第9話 初登校
幸いな事に途中の踊り場で止まってくれたお陰で、大事には至らなかった。痛い思いをしたのには変わりがないが――。
その騒動を聞いたお婆さんが、駆けつけてくれて腰を擦りながら場所を移した。現在、僕は居間で腰に湿布を張って貰っている所だ……お婆さんに。
僕の知っているラブコメでは、海崎さんか一華さんのどちらかが、その役をしてくれると思ったのだが、現実はそうではないらしい。
海崎さんは何度も、何度も僕に頭を下げて謝っている。見た目は楚々としていた感じなのに、友原さんが海崎さんを危なっかしいといったのにも頷けるというものだ。
大丈夫だよと、海崎さんとのやり取りをしていると、襖が開いて一華さんが現れた。猫の着ぐるみパジャマから着替えたらしく、男の子っぽい服装をしていた。改めてみると幼い顔つきをしているが、服装のせいもあって中性的で整っている印象だ。
「大丈夫なのかよ」
「はは、なんとかね」
言葉遣いは少し荒っぽいけれど、気に掛けてくれる所は憎まれ口を叩く妹の愛に重なり少し可愛らしく思えた。
お婆さんは僕に湿布を貼り終えると、少し上機嫌にお茶の準備をすると言い残し居間から出て行った。外をみると日が傾き始め、薄っすらと赤みを帯びている。
「明日、学校行けそう?」
僕は寝そべっていた身体をゆっくりと痛みと会話をしながら一煌さんに尋ねる。
「しつこいからな、そこまで言うなら行ってみても良い。ただ――」
上から目線の発言に困惑する僕達だったが、話がこじれてもいけないので続きを促した。
「ただ?」
「その……、あれだ。一度も行ってないから、あの……」
言葉の端々で見え隠れする気恥ずかしさを察した僕は被せる様に唇を動かした。
「大丈夫、明日の朝は家に寄るよ。校舎広いから、迷ってもいけないし」
「私も一緒に行くから安心して」
一華さんの表情は分からなかったが彼女は俯いたまま、首を縦に振っるのだった。僕と海崎さんは顔を合わせ密かに微笑み合った。
その後は、お婆さんが淹れてくれたお茶を飲みながら、明日の時間割の事や学校のパンフレットを見ながら施設の簡単な説明をして、僕達は家路についた。
今日の食卓もカレーだ。大抵どの家庭でも、数日間はそういう日もあるのではないだろうか。それは別に良いとして、母さんには言っておかないといけない気がした。
「母さん、ありがとう」
「あら、あら。何の事か分からないけれど、どういたしまして」
母さんはおどけた様子で僕の言葉を受け止めてくれた。隣に居る妹は意味が分からないと顔をしかめている。
その晩は身体的疲労から、いつ寝たのか覚えていなかった。
翌朝、僕は約束通り一華さんの家に向かっていた。家の前には二人の女子の姿が佇んでいた。海崎さんと一華さんだ。
「おはよう。待たせたかな?」
「おはよう。ううん、私も今着たところ」
「十分ぐらい前にだけどな」
「一華ちゃん、それは言わなくていいの」
一華さんは、ふんと鼻を鳴らして先頭を歩み始めた。待ち合わせ時間は過ぎていない筈だけど、二人共待たせたのには変わりがない。
「えっ、そうなの? なんかごめん」
「良いから、良いから。一華ちゃん待ってよ」
その後を追う様に僕達も続いた。一華さんの制服姿は、昨日の私服とは打って変わり、とても女の子らしいものだった。
校門が近づくにつれて、一華さんは僕達の後ろへと隠れる様に付いて来た。それを見かねた海崎さんは心配そうに問いかける。
「どう? 行けそう?」
自分の身体を抱きかかえ唸る一華さん。いきなりは、やっぱり無理かと思っていると、陽気な声がした。
「よう、レンレン。おっ、この子が一華ちゃん? 小さくて可愛い子じゃん。俺、多葉田暁彦。暁彦って呼んでよ」
続いて友原さんも僕達を見つけて眉をひそめて駆け寄って来た。
「夢莉、変な事されなかった? 大丈夫だよね?」
変な事って何? どちらかと言うと僕の方が被害者なんですけど。
「どちらかと言うと、私がした……かな」
昨日の事を思い返して、恥ずかしさから顔を上気させてもじもじと友原さんに伝えている。友原さんは何かを察したように溜息をついて頭を抱えていた。
「ああ、やっぱり私も付いて行くんだったわ」
横目に一煌さんの姿をとらえると、海崎さんが何かした事を追求する事も忘れ、べたべたと一華さんを撫でまわしていた。
「あら? この子が例の? きゃ~、可愛い。小さくてお人形みたい」
成すがままにされている一華さんはわなわなと震え次の瞬間、何かが弾け飛んだ。
「うるさ~い! 小さい小さい言うな!」
駄々っ子の如く友原さんの腕の中でじたばた暴れているが抜け出せそうに無い。
「その怒った顔も可愛い」
「は~な~せ~」
その様子を海崎さんは苦虫を潰した表情をしており、二人の間に何かしらの思い出がある事を感じさせる。そうこうしていると、予鈴の鐘が鳴り響く。
「やっべ、遅刻するぞ。行こうぜ」
「残念、もう少し楽しみたかったのに」
二人は一華さんを自由にすると駆けっこの素振りを見せる。
「僕達も急がないと、一華さん行けそう?」
「どいつもこいつも、ほんとうるさい」
そう言って一華さんは誰よりも先に駆け出した。すれ違いざまに見えた彼女の口角は、少しだけ上がっている様に見えた。
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