碧空の月片
絵空こそら
満ち欠け
煌々と、月の光が差してくる。四角い天井から見えるのは満月だ。
僕は部屋の壁を爪で削って丸をつけた。
「何してるの」
彼女がきく。
「今日はゴールなんだ」
新月から始まり、満月に終わる。これは僕が考えた区切りだった。特に何をするわけではないけど、ただ漠然と生きているよりも達成感があるのだった。
「いいわね、それ」
「うん。それで、新月の日にはお願い事をするんだ」
「どんな?」
「そうだな……食事が柔らかいパンに変わりますように、とか」
「叶ったことがあるの?」
「ないよ」
ただの気休めだよ、と心の中で呟く。
隣室の彼女の姿を見たことがない。ただ白い壁で仕切られて、僕らは住んでいる。食事も、寝るのも、仕事をするのも、この部屋の中だけだ。物心ついた時からこうだった。ドアはない。隅のほうに小さく、食事を提供するための隙間があるだけだ。とても高いところにある天井には穴が空いていて、月の光が差してくる。
「私もお願い事をしようかな」
「どんな?」
「ここから出られますように」
彼女の声は低かった。
それは無理だ。思ったけれど、僕は「叶うといいね」と言った。
僕たちの仕事は、指で織物をつくることだ。一日分の毛糸が与えられ、ただひたすらに編む。編み目が揃っているか、ほつれがないか、ちゃんと毛糸を使い切ったかなど、厳重にチェックされ、品質がよければ食事を与えられる。僕と彼女の作ったものは安定して品質が良いと判断されていて、パンとミルクの他にスープやサラダがつくこともある。
今日の薄いスープの水面に、半月が揺れていた。僕は壁に爪で半円を描いた。徐々に月が痩せている。もう少ししたら新月だ。次のお願い事はどうしようかと考えながらスープを啜る。
ある新月の日、彼女が言った。
「私、ここを出るわ」
飲み込みかけていたスープが口から出そうになる。月光が差し込まない暗い部屋で、僕はごほごほと咳き込んだ。彼女が窘めるように「静かに」と言う。
「どうやって?」
「簡単よ、壁を壊せばいいの」
壊せっこない。この白い壁は特別頑丈な石でできていて、道具が使えない僕らは手も足も出ない。
「あらそう。なら、どうして、こんなことになるの?」
彼女がそういうと、隣室に続く壁はもろもろと音も立てずに崩壊した。僕が今まで付けてきた月の印も、一緒に床に落ちていく。僕は開いた口を閉じることができなかった。
壁の向こうから姿を現したのは、僕と同じくらいの背丈の子だった。長い髪が、僕と同じように淡く発光している。
「で、でも、部屋の外に出たら毒ガスが発生するんだ。だから部屋の外に出たら死んじゃうんだよ」
「そんなものは存在しないわ」
彼女は凛として言った。
「私たちは、そう思いこまされていただけ。月の満ち欠けのように毎日同じことの繰り返し。衛兵だって、本当はいやしないのよ。それにね、私たちは自分の作った商品の出来が良いと思っているけど、本当はみんな同じ出来なの」
口がからからに乾いていく。寝耳に水の情報ばかりだ。
「なんで、君がそんなことを知っているの」
彼女は笑ったようだった。
「だって、私は10000回目だから」
「どういう、意味」
「私たちは、月の欠片から培養されているの。天井の月は張りぼてだけど、あの光が私たちを動かしている。だから、この部屋にいる限りは、何度死んでも生まれ変われるの。死ぬのは決まって満月の日。そして目覚めるのは新月の日よ。君は新月をスタート、満月をゴールと言ったわね。間違っていないわ。君もきっと、心の奥ではわかっているんでしょう」
「……君は、この部屋でなら生まれ変われると言った。もし、外に出たらどうなるの」
「簡単よ。ゴールが一度きりになるだけだわ」
「……その後は?」
「わからないわ。でも、私はその、一度きりのゴールが欲しいの。永遠に続くゴールはもういらない」
そう言って、彼女は壁を殴った。先ほどと同じように、白い壁はもろもろと崩れていく。その隙間から現れたのは、目の覚めるような青色だった。
「……じきに、他の部屋の子たちも自分の生い立ちに気づくでしょう。外の人たちが対策を立てる前に私は行くわ。それじゃあ、さよなら」
彼女は青い空に向かって跳んだ。青色一色に抜けてしまった壁の一面に僕は叫んだ。
「待って!」
そして僕も跳んだ。ただ一回きりのゴールに向かって、白い床を踏み切った。
碧空の月片 絵空こそら @hiidurutokorono
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