第30話 正解は無い
あれから二週間ほど僕は誰とも会わなかった。皆で考えた夏休みの計画もまだ残ってはいたけれど、バイトも含め全て夏バテという事にしていた。
祭りに行った日から数日後に突然、暁彦達が家に来た日があった。当然その中には一華さんもいて――あの日の事を思うと途端に僕はトイレへ駆け込むようになっていしまっていた。その日、折角来てくれたのに僕は皆と会う事は出来なかった。その代わりに母さんが対応してくれたらしく、僕は自室に籠ったままやり過ごしたのだ。
SNSを見ても僕を心配する内容ばかりで、何事も無かったかのように振る舞っているのが窺がえて僕は逆に会うのが怖くなったのだ。そう願ったのは僕だけど、いっその事感情のままに罵倒してくれた方が返って気が楽になるのに。そんな風に考えながら、だらだらと過ごす毎日を送っていた。
「蓮ちゃん。ちょっとお話がしたいのだけれど……今、大丈夫?」
静かなノック音が扉を叩いた後、母さんが僕の部屋の扉越しに話しかけてきた。理由はある程度分かってる。明日から二学期が始まるから、僕が学校に行けるかの確認に来たのだろう。
「何の用?」
返事をするのも面倒で、ついぶっきらぼうな返事で返してしまう。そんなつもりは無いのに、胸の中がもやもやとして誰彼構わずぶつけたい衝動に駆られる。高校生にもなって、こんな子供っぽい事はダメだって思うのにどうして良いか分からない。
「あのね。さっき、坂本さんから連絡があってどうしても今日
母さんの声色は若干震えていて、今にも嗚咽を漏らしそうに感じた。それにしても
僕はのそりとベッドから這い上がると、自室の扉を開いた。
「わかったよ。じっと家にいても嫌な事考えるだけだし、アルバイトしたいって言ったのも僕だしね。それに明日から学校だから外に出て気分転換でもしてくる」
対面に立っていた母さんは、僕の姿を視界に捉えると、とうとう咽び泣いてしまった。二週間程度の引き籠り生活でこんなにも心配してくれるのは愛情が深いというかなんというか。でも、どこか安心する。
「あっ、お兄ちゃんいたの? 全然気づかなかった。外に出るんなら帰りにアイス買ってきてよ」
この妹だけは、兄を敬うとかそう言ったものが感じられないな。まぁ、それがいつも通りな訳だけどね。でも、やっぱりムカつくから愛の嫌いなレーズン入りのアイスを買ってやろう。何のアイスか何て言われてないからね。
一通り母さんを落ち着かせた僕は、身支度を整えてバイト先へと自転車を走らせた。
先程まで気に病んでいたのが嘘みたいに、今は日差しが気持ちいい。そう思うのには理由があった。坂本さんの名前を聞いて僕は思い至ったのだ。今の不安な気持ちを、もしかしたら坂本さんなら教えてくれるかもしれない。自立した大人の人で、色んな経験も豊富そうだ。海崎さんとの事や一華さんとの事、それに皆に会うのが少し気まずくなった事を相談してみよう。
カランカラン。気持ちの良い鈴の音を鳴らして店内に入った僕の姿を見て、坂本さんは相も変わらず元気に声を掛けてくれる。
「おっ、久しぶりだね。待ってたよ蓮君。早速で悪いんだけど、これをあのテーブルに持って行ってくれるかい?」
店内を見渡すと、いつもとは違い大いに繁盛している様だった。坂本さんと話したい所ではあるけど、一先ずは仕事が先だと慌ただしく動く僕だった。後で聞いた話だけど、店の十周年だとかでゆかりのある人達が遠方からわざわざ来てくれていたそうだ。
「ふー、何とか落ち着いて来たな。ちょっと、休憩するかい? コーヒー淹れるからちょっと待ってなよ」
店内を一人、二人が席で寛ぐ様合いをみせると、坂本さんは僕をカウンターに座らせて休憩させてくれた。今なら、話が出来そうだと思い淹れてくれたコーヒーを口に運びながら話し出した。
「あんまり、夏休み来れなくてすみません」
「ん? ああ、良いって。体調崩していたんだろ? 千佳子さんから聞いたよ。今日は本当に来てくれて助かったよ。体調はもう良くなったのかい?」
「ええ、まあ。もう大丈夫……です」
心配そうに声を掛けてくれる坂本さんの顔が、僕に罪悪感を覚えさせる。体調が悪いというのは僕の嘘だ。そんな優しい顔を向けられるとどうしても歯切れが悪くなる。話題を変えようというか本題に入ろう。
「あの、坂本さんに相談があるんですけど――」
こうして、僕は海崎さんに告白された事、同時期に一華さんにも似た様な事を言われて逃げ出した事、そうして皆と会うのが気まずいと思うようになった事を話し終えた。
「なるほどねぇ。懐かしいな、俺もそういう時代があったもんだ」
そう言って坂本さんは目を細め遠い記憶を遡っていた。
「すごい悩んでるんです。考えて、考えて、考えても、どれが正解なのか自分には分からないんです。坂本さんなら、何か助言じゃないですけど分かってくれるような気がして相談したんです」
「そうかー」と、ぽつり呟いた坂本さんは自分で淹れたコーヒーを一口飲んで一呼吸置いた。
「蓮君は相当に悩んで、俺に相談してくれたんだろう。でも、俺が言える事は特に無いって言うのが助言かな」
その言葉を聞いて僕はあからさまに落ち込むのだった。それを見かねた坂本さんは続けて言葉を口にした。
「そう落ち込むなって、蓮君の期待する返答がどれか分からないけど、君が悩んでいる事には正解が無いって言うだけの話さ」
「正解が……無い?」
坂本さんの言う事にいまいちピンとこなかった僕は、頭を撫でるばかりで続きの催促をした。
「例えばそうだなー。授業とかで先生が問題出してくれるだろ? その時は予め答えが用意されてるから、正解を知っていれば当てる事は出来る。だけど、今蓮君が悩んでいる事は正解を創っていくって言うのが近いかな」
「正解を創っていく?」
「そう。それが今悩んでいる事の答えであり、正解への道筋だな。まぁ、要は一人で悩んでもそこに相手がいなければ始まらないって事だね。それにその答えが正解かどうかなんて決めるのは未来の自分次第ってところだ」
何となく坂本さんが言いたい事がわかった様な気がした。若干、心に淀んでいたもやが晴れた気がする。明日、学校に行ったら皆に謝ろう。まずはそこから始めようと僕は心に決めた。
「あ、そうだ。そろそろ、予約客が四人ほど来る頃だった。蓮君もちょっと準備手伝ってくれるかい」
「はい! でも、珍しいですね。僕が知る限り予約何て一度も無かった様な」
坂本さんは口元で指を左右に振って「俺は十年やってるんだ。予約客の一人や二人居たような居なかったような」と、適当に話をはぐらかすのだった。そんな他愛も無い事で互いに笑い合った。
席の準備が整うのと同時に喫茶店の入り口が開いたのに僕は気付いた。
「いらっしゃいませ――」
僕は元気良く声を掛けながら視線を向けるとそこには見慣れた顔ぶれがあった。暁彦に友原さん、海崎さん、それに一華さんが店内に入って来たのだった。
「坂本さん……これって?」
坂本さんはドッキリ大成功と言わんばかりに、にやけた顔で笑っていた。
「蓮君は良い顔をするね。まあ、あれだ。相談してきたのは君だけじゃないって事さ。さっき俺が言った事覚えているだろう? 君が探している
突然の事で頭が真っ白になった僕を見かねて坂本さんは「仮にもお客様だからね。席に案内頼むよ」と、耳打ちしてきた。ふと、我に返った僕は暁彦達を席に案内するのだった。
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