第6話 大事な私物


 ひとまず己の身に降り掛かりかけた危機から抜け出したポルカは、自室へ入って安堵の息を吐いた。

 酷く慌てた様子で帰って来た娘を、母親はとても心配したが、さすがに真実をそのまま伝えるわけにもいかず、会社の面接に受かったこと、そのため今夜から会社の女子寮で生活することになったこと、週末にはちゃんと帰って来ることを順番に伝えた。

 突然のことにさすがに母親も驚いてはいたが、仕事をしている父親が帰って来る頃までは待てず、準備が出来たらそのまま寮に行かないといけないと言うポルカに頷き、ポルカが荷造りしている間に連絡を取っておくと言ってくれた。会社への就職自体は両親共に賛成だったため、開口一番に褒めて貰えたことがポルカはとても誇らしかった。

 学生時代は勉強が苦手でスポーツもあんまりだったこともあり、授業参観や進路指導の時間でも褒められるというようなことがなかったのだ。可愛らしい、目に入れても痛くない一人娘だと両親共に言ってはくれるが、ポルカの能力に関してはこれまでほとんど褒められた記憶がなかった。

 それでも『馬鹿な子程可愛い』という言葉もあるように、ポルカは本当に愛されて育ったと自分でも思う。過保護でもないが奔放でも決してない両親であった。しっかりと家に帰る時間の門限があったし異性の交際相手に関しては厳しく制限されていた。そもそもポルカはロンド一筋だったしその彼とはまだ友達止まりなので何の問題もなかったのだが。

 ふぅっと一息ついてから、時間もあまりないことなので早速荷造りを開始する。実家を出ての生活など、ポルカにとっては初めての経験だ。そもそもドラコニアンは里からほとんど出ないので、成学校を卒業するまで実家生活を送る者が大半であった。

「んー、何持って行けば良いんだろ? まずは服と、下着と……えーっと……なんだろー?」

 ポルカは精一杯考える。自らが生活する上で、絶対に自分で持って行かないと困る物を、一日の生活を振り返りながら手に取っていく。朝起きるための目覚まし時計に、目覚めてすぐに手に取る携帯電話。着替える服一式にお風呂セット(ちなみに髪の毛のセットは擬態なので魔力で済む)。そして何より大事なメモ帳を持てるだけ。

 自分の頭が悪いことを自覚しているポルカは、もちろん記憶力も相応に悪いことを自覚している。なので普段からメモ帳を持って行動しているのだ。今回の面接の対策のためにロンドに選んでもらったマナー本の内容だって、ちゃんとメモ帳にまとめて書き写している。だってほら、書かないと覚えないって言うし。

 朝からの行動を思い起こしても、その朝の部分だけで持って行く物の大半は手にしてしまっていたポルカは、それから更に残りの生活で使っている部屋着と化粧道具、それに残った鞄のスペースにロンドから借りてハマった少女漫画を数冊放り込んでおいた。鞄は学生時代から使っているお泊りセットを入れるために用意した大きなものなので、これだけのものを全て詰め込むことが出来た。ちなみに人間達が使うものよりはこの鞄は大きめらしい。

 ポルカと少女漫画との出会いは、ロンドと同じく幼学校の時だった。休み時間、隣の席でロンドが何やら手のひらサイズより少しだけ大きな紙の塊を見ていることに気付いたポルカは、それが『小説』だと言うことを教えてもらい、自分も彼と同じものを読みたかったが文字ばかりで内容がよくわからなかった。

 ふくれっ面をして文字を眺めるポルカの表情がそんなに面白かったのか、ロンドはその時は大きな声で楽しそうに笑っていたが、次の日、ポルカのためにイラストばかりの『漫画』を持って来てくれたのだ。

 授業で使う教科書は文字ばかりでつまらないものだったが、漫画はそれらと同じ『書物』とは思えない程ポルカの心を刺激し胸をときめかせた。

 人間の里では既に紙に文字やイラストを印刷する技術は広まっているのだが、このドラコニアンの里にはまだ入ってきていない技術だ。なのでドラコニアン達は人間の里で手に入れた書物の内容を魔力によって複写することによって、必要数の確保を行っている。

 そのためほとんどの書物が人間達が作ったもののコピーで、里内で新たに書かれたものは手書きが主であった。

 ロンドがポルカに貸してくれた漫画も、人間が描いたものであったために、その内容は『人間の男女が恋愛して恋人となる』というものだった。

 人間の世界ではドラコニアンのように属性によって結婚相手が制限されるという文化はないようだったが、互いの家柄を気にするという部分は共通していた。

 いろいろなカタチの恋愛を漫画はポルカに提供してくれたが、その中でもポルカが特に気に入ったシチュエーションが、『同じクラスの同級生同士の恋愛』と『家柄を越えた愛で結ばれる恋愛』だった。

 どちらも結論から言えば自分とロンドを当て嵌めて楽しんでいるだけなのだが、物語の世界に没頭している間、確かにポルカは現実の疲れなんて吹っ飛んでいたのである。その効果を期待して、自身の心を守るためにもこの漫画達は会社の寮には必要だった。

「遊び道具、なんて言われるかな? でも私物なんて、何持って行っても良いよね」

 そう独り言ちながら手に取ったのは、魔力によって紙に刻んだロンドの姿。人間で言うところの『写真』という技術をそのまま魔力で行ったもので、手のひらサイズの手帳にそれをひっそりと挟み込む。そしてそれを大事に鞄に入れて、ポルカは自室の扉を開けた。

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