『満開の桜の木』

朧塚

別世界へと繋がる桜の木。

 桜の下には死体が埋まっていると聞く。

 それは、ある文豪の作品が元ネタだとも、昔からある伝説の類とも言われている。

 冬が終わり、私は今月から、高校三年生になる。

 いよいよ大学受験を控える事となる。


 学校から離れた公園の桜が満開だ。

 桜をずっと見ていると狂っていくとも聞く。


 私の通っている高校の近くにある公園には、様々な怖い話が伝えられている。

 学校の七不思議みたいに、公園の七不思議として語り継がれている。


 その公園では、夜中、深夜0時になると、ある一本の一際、大きな桜の木の辺りから歌が聞こえてくるというのだ。

 それは童謡のようでもあり、民謡のようでもあり、少し前に流行したJ-POPの音楽のようでもあると言う。

 そして、その歌声を最後まで聞くと、向こう側の世界には引きずり込まれるのだと。

 噂では、その桜の木は、死の世界へと繋がっているのだと。


「なんか変な怪談だね。普通は学校の七不思議なのに」

 私は日見子(ひみこ)にそう言う。

 日見子とは私と高校一年生以来の友人だ。

 彼女はこういったオカルトの話が大好きだった。

 たまに霊が見えると話したりもする。もっとも、私は彼女の虚言だと考えているのだが。

 

「そうなんだけど。この辺りで語り継がれている話なんだって」

 日見子は言う。


「まさか、深夜に行ってみたいの? 日見子」

「行ってみよう、叶絵(かなえ)。新学期が始まる前にさ」


 四月に入ったが、大学三年の始業式まで、後、数日程ある。

 せっかくなので、始業式の前にささやかな想い出でも作ろう、というのが日見子の考えだった。私は二度返事で彼女の誘いに乗る事にした。


 そういうわけで、私と日見子は夜の公園に向かう事になった。

 四月始めだが、まだ寒い。

 公園の地面の所々には、散った桜が広がっていた。


 この公園には桜の木以外にも、幾つかの怪談がある。

 いわく、公園のブランコに少女が乘っていて、その少女の身体は透き通っていただとか。公園の女子トイレの一番奥の個室には便器から腕が伸びてくるだとか。

 地元のサラリーマン達の愛でも、例の公園は語り草になっていた。

 何十年か前はお墓で、お墓を移して公園にした、という話を聞いた事がある。

 時折、公園の中では、猛烈に吐き気を催すような腐敗臭も漂ってくるのだとも……。


 時刻は夜の22時。

 深夜は0時を過ぎた頃になるのだろうか。

 まだ肌寒いので、私達は上から厚着を羽織っていた。


「この公園って、結構、広いんだよね」

 日見子はそう言う。

「確かにそうだね。周りが団地に囲まれていて、遊具も沢山あるし」


 昼間は団地の子供達の遊び場になっているのだと聞く。


「そう言えば、叶絵。最近は元気?」

「私? 元気だよ」

 高校二年生の夏から秋頃までだったか。

 私は不登校を繰り返していた。鬱の症状を発症していた。原因は両親との不和。学校での孤立。いじめ。授業に付いていけないなど、様々なものが重なった。それで私はヒステリックな母親ではなく、いつもは夜遅くに帰ってきて母親と喧嘩する父親に言われて、心療内科へと連れていかれた。結果は鬱病の診断が下った。


「大丈夫。カウンセリングを受けているし、病院の先生は話を聞いてくれるよ」

 私は笑う。


「そう。叶絵さあ。“向こうに行きたい”って思っているでしょ?」

 日見子は、私の事は何もかもお見通しだ、と言うように告げた。


 そう。

 私は日見子の怪談話を聞きながらも、向こう側の世界。つまり、霊的な世界に強く惹かれていた。死にたいわけじゃない、向こう側に行きたいのだ。ただ、とにかく今の学校という社会から、家という場所から逃げ出したかった。


 だから、日見子と話すのは楽しかった。

 いつもの日常を少しでも忘れる事が出来る。

 彼女は、日頃から眼にしている幽霊の話や、妖精や妖怪の話などもする。話術はそれなりに上手く、いつも私を楽しませてくれる。日見子も、明らかに“この世界ではない別世界”に憧れていた。


「何、ぼうっとしているの? 桜を見に行くよ」

 日見子は言う。


 公園には所々に桜が咲いている。

 私は綺麗、と、日見子に言う。

 問題の桜は、一際、大きくて、まるで遠目に見て、ちょっとした塔のようにも見えると言う。


 今日は晴れ渡っていて、星空もとても綺麗だ。

 雲も少なく、月明かりが綺麗だった。


「ほら、見えてきたよ。叶絵、あれが例の桜」

 叶絵は夜の闇を指差す。


 一際大きな桜の樹があった。

 

「らん、らん、らん、らん、らん、らん、らん、らん」

 日見子はいきなり歌い始めた。

「ちょっと、日見子、何歌っているの?」

「えっ? だって、歌が聞こえるから。その歌に合わせて歌っているんだよ」


 桜の木の下の前に来ると、日見子は手を合わせて軽く頭を下げ、まるで宗教的な祈りの儀式のようなものを行う。

 日見子は普段から、奇抜な行動が多いが、私はこの時ばかりは少しびっくりした。

 日見子は大きな桜の幹へと触れる。

 彼女はまるで愛しげに木を撫でていた。


「叶絵。これは向こう側の世界と繋がっているんだよ」

「向こう側の世界……?」

「うん。これは“世界樹”。色々な世界へと繋がっている木なんだ。もっとも、みなが言っている、0時を過ぎた時間帯には、冥府の世界と繋がるのだと思うけどね」

 日見子は私の知らない世界を視る事が出来る。

 それは霊的なもの以外も、彼女は普段から視ているのだ。


「今、時計を見たら、午前0まで、後、一時間半くらいあるから、何か話でもしようか? それとも、公園の七不思議を他にも見て回る?」

 風が吹いて、日見子も黒髪が風になびく。

 桜のはらはらと、揺れ落ちていく。

 夜桜だ。不気味なまでに美しい。


「らん、らん、らん、らん。らん」

 日見子は歌っていた。

「止めてよ、日見子、気持ち悪い…………」

「えっ。叶絵には聞こえないの? あの桜から歌が聞こえるんだよ。とても綺麗な旋律のメロディーで、私も歌いたくなるの」

 そう言う日見子は笑っていた。


 私達二人は午前0時までブランコで待つ事にした。

 私達はブランコの上に座っていた。

 月明かりの下、闇の中に咲き誇る桜の数々はとても綺麗だった。


 ブランコは全部で四つある。

 ふと。

 私は寒気を感じた。

 私の右隣には日見子がブランコに座っている。

 私の左隣には誰もいない筈だ。

 私の左隣のブランコがキィー、キィーと揺れている。人の気配も感じた。

 私はとてつもない悪寒と圧迫感に襲われる。

「隣に、隣に誰かいるよ…………。私の左側のブランコ…………っ!」

 私は思わず、嗚咽を漏らしながら、泣きそうになる。


「ああ。此処にいるんだね。人でなくなっても、桜に魅入られている女の子が。大丈夫だよ、ただ、一緒に花見をしに来ただけだと思うから」

 そう言って、日見子は私の左隣を見ながら笑う。


 ゆらゆらと、桜の花びらが舞い落ちていく。

 左側の気配が濃密な感覚を帯びていく。

 私はちらり、と、左の方を見た。


 すると。

 顔面の所々が損壊した学校の制服を着た少女がブランコに乗っていた。

 元々は美少女だったのだろう。少女の首は折れ曲がり、歯の所々が無い。片目が空洞だった。舌がちろちろと出ている。


「い、いやあっ!」

 私は思わず、立ち上がる。

 右側では、日見子が小さく溜め息を吐くと、立ち上がって、幽霊らしき少女に話し掛けていた。

 それから、私はブランコから離れた場所に座り、両目を押さえて震えていた。


「もう、大丈夫だよ。叶絵。この子は、この辺りで飛び降りて亡くなった子らしいの。一緒に桜を見たいだけなんだって」

 日見子は、くすくす、と笑う。


 私はふと、気付く。

 辺りに気配が充満していく。


「もうすぐ、0時だね」

 日見子は笑っていた。


 ざわり、ざわり、と、人が大量に集まってくる。

 私は息を飲んだ。

 顔が崩れている男や、病院着を着ている老人や、下半身が無い女性がいた。全身が腐り、虫が身体をはいずり回っている青年もいた。老若男女様々な人々がいた。


 明らかに生きている人間では無かった。彼らは桜の木の道を行進していく。

 風が吹き、桜吹雪が舞う。仄かな桜の匂いに、線香の香りと猛烈な腐敗臭が混じっていた。


「この人達は…………?」

 私は日見子に訊ねる。

「この辺りにいる、成仏出来ない人達じゃないかな? あの桜は世界と繋がっているの。もちろん、あの世の世界とも。彼らはあの桜に救いを求めてやってきたんじゃないかなあ」

 そう言って、彼女は笑っていた。


 彼らは何か恍惚とした表情をしているように見えた。

 何かに聞き惚れているみたいだった。


「らん、らん、らん、らん。らん」

 日見子は歌っている。

 彼女はこの世ではない、何かを視ているみたいだった。

 私達はさっきの大きな桜の元へと戻る。

 やがて、時刻は0時になる。


 桜はとても幻想的だった。

 幹がひび割れていき、幹が裂けていく。そして、幹はまるで門のようになっていった。霊達は、次々と、その門へと向かっていく。


「叶絵。私達も、あの門の向こう側に行ってみる?」

 日見子は、妖艶な笑みを浮かべて笑った。

「なに、怖いよ」

「大丈夫だよ。ふふっ、私が付いているから」

 そう言われて、私は日見子に右手を握り締められる。


 私達二人は霊達と共に、木の中に開いた、真っ黒な門へと向かっていった。

 私達二人は、闇の中を歩いていく。沢山の気配達も共に歩いていた。

「ねえ。大丈夫?」

「大丈夫だって、私が付いているから。言ったでしょう?」

「この先の道は一体、何処に続いているの?」

「この先だと、冥府の世界なんじゃないかなあ? でも、もしかすると、色々な別の世界へと繋がっているのかもしれないね。私はもっとこの先の方を見てみたいのだけど」

 そう言う、日見子は微笑みを浮かべていた。


 様々な光の筋が輝いていた。

 緑や青、紫や赤、様々な色の筋が流れては消えていく。


「私、そろそろ戻りたい…………」

 もう、限界だった。

 この非現実な世界から戻りたかった。

「叶絵。本当はこの世界が嫌なんじゃないの? 学校で孤立していて、私しか友達がいなくて。ね? 私と一緒に、別の世界に行ってみない?」

 日見子は笑っている。

 私は必死で首を横に振る。


 らん、らん、らん、らん。

 私にも、歌声が聞こえてきた。

 それは間違いなく、人間の声なんかじゃない。異世界に潜む怪物の声なのか。


「私、もう、戻りたい。私にも、歌声が聞こえてくるもの…………」

 とにかく、怖かった。

 この状況を楽しんでいる、日見子の考えも怖かった。


「私は帰るっ! ねえ、私を帰してっ! 日見子っ!」

 私は叫んだ。

 日見子はそんな私を見て、ふうぅ、と笑った。


「じゃあ、今から振り返って、後ろの方を、走って戻って。そしたら、決して振り返ってはいけないわよ」

 そう言って、日見子は私から手を放した。


 私はとにかく、走り続けた。

 耳元で、あの歌声が聞こえてきた。


 気付けば、夜の公園を走り続けていた。

 夜の桜が公園の中で見えた。

 そして、私は家へと帰る。

 どうしようもない程の強い孤独に襲われた。


 翌日の事だった。

 日見子が例の桜の木の下で死体となって横たわっていた。

 昨日、会話を交わした筈なのに、日見子は死後、一ヵ月程は経過した腐乱死体となって転がっていたらしい。彼女の遺体は所々が白骨化していたそうだ。遺体は桜の花びらによって包まれていたらしい。


 ……意味が分からない。

 彼女は、一か月間もの間、この世界とは違う時間軸の世界を彷徨っていた、という事になる。


 そして。新学期が始まる。高校三年生の始まり。

 私は相変わらず、友達を作れなかった。

 昼休みには、一人、ひっそりと教室の隅で弁当を食べているような人間……。

 高校二年生の頃と違い、いじめなどを受ける事は無かったが、それでも私は酷い孤独感を感じていた。私の唯一の友達は、向こうの世界に行ってしまった。

 戻ってきた彼女の死体は、もしかすると、偽物で、本物の彼女は、別の何処かの世界で今も生きているのではないか、と…………。


 夜になると、私は自宅の自分の部屋の中で、ある気配を感じる。

 大体、夜中の0時頃だ。

 カーテンに包まれている窓の向こう側からだ。

 

「らん、らん、らん、らん、らん、らん」


 歌声が聞こえてくる。

 

 私はおかしくなってくる。

 学校にいても、私に居場所は無い。

 私は窓の向こう側から気配を感じる。日見子の気配を。


 日見子は、部屋の中にいる、私に囁き掛けてくる。

 向こう側の世界は、楽しいよ、と。

 私は窓を開けたくなる。

 歌声が心地よく聞こえ、そして、向こうの世界は、きっと楽しいのかもしれないのだろう、と…………。今日の深夜にも、窓の向こうから、桜の匂いが仄かに香っていた。


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『満開の桜の木』 朧塚 @oboroduka

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