ゴールだったはずなのに
高山小石
ゴールだったはずなのに
私は困っていた。
恋愛結婚して万年新婚夫婦と呼ばれていたパートナーが、子どもが産まれてから豹変してしまったからだ。
最初は、自分も含めて初めての子育てに慣れていないからだ。子育てに慣れれば落ち着いてくれると期待していたが、そんなことにはならなかった。
どんどん酷くなる状況でも、ずっと「いつかは伝わる」「前のような生活に戻れる」と信じて十年経った。
十年も経つと、もう、なにが普通でなにがおかしいかもわからなくなった。
周囲に相談すれば、「夫婦で頑張れ」「母親がどうにかするべきだ」と言われた。誰も父親について触れない。すべては「母親のせい」らしい。
父親から傷つけられた子どもを必死にフォローしていたら、「子どもが普通に育っているから、あなたが言うほど酷い状況じゃないんじゃないの?」と言われた時は、つまり「自分の時間や身を削ってフォローしている方がバカなのか」と思えた。
誰もそんなことは言っていないのに「自分の子育ては間違っていて無駄だったのだ」と思ってしまい、今までのように子どもと接することができなくなった私に、パートナーは「子育てに飽きたのか?」と言った。
掃除をすれば「神経質だ」、洗い物をしていれば「そんなことはいいからさっさと寝かしつけろ」。家はどんどん汚くなって「散らかっているからイライラする」と怒鳴られる。
第三者からは「はっきり言わなければ伝わらないからハッキリ言いなよ」「気持ちを説明したらわかってくれるよ」と言われることもあるが、そもそも、話が伝わらない、はっきり言えば暴力でしか返ってこないから困っていると相談しているのだけど。
きっと、そういう助言をしてくれる人の周囲には、話せばわかってくれる、言葉が通じる人しかいないのだろう。過去の私のように。
もしくは「伝わるように伝えられないあなたの伝え方がなっていない」と思われているのかもしれない。外から見れば、そのようにしか見えないのだから仕方が無い。
暗に「そういう状況を作っているのは
自分もスピリチュアル好きだったので、そういう考え方は理解できる。
世界は自分の行動通りになる。
自分が世界を作るのだ。
嫌なら自分で変えるしかない。
ただ、限界ギリギリの、たとえば崖から落ちそうな時とか、銃をつきつけられて撃たれそうな時に、「相手に届く愛ある行動をとるべき」だと頭でわかっていてもできないし、体力や気力がなければ柵をつかんで這い上がれもしないのだ。
自分がどれだけ机上の空論を信じていたかがよくわかった。
今でもスピリチュアルに効果はあるとは思っているけれども、それはできる余裕のある状態でしかできない魔法であり、即効性がないこともわかった。
目の前の食べ物を今すぐ食べないと飢えて死ぬ人間に、「一日おけば倍に増えるから待つ方がお得だよ」と言うようなものだ。残念ながら、すぐに食べなければ、増える頃にはその人は生きていない。
私はずっと「パートナーが元に戻れば以前のような生活に戻れる」と信じていたし、ずっとその生活を望んでいたが、困った事態になったからだ。
そんな十数年を送ってきたからか、突然、パートナーに対する気持ちがすっかり冷めてしまったのだ。
申し訳ないが、もう以前と同じようには想えない。
客観的に見れば、ずいぶんマシになったのだと思う。
でも、愛の言葉を囁かれても、なにをされても、まったく心が動かないのだ。
なにかしてあげたいと思うこともない。
それはパートナーに対してだけではなくて、子どもに対しても、親に対しても、友達に対しても、世界に対して等しく同じに、心が動かない。
世界は、自分とそれ以外しか存在しなくなった。
いや、以前の自分も存在しない。
なにもない。
そして周囲から言われるのだ。
「これだけ改善したのだからいいじゃない」と。
最初に願っていた状況に戻れたはずなのに、ゴールはここだったはずなのに、たまに聞く怒鳴り声に、死を願うようになってしまった自分がいる。
望んでいた状況にいるのに、もう自分は望んでもいないのだ。
ゴールだったはずなのに 高山小石 @takayama_koishi
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