変わりありませんので」
「そう?そこまで言われると俺が拒否するのもなんかなあ」
水無月は自分よりも小さな子に丁寧に接されることにむず痒さを覚える。
そのため先ほどから自分への接客をもっとフラットなものにしてほしいと思っていたのだが、アルマは仕事に熱心でそのことに気づかないようだ。
「そういえば、なんで支配人は出かけてるの?」
「それは話せないと女将から言われておりまして。私も事情を知らないのです。それに、話したくもないと言っていないので、できれば女将に聞くこともお控えください」
「まあ別に俺が知ったところで意味ないからそこまで執着して聞きはしないよ」
「ご理解ありがとうございます。それでは宿の中へとお入りください」
アルマが軽く腰を曲げ、水無月を中へと誘導する。
中に入ってすぐ、女将らしき人物が正座をして入ってきた水無月にお辞儀をする。
「いらっしゃいませ水無月様。私がこの宿の女将でございます。事情は聴いております。しばらくの間この宿でゆっくりとお過ごしください」
そこまで言って女将が頭をあげる。
艶やかで長い黒髪が後ろで綺麗に結われている。
鮮やかな着物を着ていてもわかる豊満なふくらみ。
色気のある声。
目元にあるほくろ。
そのどれもが女将の艶かしさを強調している。
まだ中学生の水無月には少し刺激が強いだろうか。
まあ中学生男子らしく水無月は全力で胸に視線を注いでいるわけだが。
「本日は夜も遅いのでお休みください。また明日にでも時間があればこの宿の説明をさせていただきますので」
女将が自分の方を向いていることに気づき水無月は目線を少しあげる。
少し気まずさを水無月は感じるが、水無月に非しかないのでどうすることもできない。
「本日からよろしくお願いします」
水無月も会釈をする。
爽やか少年をイメージして声を出す。
意外とうまくいったのではないかと自分を褒め称える。
「アルマ、お部屋まで水無月様をお連れして」
「わかりました。それでは水無月様、こちらへ」
━━あっ。アルマさん。そんな目を向けないでください。
先ほどの水無月の視線や声の変わりようを見ていたアルマは軽蔑の目を水無月に向けながら案内を始める。
その目から逃れるように水無月は宿の内装を見る。
豪華な掛け軸や水墨画、高そうな壺などが置かれている。だが、そのどれもが主張が激しくなく自然と景色に溶け込んでいる。まるでそこにあるのが当たり前かのように。
雰囲気はまさしく高級旅館。
その雰囲気を感じ水無月の体が自然と固くなる。
「水無月様のお部屋は三階になります」
そう言ってアルマが階段を上がっていく。
段差はそこまで高くない。幅も広く螺旋階段のようになっている。
二階の踊り場を通り過ぎて三階へと到着する。
窓の方に視線を流すが暗くてよく見えない。
するとアルマが立ち止まった。
水無月がこれから止まることになる部屋に着いたようだ。
「こちらが水無月様のお部屋となります」
そう言いアルマは部屋の扉を開けた。
「部屋の中のものはご自由にお使いください。明日朝食の準備が整いましたらお呼びいたします。それでは、失礼いたします」
そう言ってアルマは帰って行っいく。
夜遅くだからかその足取りは少しふらついている。
しっかりしてはいるが、まだ小さな子供であることには変わりない。
先ほどからあくびなどをしていたことを水無月は黙ってあげることにする。
━━かわいいかったし。
「ふぁぁ」
手で口元を隠しながら欠伸をする。
かなり疲労が溜まっているようだ。
早く寝たい気持ちを加速させながら部屋の中へと入っていく。
━━宿の雰囲気からしてめっちゃいい布団だろ。寝るのが楽しみだぜ。
部屋は二部屋あるようだ。
まずは入ってすぐの部屋。
畳が敷かれており、ぱっと見典型的な和室のように見える。
おしゃれなふすまが室内と外界を隔てている。
そこから少し漏れる月光が部屋を照らしているのがとても幻想的に見える。
が、どこにも布団のようなものは見当たらず、収納されているような場所も見つからない。
捜索を中断して水無月は隣の部屋へと続いているのだろうドアを押す。
和室には似合わない洋風なドアを。
「どうなってんだこの宿」
目の前に広がっていたのは洋室。
それもさっきまでいた和室と繋がっている尾全く感じさせないほどの異質さ。
無理矢理継ぎ接いだような造り。
そんな洋室には大きなベッドとクローゼットがある。
ベッドは水無月が三人いても同時に寝れそうなほど大きい。
先にクローゼットの中を確認する。
ベッドに早く寝転びたいが一旦我慢する。
クローゼットの中には浴衣が入っていた。
「なんでこっちに置いてんだよ。雰囲気ぶち壊しじゃねえか」
クソどうでもいいことをツッコみ、水無月はベッドへとうつ伏せに倒れる。
「めっちゃ気持ち〜」
沈みすぎないベッドが水無月を包み込む。
ただ寝転んだだけで一日の疲れがなくなっていく。
その気持ちよさに身を任せ仰向けになる。
少しだけ動いた瞬間ベッドから落ち着く香りがする。
何の匂いかまではわからないが、脳を溶かすような感覚になる。
そして水無月はそのまま眠りについた。
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