Recordless future 〜after memory〜
宮下龍美
手にした未来と赤き龍
幸せの音色
第1話
春。
出会いの季節と呼ばれるその時期に。桐原愛美は、一人の男と出会った。
「ようこそ、桐生探偵事務所へ。なにか困りごとでもあるなら、助けになるぜ?」
愛美の住む棗市に、ある日突然現れた自称探偵。桐生織。
いや、事務所を構えている以上は許可証的なものは得ているのだし、自称しているだけというわけでもないのだろうけど。
この街は桐原組という、いわゆるヤクザのシマだ。誰あろう、愛美はそこの一人娘である。そんな桐原組の御令嬢が、うちに挨拶もなく勝手に開いた探偵事務所へ親友と共に向かったのは、すでに一週間ほど前。
「それにしても良かったね。あの桐生って人、悪い人じゃなさそうじゃん」
声をかけてきたのは、親友の桃瀬桃。
場所は二人が通う棗市立高校。その生徒会室で、お弁当を食べてる最中。
午前中だけで授業が終わった今日、午後からは明日に行われる入学式の準備だ。
生徒会長の愛美と副会長の桃は、お弁当を食べ終わったら忙殺されることになるだろう。
「悪い人じゃなさそう、ってだけよ。実際はどうか分からないわ。だって、どう考えても怪しいじゃない。私たちと歳は変わらなさそうだし、一緒に暮らしてるっていう妹は、びっくりするくらい私に似てるし」
「ねー、朱音ちゃんだっけ? あれはさすがにびっくりしたなぁ」
あの日から今日までで、三度ほどあの事務所を訪れた。その中で、いくつか分かったことがある。
まずあの事務所には、桐生織と桐生朱音の兄妹二人で住んでいること。織はどう見ても愛美たちと同世代なのだが、なぜか随分と大人びた雰囲気を感じること。朱音が本当に驚くほど、愛美と似てること。
特に最後は本当に驚いた。自分の生き写し、とまでは言わない。全く同じ顔をしているわけじゃなかった。似ているだけだ。
ただし、親子や姉妹と言われれば納得してしまうレベルで。
それが逆に、妙なリアルさを与えて気持ち悪い。
朱音のことが嫌いになったというわけではない。あの子自体は、とても可愛らしい子だ。元気溌溂、天真爛漫、無邪気な十四歳。
愛美は自分が可愛いと自覚しているので、必然的に朱音も可愛い。
「お二人とも、噂の探偵事務所に行ったんですか?」
と、ここで疑問を呈したのは、生徒会の会計。可愛い後輩、黒霧葵だ。
ツインテールの髪を揺らして首を傾げ、その瞳は好奇心に輝いている。
「春休みの間に三回くらいね」
「わたしは愛美ちゃんに無理矢理連れて行かれて。そうだ、今日は葵ちゃんもついてくる?」
「いいんですか? だったら行ってみたいです」
今日も入学式の準備が終わった後、あの事務所を訪ねる予定だった。
愛美はなんとしても、一刻も早く、あの男の化けの皮を剥がしてやらないとダメなのだ。なぜかその様な使命感に駆られる。
理由を聞かれれば、はっきりとした答えを返せるわけではないけれど。
あの二人の存在が、妙に気になってしまう。
「あ、それはそうと。愛美さん、明日はそのネックレス外してて下さいよ」
「本当だよ愛美ちゃん。生徒会長が率先して校則敗るとかダメだよ」
「別にいいじゃない、ネックレスのひとつくらい」
ブラウスの内側に隠していたネックレスを、外に出す。チェーンで吊るしているのは指輪だ。愛美が普段、肌身離さず身につけているもの。
桃の言う通り、本来なら校則違反のはずなのだが。教師陣は愛美になにも言ってこない。彼女の実家を恐れているのもあるが、実際に愛美が優秀すぎて何も言えないのだ。
まさしく、文武両道。
勉強は常に優秀な成績を収め、生徒会活動も率先して精力的に行い、過去にはスポーツでも多くの賞を取っている。空手や柔道を始めとした、格闘技方面が特に多いか。中でも剣道は群を抜いて優秀だ。県内ではもう彼女に敵うものがいないレベルで。
生徒たちからの信頼も厚く、ネックレスの件以外は校則違反もない。
だから見逃してもらってるのだが、副会長と会計は、せめて公の場でくらいは外していてくれと毎度うるさい。
「そもそも、その指輪って愛美ちゃんでもよく分からないものなんでしょ?」
「誰かに貰ったもの、ってことは覚えてるんだけど」
「でも、どこで誰に貰ったのかは分からないんですよね? 気味悪くないですか?」
「失礼ね、いつかこの指輪をくれた相手が、私を迎えにきてくれるかもしれないじゃない」
「出た、愛美ちゃんの乙女思考回路」
「私はれっきとした乙女よ」
本当に、この指輪のことに関しては全然覚えてないのだ。気がつけば部屋にあって、誰かから貰ったと、ただそんな気がするだけ。
葵の言う通り、どこで誰に貰ったのかなんて分からない。それでも捨てる気にならず、それどころか肌身離さず持ち歩いている。
学校の外では、男避けに丁度いいからと指につけてるし。
指輪を贈ってくれた相手が現れる、なんて。なにも本気で信じているわけではない。仮に現れたとしても、すでに会っているとしても、愛美は覚えていないのだから確認のしようもないのだし。
「ほら、くっちゃべってる暇があったら、さっさと食べなさい。もうそんなに時間ないんだから」
「相変わらず食べ終わるの早いですね……」
「お弁当、愛美ちゃんのだけ明らかに量がおかしいのにね……なんで太らないんだろ、この子」
人体の不思議に首を傾げる二人がお弁当を食べ終え、三人で体育館に向かう。
やることはカーペットを敷いたり椅子を並べたりと、単純な肉体労働だ。いくつかの委員会も動員させているので、愛美は彼らに指示を出し、自らも体を動かした。
三十人近く人が集まれば、この程度の雑用はすぐに終わる。問題も起こらずに解散を言い渡し、全員帰ったのを見計らって、愛美たちも帰る。
とはいえ、これから向かうのは自宅じゃないのだけど。
生徒会室にカバンを取りに戻り、戸締りもしてから学校を出た。その足で商店街を通り抜け、その先にある桐生探偵事務所へ。
「愛美さんにそっくりな女の子かぁ……会うのが楽しみかも」
「私からしたら、意味が分からなくて怖いけどね」
「自分に似てる人間は世界に三人いる、って言うんだし、そのうちの一人ってことじゃない? まあ、それにしてはたしかに、ちょっと似すぎてる感じはあったね」
薄寒いものを感じるほどに。
重ねて言うが、朱音自身は好感の持てる子だと思う。まだ三度しか会っていないのにやたら懐いてくれるし、可愛いし。
ただ、あの二人の素性が謎すぎるから、自然と警戒心が高まってしまうのだ。実家が実家だから、余計に。
さて、そんなこんなでやって来た探偵事務所。その建物を見上げて葵は、ほへー、と間抜けな声を出している。
「これはたしかに、胡散臭い感じありますね」
なにせ立地が悪い。あまり人通りのない道に、ポツンと立っているのだ。両サイドに建物はなく、ここだけ異世界に迷い込んでいるのかと錯覚する。
今は中の電気が点いていないから、余計に怪しい。
と、そこで気づいた。
いつも愛美が来る時は毎回電気が点いていたし、織と朱音の二人は普通に中にいて出迎えてくれた。
しかし、どうも今は不在の様だ。
扉には、こんな張り紙が。
『一週間ほど留守にします』
怪しさが増した瞬間だった。
◆
「ぶえっくしょい!」
「ちょっと父さん汚いよ」
「きたなッ……⁉︎」
隣の娘に真顔で言われ、織は突然の大ダメージを負った。
肩の上ではミニチュアサイズに縮んでしまった、全長十五センチの吸血鬼が、声を忍ばせて笑っている。
「くくっ、いい気味だな探偵」
「黙れ投げるぞ」
雑に言い放てば、笑い声が止まる。
灰色の吸血鬼グレイ。こいつは今、ほとんどの力を失っているのだ。使えるのは多少の魔力行使と、異能のごく一部分のみ。
魔力行使が出来るとは言っても魔術は使えないし、かつて猛威を振るった『崩壊』なんてもっての外。
今では無力なマスコット。こうして織の肩に乗らなければ、移動すらままならない。
桐生織と桐生朱音、そしてグレイ。
この三人は、再構築された新世界の中で、数少ない旧世界の記憶持ちだ。
それも当然。なにせ世界の再構築に、直接関わっている三人なのだから。
さて、そんな親子二人とマスコット一体が現在立つのは、残念ながら再構築された世界のどこでもない。
「シキ! アカネ! ようこそドラグニアへ! また会えて嬉しいわ!」
彼方有澄の生まれた異世界。
ドラグニア神聖王国。
かどうかも分からない、鬱蒼とした森の中だった。
事務所の準備やらなんやらもひと段落したので、一度シルヴィアに会いに行こうと言う話になったのだ。グレイも異世界に興味はあったようなので、ついでに連れて来た。
いやはや、異世界に来てまずどことも分からない森の中に放り出された時は、マジでどうしようかと思ったけど。
十分もしないうちにシルヴィアが飛んできてくれた。
「よっ、久しぶりだなシルヴィア」
「こんにちは、シルヴィアさん!」
「ほう、異世界のドラゴンが人間の姿を取っているのか。これは興味深いな」
ギュッと朱音に抱きつくシルヴィア。それを嫌がることもなく受け入れて、朱音も嬉しそうに笑っている。
「あら、その小さい人は妖精さんかなにか? 随分可愛いわね」
「妖精ではない、吸血鬼だ」
「こいつあれだぞ、俺たちの世界がああなった元凶だぞ」
まさかこんなやつに対して、可愛いなどと言ってしまうとは。ドラゴンの美的感覚はそんなもんなのか、あるいはシルヴィアがおかしいだけなのか。
「それにしても、まさかこんなところに出てくるなんて。間に合ってよかったわ」
「こんなところ? なにかあるんですか?」
ホッとした様子の友人に、朱音が首を傾げて尋ねる。
そもそも織たちは、この世界の地理なんて全く知らない。だからここがどこかなんて分かるはずもないのだが、シルヴィアの言い方からはなにか不穏な気配がする。
こういう時、織の嫌な予感はよく当たるのだ。当てたくないのに。
「ここはどこの国にも属さない中立地帯なのだけれど。その理由がまた面倒なものなのよ。森の深くには、ちょっと厄介なドラゴンが住んでいてね」
「厄介なドラゴン?」
「この世界の伝説に現れる、創世の龍。その片割れの赤き龍にご執心のバカがいるのよ」
困ったように頬へ手を当てるシルヴィアだが、赤き龍とはこれまた聞き覚えのある単語だ。
織たちの旧世界において、ダンタリオンが最後に発動した魔術。黙示録の獣を召喚し、復活させようとしていた魔王。
さてでは、その魔王とやらの別名はなんだったか。
マジで面倒なことにしかならなそうなので、織は考えるのをやめた。
「というわけで、こんなところはさっさと出ましょうか。もうみんな、ドラグニアに揃ってるわ」
シルヴィアの開いた転移の魔法陣に乗り、一瞬でドラグニアの城下町へ移動する。
移り変わった視界には、レンガ造りで三階建ての建物が。大きな交差点の角に位置していて、しかしこれと言った看板などは見受けられない。
「ふむ、魔力で動く車か。いや、車だけではなく電気などその他のインフラも魔力に依存しているな。おい探偵、魔導収束を使ってみろ」
「嫌に決まってんだろ」
そんなことをしたらどうなるか、織でも簡単に分かる。
肩の上に乗ったミニチュア吸血鬼の戯言は聞き流し、改めて目の前の建物に向き直る。
そもそも今日は、明確な目的があってこの世界に来た。
シルヴィアと会いたかったこともあるが、それともう一つ。凪経由で、ドラグニアで戦勝会をやろう、と連絡が来たのだ。
数日前に一度会いに行った龍とルーク、それから凪と冴子が織たちの世界から参加する。そちらはアダムとイブが迎えに行くらしいので、織たちは蒼から貰った魔導具でこちらにやって来た。
まあ、勝利を祝うことだけではなく、もう一つ目的があるのだが。それはこの場では言うまい。
「戦勝会って、ここでやるのか?」
「ええ。城だとどうしても、織たちが緊張してしまうでしょう?」
「たしかに……」
「マナミがいないことは聞いていたし、それだと陛下との謁見も苦労するだろうって、アオイ様が気を遣ってくれたのよ」
そう、基本的に王様との会話を一任していた愛美は、もういない。
本当なら一緒に来たかったし、シルヴィアも愛美に会いたかっただろうけど。今の愛美は、魔術や異能、異世界のことなんて何も知らない、ただの女の子だ。
この数日、何度か事務所に訪れた彼女らとの交流で、嫌と言うほど理解させられた。
「だからここに集まっているのは、あの時にシキたちの世界に行った人たちばかりよ」
「それは良かった」
「ご飯! ご飯はたくさんありますか⁉︎」
「ええ、もちろん。アカネのために、アリス様たちが沢山作ってくれてるわ」
やったー! と喜ぶ朱音。この世界、この国の料理は結構気に入っていたみたいだし、娘が笑顔で織も嬉しい。
ウキウキのままに扉へ手をかける朱音が、勢いよく開いた瞬間。
パパパパン! と、乾いた音が連続して鳴った。飛び出したカラフルな紙吹雪が、朱音の黒髪を彩る。
「朱音ちゃん、お誕生日おめでとうございます!」
穏やかな笑みと共に祝いの言葉で出迎えたのは、この国の第一王女たる彼方有澄。
その旦那や転生者を始めとした、織も知り合いの人たちに、龍の巫女である三人と、ドラグニアで知り合った何人かが。
皆一様に笑顔で、対する朱音はポカンと呆気に取られてる様子だ。
そう、本日4月6日は、桐生朱音の誕生日である。
「誕生日おめでとう、朱音」
ぽん、と頭に手を置いてやれば、まだ驚愕から立ち直れてない顔が見上げてくる。
娘の誕生日になにかしてやりたいと思った織は、今回の戦勝会を使わない手はないと考えたのだ。
出来るだけ、沢山の人に祝ってもらいたい。一番いて欲しい人たちは、ここにいないけど。その悲しさを吹き飛ばすくらい、盛大に。愛美やサーニャの分も、今ここにいる織たちが。
やがて、じわじわと状況を確認できてきたのだろう。さてどれくらい喜んでくれるかな、と少しワクワクしていた織は、朱音の反応を見てギョッとした。
なにせ眦に雫が浮かんできたのだ。
織だけでなく、凪や有澄まで驚いている。
「あ、朱音? どうした? もしかして気に入らなかったか?」
「ごめんなさい朱音ちゃん! びっくりさせちゃいましたよね!」
「お、俺の孫が泣いてる……! おいこら織! お前、朝ちゃんと一番最初におめでとうって言ってあげたんだろうな!」
「言うわけないだろサプライズするつもりだったんだから!」
「なに⁉︎ それは親としてダメだぞ、愛する我が子の誕生日は、俺たち親が真っ先に祝ってやるもんなんだからな!」
「愛する我が子の誕生日にぽっくり死んでた父親に言われたくねぇ!」
「お前それは禁句だろうが!」
「落ち着きなさいバカ親子」
冴子のゲンコツが凪に落とされた。
お母様を怒らせたら怖いことは織もよく知っているので、言われた通り黙って落ち着く。
織と凪が馬鹿やってる間にも、朱音はぽろぽろと涙を溢していた。
本当にどうしてしまったのかと不安になるが、キュッと織の袖口を掴んだ朱音は、泣きながらも笑顔を浮かべていて。
「私、こんなにたくさんの人から祝ってもらえたの、久しぶりだから……父さんから、おめでとうって言ってもらえたのも……だから、嬉しくって」
朱音が生まれた世界のことを考えれば、それも当然の話だ。
幼いうちに死んでしまった両親。それまでは毎年、仲間たちと共に盛大に祝っていたのだろうが。一人、また一人と身近な人がいなくなり、ついには両親まで失って。
その様な時間を、転生という形で何度も繰り返してきた。
更には数え切れないほどの短い時間遡行、グレイに殺されてからその数日前に戻る、ということも行い、果ては二十年のタイムスリップ。
今日に至るまで、織はおろか、蒼たち同じ転生者ですら及びもつかない時間を超えて、朱音はここにいる。
「だから、本当に。本当に、嬉しい。ありがとう、父さん」
心底幸せそうな満面の笑みを見て、織は思わず、娘の体を優しく抱きしめた。
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