第5話 気持ち悪い
「い……えっと……いくら先輩でも、家まではちょっと……お母さんもいますし……」
これは人間社会で最近問題になっているという『パワハラ』だとか『セクハラ』だとかいう類のものなのだろうか。尊敬しなければならないと意識的に考えていた先輩からの突然の申し出に、ポルカは頭が真っ白になりつつもそう否定の意思を途切れさせながらも伝えた。
「家の人のことなら何も問題ないよ。俺だって職場の先輩として挨拶しておきたいし。可愛い娘さんのことは俺に任せてくださいって……って、なんだかこれじゃ結婚の挨拶みたいだね」
はははっと声こそ爽やかな印象を出そうとしているが、その表情はだらしなく――いや、気持ち悪いぐらいにいやらしく笑っている先輩に、ついにポルカは表情にも嫌悪感を隠しきれずに出してしまう。それに気付いたガルディアの表情が嫌そうに曇ったのが余計に腹立たしくて、ポルカはどうにかして言い返さないとと頭をフル回転させる。
目の前の先輩がいやらしい目で自分を見ているのは確実だ。学生時代、教員から同じような目で嘗め回すように見られた経験のあるポルカは、その事実を誰にも言えずにいた。しかし普段からよくポルカのことを見ていてくれたロンドが悟ってくれていたらしく、彼がその教員に注意をしたことでその時は解決したのだった。
だが、今はその頼れるロンドがいない。しかし、ポルカもあの時のまま成長していないわけではなかった。友人に対して優しいポルカだが、それは友人や自分に害をなさない相手にだけで良いのだということを、あの時にちゃんと学習したのだ。
害のある相手には、ちゃんと拒絶の意思を見せれば良い。
自らの周囲に青竜特有のダイアモンドダストを漂わせていることにも気付かない程に、ポルカは拒絶の言葉を考え込む。一応、こんなだらしない男でも先輩は先輩なので、彼の顔を立てつつ、それでいて違和感なく、そしてはっきりと拒絶を、出来ることならば今回限りでこんな申し出は二度と出来ない程度にはわからせてやりたい。そんな言葉……んー。
――なんて言ったら正解なんだろ? 嫌です? 恥ずかしいから入らないでください? いや、それだとなんだか嫌がってないみたいに思えるし……あー、ほんと気持ち悪い!
ポルカの交友関係は、ロンド以外は女友達ばかりに囲まれている。女友達ばかりということは、友人達との間での話題はだいたいが恋人や好きな相手、または本の話や他の里から流れてくる噂話であった。
目を見張るような麗しい見た目に惹かれるときゃいきゃい言っていた友人達とは異なり、ポルカの好みはどちらかというと地味だ。ロンドのことが好きなことからも、それは間違っていないのだろう。友人達からは「さっさとくっつけ」と野次られているのだが、彼女達からの批評ではロンドはせいぜい『中の上』クラスらしい。
それくらい見た目に関しては穏やかな審査をするポルカだが、そんなポルカでもガルディアのあのねちっこい笑顔には嫌悪感しか抱けなかったのだ。
――にやにやしたさっきまでの顔も気持ち悪いけど、今の青くなった顔も……って、なんで青くなってるの!?
今の今まで相手への返答に集中し過ぎていて気付かなかったが、目の前の悩みの種はどういうわけか赤竜のくせに青い顔をしてこちらを見ていた。首こそこちらを振り向いたままだが、ガタガタと震える身体を両腕で包み込むようにして、まるで今にも凍死でもしてしまいそうな勢いで……
「なんでっ…って、私ったら、ごめんなさい!!」
そこでポルカはようやく気付いた。あまりに集中して頭を働かせてしまっていたせいで、思わず青竜の魔力まで発動させてしまっていたのだ。
魔力の発動は精神の集中によって発動する。あまり勉強が得意ではないポルカは、もちろん集中するということに関しても苦手であった。普段から物事に集中するという習慣が身についていないために、あまりに無理して集中するとすぐに今のように周りの大気を冷やしてしまうのだった。
ポルカのこの癖はクラスメート達には有名だったため、ポルカの意識が怪しさを孕んだ瞬間にはすでに、ジーグはさっさとシートベルトを外して逃げ出していたらしい。無意識化での魔力の発動の場合、範囲はそれ程広くもならないので、ジーグが営業車から飛び出せば、彼にはなんの被害もない。
「いや、これくらいなんとも、ないさ……はは、ははははは」
凍り付いた肌を内部から炎の魔力で溶かしながら、ガルディアは乾いた笑いでそう答えた。口では謝りはしたポルカだが、本心から百パーセント彼のことを気の毒には思えないのも事実なので、敢えてそれ以上言及せずに伝える。
「それなら良かったです。えっと、私……すぐに荷物用意して来ますね」
にっこり笑ってそう告げて、ポルカは元気に営業車から飛び出し、軽い足取りでそのまま家の扉へと向かいつつ、振り返って逃亡を図っていたジーグに声を掛ける。
「ジーグくん! 早く先輩をお家に案内してあげなよ! きっとジーグくんの立派なお家に驚くから! ね!」
気難しい、というか単純に器の小さい男であるジーグの気を害さないように気を付けながら、ポルカはジーグに向かって出来るだけ優しく、それでいて『心底羨ましがっている』ように聞こえるように言った。
「あ、ああ。そうだねポルカちゃん。平凡な家系の出ならきっと見たこともない豪邸だろうからね」
びくびくと震えながら隠れていた門――彼曰く平凡な家代表であるポルカの家の門だ――の陰から顔を出したジーグは、作戦通り伸ばしに伸ばした鼻を隠すこともなく大袈裟に咳払いして見せて言った。
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