切望したもの
蒼空苺
第1話 切望したもの
『ねぇ、そういえばもう子どもいるんだっけ?』
久しぶりにLineで連絡が来た友達が、ふいにそう問いかけてくる。
結婚したのはゆっくりだったが、お互いに仕事に生きがいを感じていたため、すぐには子どもを持つことを望んでいなかった。
しかし出来てもいいかとも思っていて、積極的に避妊をしていたわけではないが、妊娠に至ることはなかった。
「まだ子どもはいないよ。今まで仕事が忙しいし、いつかは欲しいと思っていたけど、まだかなぁって二人で話してたんだよね。
……でも、そうだね。そろそろ考えてみようかな。」
実父母や義父母からの圧力がないわけではない。
友達からもこうして尋ねられたことは何度もあった。
しかし、なぜだか今日はやけに胸に引っかかるものがあった。
仕事は中間管理職となり、やりがいはあるが物足りなさも感じてきた。
結婚生活も2年経つと、様々なことに慣れてくるもので、仕事と家事の両立もなんとかこなせるようになってきた。
そう。つまりは、たぶん今の状況にマンネリしているのだ。
余裕が生まれたことで、この先の夫婦の未来に思いを馳せることが出来るようになったのだろう。
このことをきっかけに、夫とも話をすることにした。
子どもはお互いに嫌いではないし、いつかは欲しいと結婚当初から話をしていた。
しかし、なぜだかひどく緊張する。ドキドキする鼓動が収まらない。
お茶をひと口含んで、乾いた口を湿らせる。
深く息を吸い込み、意を決して声を掛ける。
「ねぇ、そろそろ子ども……どうかな?」
「子ども? そうだねぇ。出来れば欲しいし、そろそろ考えてみようか。
君は大丈夫なの?」
彼はきょとんとした表情をしたが、すぐににこやかに笑いながらそう返してくれた。
予想以上にのんびりとした返事が返ってきて、ほっとしたような、肩透かしをくらったような気持ちになる。
そして何より私を気遣ってくれる彼に、ほんわかとうれしい気持ちが湧いてきた。
「うん。授かりものだって言うし、すぐにできるかは分からないけど。私も子どもが欲しいし、あなたとの家族をもっと増やしたいと思うの。」
「そうだね。家族が増えると、きっと大変なこともあるけど、楽しいことも増えるだろうしね。うん。考えるだけで、楽しみが増えるね。」
そう言いながら、そっと手を重ねてくる彼。
「ふふ。そうね。」
笑い合って未来を語りあえる夫婦でいられて幸せだと感じた。
そして、重ね合わせた温もりを分け合える関係でいられることが、本当に幸せだ。
**********
だが幸せな気持ちは、長くは続かなかった。
最初の生理が来て、少し残念な気持ちになって。
2回目の生理が来て、次こそはと意気込んで。
3回目の生理が来て、どうしようと焦り始めた。
授かりものだと、すぐにはできないと思っていても、期待する気持ちは膨らむばかり。
それに反して、月経が来るたびに落ち込むようになった。
半年が過ぎたころ友達に相談してみたら、不妊治療をすすめられた。
「不妊治療? 半年くらいで?」
「そうね。2年夫婦生活があっても妊娠しないときに不妊症というの。
でも、一度専門の病院に行って、今の体の状態を調べてもらうだけでもしてみていいんじゃないかしら。治療というよりも、まずは検査ね。
ホルモンの状態とか、卵管は詰まっていないかとか、排卵がちゃんとあるのかとか。
まずは次の生理まで1周期、基礎体温をつけてみるといいかもしれないわね。」
「なんだか、大変なのね……。」
「そうねぇ。望んでいても、子どもを授かれない人は結構多いのよ?
早めに一度検査してみることをおすすめするわ。」
「そっか……。うん。そうしてみようかな。」
この時尻込みする私を優しく励ましてくれた友達がいたことは、今までの中でも幸運な出来事の一つだったと思っている。
*****
検査の結果、卵管閉塞があるとのこと。
つまり、卵子が通る管が詰まっているため、子宮まで卵子がやってこられず、妊娠に至らない状況だという。
私の場合、体外受精しか妊娠の方法がないとのことだった。
そう告げられた時、目の前が真っ暗になるような感覚に襲われた。
望めばすぐに妊娠に至るだろうと思っていたのに。
頭をガツンと殴られたような錯覚を覚える。
「君のせいじゃない。僕は、このまま治療しないで二人の生活を選ぶのもいいんじゃないかとも思っているよ。」
「な、なんで? 子ども、欲しくない?」
「いいや。欲しいよ。君との子どもだ。出来ることなら、二人で抱きかかえてみたい。けど、こんなに君を追い詰めてまで求めるものでもないと思ったんだ。
僕は子どもも大事だけど、それよりも生涯ともにいると誓った君のことが一番大切なんだ。」
真摯に見つめながらそう伝えてくる彼に、耐えていた涙があふれ出てしまった。
この彼を愛しているから、彼の子どもを抱きたい。
そして、この時の彼の言葉で、もし大変な治療が待っていても彼となら乗り越えられると確信した。
「私、あなたとの子どもをこの腕に抱きしめたい。お願い。私にその夢を叶えさせて。」
「……そう。わかった。どうなったとしても、必ず僕は君のことを支えるから。
でももし、追い詰められてダメだと思った時、その時は終わりにするって約束して欲しい。」
「うん……。わかったわ。約束する。」
「うん。じゃぁ、少し二人で頑張ってみよう。」
「うん。」
抱きしめられた腕が、少し痛い。
でも力強いこの腕に抱かれて、ほっとした。
そして、なぜだか予感がした。
必ず、私たちの元に来てくれると。
*****
治療はスムーズなものではなかった。
1回目の採卵は、1個しか卵が取れず、質もよくなかったため、受精卵を子宮内に戻すことができなかった。
2回目の採卵は、何とかいくつか卵がとれ、1つだけ質のいい受精卵となったため、子宮内に戻せた。
しかし、妊娠までは至らず生理が来たときは、泣き叫んでしまった。
3回目の採卵。
やっと……やっと。妊娠まで至る!
嬉しさに飛び上がりたい気持ちでいっぱいになったが、妊娠に影響を及ぼすのを考えてがまんする。
妊娠を伝えた彼は、瞳に涙をためながら
「よかった。本当によかった。 ありがとう。頑張ってくれて。」
と言って抱きしめてくれた。
嬉しいと喜んだのもつかの間、すぐにつわりや眠気に襲われる。
ふいに湧きおこる嘔気。
いつの間にか誘われる眠気。
妊娠ってこんなに大変なのかと、めげそうな気分になった。
つわりも落ち着いてきたころ、だいぶお腹も大きくなってきた。
お腹を撫でていると、ぴくん!と震える感触に、どきっとした。
一瞬何が起こったが分からなかったが、これが胎動かと思い至り、ふっと笑みが零れた。
お腹の子どもが動いている。ここに存在している、という主張に思えて、幸せな気持ちに満たされる。
「ねぇ。今日ね、おなかで赤ちゃんが動いたのが分かったの!」
「本当?! すごいね。 元気にいてくれてありがとう。」
お腹に向かって声を掛ける彼が、また微笑ましかった。
臨月を迎えて、そろそろ出産。
せり出したお腹は、スイカを抱えているようで、いつでも息苦しさがつきまとう。
だがそれもそろそろ終わりになると思うと、さみしさを感じるのだから、不思議なものだ。
陣痛が来て、産院に入院した。
思った以上の痛みに悶えながら、その時を待つ。
「もうそこまであかちゃんが見えてますよ。もうひと頑張りです。」
助産師さんに声を掛けられ、最後の力を振り絞る。
「んぎゃーっ!!」
高く大きな声が室内を満たす。
「おめでとうございます! 男の子です。がんばりましたね!」
そう言いながら助産師さんが、赤ちゃんを傍らに連れてくる。
腕に抱きしめた我が子。
思わず、涙があふれだした。
「頑張ったね。」
赤ちゃんを覗き込みながらも、私の頭を撫でてほめてくれる彼。
「……うん。うん!!」
切望していた、この瞬間。
新しく迎えた家族の重みに、涙が止まらなかった。
*****
長かったゴールまでの道のり。
やっと到達できたと思った。
……思ったのに。
出産して間をおくことなく、すぐに子育てが始まった。
授乳におむつ替えにお風呂。
そして、泣き続ける我が子にてんやわんやの日々。
妊娠・出産までがゴールだった、不妊治療。
しかし、その子との生活は、そこからまたスタートだったのだ。
つまりは、通過点の一つに過ぎなかったということだ。
15年経った今、その我が子は中学を卒業した。
ゴール、そしてまたスタートを繰り返して、また新たなスタートが目の前に迫っている。
のんびりリビングでお茶をしながら、これまでのことを振り返っていた。
すると不意に声を掛けられた。
「お、お母さん。」
固い声のした後ろを振り返ると、やや緊張した面持ちの息子が立っていた。
「ん? どうしたの?」
「あ、あのね。渡したいものがあって。……これ。」
後ろ手に隠していたものを、差し出してくる。
小ぶりの可愛らしい花束。
5本のピンクの薔薇がかわいくラッピングされている。
「かわいい花束ね! 私にくれるの?」
「うん。いつもありがとう、お母さん。」
「わぁ。とっても嬉しい。」
「僕を産んでくれてありがとう。出会えてよかった。」
「なぁに? そんな急に。」
「うーん。なんとなくね、伝えたくなって。」
「そっか。……こちらこそ、ありがとう。このプレゼントもとっても嬉しい。けど、あなたが私たちの元に来てくれて、こうして一緒に過ごせることこそ、何よりものプレゼントなの。私は本当に幸せだわ。これからもよろしくね。」
「うん!」
にこにこしながら、すこし照れたように赤く顔を染めた息子を見て、本当に感動して涙まで出そうになってしまった。
一つ一つゴールを重ね、一つ一つスタートを切り。
いつでも私はあなたのお母さんであり続け、いつでもあなたは私の息子であり続ける。
さぁ、また新しいスタートを切ろう。
切望したもの 蒼空苺 @sorakaraichigo
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