第2話 二度目の入学式
意識を取り戻した時、僕は見知った机でうつ伏せになっていた。
見慣れた教室の光景。僕はあの時車に轢かれて――? 身体に異常は無く意識もはっきりとしている。もしかしてマンガや小説みたいに異世界転移して、新たな人生をって所か。そんな筈は無いなと一人呟く。
ただ、変だ。僕は事故に遭った筈なのになぜ教室に居るのか。一体どうなっているんだ?
困惑している所に、誰かが声を掛けてくれた。彼女は肩で息を整えていてその手には紙の束が握られていた。
「ねぇ、早く行かないと遅れちゃうよ」
彼女の事は知っている。同じクラスの海崎さんだ。
「君は、海崎さんだよね」
海崎さんは驚いた表情を浮かべた。
「何で私の名前知ってるの? 何処かで――」
彼女の言葉遮って、予鈴のチャイムが鳴り響く。
「いけない! 早く体育館に行かなくちゃ」
急かす彼女の後を追い、整理できていない頭を抱えたまま彼女に追従して、体育館へと向かった。
体育館の外の垂れ幕には『入学式』の文字が記されていた。
入学式? 僕達はクラスメイトと共に教員に案内された席に座る。周りにはクラスメイトの見知った顔がある。彼も彼女も先生方も僕は知っている。既視感が連続して起こっているような不思議な感覚。
僕はどうしたというのだろう。
粛々と進められる入学式の最中、これはきっと夢だと人知れず自分の手の甲を摘まんだ。痛っ――、というかそもそも、夢の中は痛くないというのは本当の事なのだろうか。
この状況を考えてみよう。例えば、一つ、皆が僕をドッキリに仕掛けようとしている。二つ、入学式前夜から今までの事が僕の想像だった。三つ、事故前夜まだ僕はベッドで夢の中だ。
一つ目は、あり得ないな、こんな僕を教員を含めて大々的に騙す意味が無い。二つ目は、クラスメイトの名前を知っている時点でこれもあり得ない。三つ目の可能性もあるけど、あの出来事が夢ならば意識が……、目が覚めた僕はベッドの上に居る筈だ。いや――これはもしかしたら死後の世界かも知れない。
まさか、小説の様に時間が巻き戻ったとか……? ばかばかしい――。
式の進行具合は、校長先生の祝辞が終わろうとしている所だった。
そうだ! 時間が巻き戻ったとすれば、この後校長は壇上から降りる際に、階段で足を滑らせて尻餅をつく筈だ。
そう思い返していると、校長は階段で足を滑らせて盛大な尻餅をついて顔を茹蛸の様にしていた。脇に控えていた教員達は慌てて介抱に駆けつけ、生徒達は失笑と嘲笑の渦を巻き起こした。
僕は懐疑的になりながらも胸の中では何とも言えない高揚感が支配していた。
あの無難な高校生活がやり直せるとしたら、今度は絵に描いたような高校生活を送りたい。
放課後に友達と寄り道したり、夏休みには皆で海や花火をして、僕にも素敵な彼女とか出来たら良いな。
この不可解な出来事を考えるよりも、もう期待で胸が一杯の僕は二度目の入学式を迎えた。
途中、校長のハプニングがあったものの、入学式が終わり生徒達は各々の教室へと戻ってホームルームが行われた。
一人ずつ出席番号順に自己紹介が始まった。この流れも以前の体験と同じだ。あの時彼女が驚いたのは無理も無い。この時点で同郷の者以外、初めてクラスメイトの名前が開かされるのだから。
教室で僕に声を掛けてくれた子は、
以前の高校生活では、殆ど接する事は無かった部類の人だ。
教室の後方には親族の人達も参列していた。その中には当然、僕の母さんもいる。
母さんは僕達の家事をしながら、昼夜働いている。忙しそうな母さんを見て育った僕達兄妹は、掃除や洗濯、簡単な料理くらいはいつの間にか自分達でするようになった。
父さんの事については子供ながらに、この話題には触れてはいけないんだと僕達兄妹は思っている。
そんな忙しい母さんだが、こういう行事には必ず駆けつけてくれる。そう言う所は子供ながらに尊敬できた。
「――君、佐野君!」
名前を呼ばれた事で、急に意識が戻される。僕は机をガタガタと言わせながら、大きな返事と共に立ち上がった。
「元気な返事で宜しい。君の自己紹介の番なのだが、お願いできるかい?」
担任の田中先生は教壇からこちらを見ていた。周りの同級生からは、くすくすと笑い声が微かに聞こえた。
僕の顔は、先の校長先生の様になっていたに違いない。この状況は耐えられない。
「佐野蓮です。宜しくお願いします」
少しばかり早口で言い切り、気恥ずかしさから即座に座ってしまった。
やってしまった。第一印象が大切だと言うのに、恥ずかしさの余り無難な挨拶をしてしまった。これでは、以前と変わらない高校生活を送ってしまう。
時は無情にも流れ、挽回するチャンスも無く。各自教科書やら体育着の購入の為ホームルームが終わった。
はぁ、僕も行くかと席を立ちあがった時に、海崎さんが小首をかしげながら声を掛けて来た。その時肩を少し超えたくらいの黒髪がなびいて、良い香りが鼻についた。
「佐野君だよね? 私やっぱり名前を聞いても思い出せないんだけど、何処かで会ったかな?」
その姿に自分の頬が染まった感覚があった。海崎さんが、わざわざ僕に話しかけてくれるなんて――。
何か答えないと――。でも、既に一度高校生活を送っていたと正直に伝えるのか。いや駄目だ。悪い意味で目立っては以前より悲惨な生活を強いられるだろう。それに、信じて貰える話ではない事は誰でも分かる。
ふと、僕の手元を見ると入学式の次第が書かれた用紙があった。そこには【新入生代表挨拶海崎夢莉】と彼女の名前が書かれてあった。そうだ! これでいこう。
「あの時が初対面だよ。教室に居た時、手に便箋持ってたよね? 教室に忘れていた便箋を取りに来たんじゃないの? そう考えた時に、この次第に名前が載っていたからもしかしてと思って」
僕は陳腐な頭ではそれらしい言い訳しか出来なかった。それなりに辻褄が合うように、君が海崎さんだと言うに至った経緯を伝えた。
「すごーい。ドラマの探偵さんみたいだね」
彼女は少しも疑う様子は無く、今度は目から鱗と言った表情だ。
「夢莉ー。早く行こうよー」
海崎さんの後ろから、彼女を呼ぶ声があった。同じクラスの
もう、この時点から仲が良かったのかと、目を洗われる思いだ。彼女は今行くと友原さんに声を掛けて、僕の方に向き直り、また明日ねと小さくバイバイしてくれた。
僕は彼女に釣られて手をひらひらとしてしまった。
「見ちゃった。蓮ちゃん、ぽーっとしちゃって」
後ろを振り返ると、母さんがにやけ顔で立っていた。自分でも気づかないまま彼女が見えなくなるまで、目で追いかけていたようだ。
「別に何でもないよ、母さん」
「あら、あら――。母さんだなんて、寂しい事言うのね。昔みたいにママって呼んで欲しいわ」
「やめてくれよ。もう、子供じゃないんだから」
からかう様に言う母さんはどこか楽しそうだった。そんな、母さんを連れて僕は今後必要な教材等を買って帰路についた。
自転車を押して歩く僕の横で母さんは鼻歌を愉しんでいた。以前もこうやって母さんと一緒に帰ったな。その時は確か……買い物するのを忘れて家に帰ってから再び出掛けた筈だ。
これも以前と同じならば、時間が戻ったと確信しても良いのでは無いか。二度も続けてとかは流石にあり得ないだろう。良し検証してみよう、それと無く僕は母さんに聞いてみた。
「このまま帰るの? 何か忘れている事無い?」
母さんはわざとらしく眉間に指を当てて、何やら考えている。何か思い出したようで、これまたわざとらしく両手を叩くのだった。
「あ! 夕飯の食材買いに行くの忘れていたわ」
偉い偉いと言わんばかりに僕の頭を乱暴にぐしゃぐしゃと撫でる母さんの手を軽く押しのけた。僕達はそのまま近所のスーパーに寄ってから再び家へと向かった。
やっぱりだ! 高校生活の全てを覚えている訳では無いけれど以前と全く同じだ。じゃあ、このまま僕は同じ高校生活を繰り返すのか? いや、繰り返さない為に何かをするべきだ。
「ねぇ、母さん。ちょっと、欲しい本とか色々あるんだけど、その……」
その言葉は母さんに向かって口にした事が無いものだった。それを聞いた母さんは驚きを隠せないようだった。それはそうだろう、僕が母さんに何かお願い事をするなんて、初めての事だったのだから。
それでも、母さんは何も聞かずにごそごそと財布から一万円札を出してくれた。
「入学祝いとして渡しとくわ」
「ありがとう!」
母さんと共に買い物を終えて家に帰った僕は、部屋で制服を脱ぎ捨てて、私服に着替えた。
玄関を出る前に、夕飯までには帰って来るからと、キッチンで準備をしている母さんに一声掛けて家を飛び出した。
僕には目的があった。一つは本屋で流行のファッション雑誌を数冊手に入れる事と、もう一つは、髪形を整える事だった。今の時代インターネットでも、情報が容易に手に入る。今までその手の情報を見ていなかった僕には、情報量が漠然で、直ぐに大海の荒波に揉まれるであろう事は想像に難くなかったのだ。
その点、雑誌は要点が纏められていて、情報量も程良いだろうと考え着いた。本屋で気になった本を数冊手に取り会計を済ませた。
本屋を飛び出し、今度はいつもの床屋へと向かった。幼少の頃から通っている床屋だ。カラン、カランと、店内に飛び込んだ僕を見て、店主は鳩が豆鉄砲を食ったようにしていた。この人は店主の
「なんだ、蓮ちゃんか。脅かさないでくれよ、また親父が怒鳴り込んで来たのかと思ったよ」
軽い溜め息を吐きながら安堵した表情をしていた。
斗真さんの父親は、頭部の毛が心許ない故に息子である斗真さんの所でいつも散髪をしている。言いにくい事だが、髪が薄いのに散髪なんてと思われるのが嫌らしい。
その父親は切り終わってから度々、切る前にはここに有っただの、無かっただのと店に乗り込み言い合いが始まるそうだ。店主曰く、定年して暇で構って欲しいだけなのだと言う。この辺りでは有名な話だ。
「ごめんなさい突然、この雑誌の様に清潔感のある風に整えて欲しいんです」
斗真さんは何かを察したようにニヤリと口元を上げた。
「ははん、蓮ちゃん確か今日、高校の入学式だったね。分かった。任せとけ!」
どんっと、胸を叩き意気揚々と、僕を椅子に座らせて髪を切りだした。
時折ぶつぶつと、髪の量が多いから野暮ったいなとか、トップは短めにして毛先に行くほど長めにとか言っている。
「全体的に髪をすいてっと、よっし! 整えてみたぞ、どうだ?」
さっきまでの毛量が嘘の様に、頭が軽くなった気がした。斗真さんが言うにはショートレイヤーカットと言うらしい。
「仕上に、ここをこうすると」
斗真さんは人差し指で、ワックスを取り上げて両手に馴染ますと、大胆に僕の髪を覆った。切ったままの状態よりも整っていて、先程までの印象とまた違った趣になった。
無造作だった僕の見た目が、たったこれだけで変わるのかと、全身の血流が早くなるのを感じた。
「ああ、そうだ。蓮ちゃん、これメーカーが置いて行った物なんだけど良かったら、持っていきなよ。俺からの入学祝いだ」
会計を済ませた僕に、こぶし大の箱を投げて来た。僕は慌てて両手を差し出して、わたわたと何とか落とさずに受け止める事が出来た。
箱にはヘアワックスと書かれていた。僕は笑顔で礼を告げて床屋を後にした。
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