4章その1 偽証と神罰①

 町の中央にそびえる教会は白く塗り上げられた石造りの建物で、昼下がりの陽光に眩しく輝いていた。その外観は一風変わっていて、建物上部が半円のドーム状となっており、その中央からこちらは古典様式の鐘楼が伸びている。正面に立つと、まるで巨大な白亀が首をもたげているようだった。

 周囲には、ロンゾの身長の倍もある鉄柵が巡らされており、忍び返しが鋭く突き出ている。正面の鉄柵門は殊に太い鉄棒が使用された頑丈なもので、天辺にはやはり忍び返しが並んでいた。

 ロンゾによると、外壁がなかった時代にはここに立て籠って戦うこともあったらしい。そう言われてよく見ると、柵には刃で削られたような跡が無数に刻まれていた。その一つ一つに怨念が宿っているように思われ、ミナは慌ててそこから離れた。

 門をくぐった先は芝生に覆われており、短い石畳が教会まで続いていた。その両側には申し訳程度の花壇が設えられており、南方の強い日差しのせいなのだろう、まだ季節には早いカンナが真っ赤な花弁を広げている。

 教会の左手には平屋、右手には鶏舎と畑、粗末な物置小屋が見えた。正面からは教会の陰に隠れて見えないが、右手奥には井戸と水浴み場が設けられており、裏手には司教たちの宿舎と町の共同墓所があるという。

 左手の平屋が修道院だ、とロンゾが説明した。ただ、修道院といってもその造りは官舎と変わらず、土壁に木製の雨戸が並んだ簡素なものだった。

 教会は入ってすぐが広いホールとなっていた。立ち並ぶ柱は彫刻を施した立派なもので、床には歴史を感じさせつつもよく磨かれた大理石が敷き詰められている。ホール奥と左右に一つずつ扉があり、正面が事件現場である聖堂、右手は食堂と厨房、左手は執務室へ続いているという。

 司教へあいさつするため、三人はまず執務室へ向かった。

「いいか、司教は本当に立派なお方だ。失礼のないようにな」

 しつこいくらいに念を押してから、ロンゾは扉をノックした。

 質素な室内に待っていたのは車椅子の男だった。

 年齢はサットンと同じほどだろうか。彫りの深い顔立ちで、豊かな炎髪は後ろに撫でつけられている。三人を見つめる紅の双眸には、ともすれば傲岸とも思えるほどの力強い光が宿っていたが、今は柔和な微笑みを浮かべており、威圧される感じはない。

 ロンゾが膝をつく。肩を縮め深々と首を垂れるその姿からは、目の前の男への並々ならぬ畏敬が見て取れる。彼に倣う二人。と、ミナの耳にかすかな呟きが聞こえた。「なるほどね」。横目で窺うと、ハルがロンゾに厳しい視線を向けている。

 どうしたのかと聞こうとしたが、その機会はロンゾの言葉に遮られた。

「マズロー司教。応援の審察官を案内しました」

 深く頷くと、車いすの男は三人を立たせた。

「申し訳ないのですが下半身が不自由なもので、この格好のまま失礼します」

 裾から覗く脚は枯れ枝のように細く、鉄の車輪にその機能を譲って久しいのは一目瞭然だった。

「遠路はるばるようこそおいでくださいました。当教会の司教、および第六十六教区長を務めております、マズロー・アルビデムと申します。以後お見知りおきの程を」

 容貌に違わぬきびきびした声に、我知らず姿勢を正すミナ。

「ハル・クオーツと申します。第十四教区審察官です」

「ミナ・ティンバーと申します。第十七教区審察官です」

 ハルもちゃんとしたあいさつができるんだ、と失礼なことを考えながら自分も頭を下げる。

「ミナ審察官、あなたの噂は聞き及んでおりますよ」マズローが微笑む。「その歳で神の加護を授かるというのは、実にすばらしいことです。きっと篤い信仰の賜物でしょう。期待していますよ」

「は、はい。期待に添えられるよう、努力します」

「では早速ですが、ロンゾから事件のあらましは聞いていますか?」

 ミナが頷くと、彼の顔に沈痛な表情が浮かんだ。

「とても痛ましいことです。こんなおぞましい事件は一刻も早く解決されなければなりません。ロンゾ」

「はい」

「彼女たちにできる限りの協力を。お二方も、彼に何でもおっしゃってください。私も、できることは何でもいたしましょう」

 その言葉を待っていたかのように、ハルが口を開く。

「では、調査の一環として質問させていただいてよろしいですか?」

「もちろんですよ」

 厳かに頷く教区長。ハルはためらいもなく切り込んだ。

「汝、エリス修道女を殺したか? 神の前に告白せよ」

「おい!」

 目を剥いてロンゾがハルに掴みかかる。

「よしなさい!」

 マズローの鋭い声が響き、目を怒らせながらもロンゾがハルから離れた。制止が入らなければ、確実に殴りつけていただろう。

「これも調査のためですよ」

 どうということはない、という顔でマズローは微笑んだ。

「私、マズロー・アルビデムは、エリス修道女を殺しておりません」

 その言葉には一片の躊躇もなく、表情には一点の曇りもなかった。だが、ハルはさらに質問を続ける。

 汝、エリス修道女と事件当夜、聖堂で会ったか?

 汝、エリス修道女の身体に油を撒いたか?

 汝、エリス修道女の身体に火を点けたか?

 ミナは首を傾げた。――どれも同じことを聞いているだけじゃ?

 そしてもちろん、いずれも答えは「否」だった。

 二十ほどの質問を終え、ハルが頭を下げる。

「不躾な質問、失礼しました。ご協力感謝いたします」

「いえいえ、これも事件解決のためです。また聞きたいことができたら、いつでも来ていただいて結構ですよ」

 執務室を辞去しホールへ出たところで、唐突にロンゾがハルの胸倉を掴み、乱暴に壁へと押しつけた。歯をむき出しにしたその顔には殺気がみなぎっている。

「おい」獣の唸り声のような声だった。「部屋に入る前に言ったよな。失礼のないようにって」

「ああ、聞いたよ」

 答えるハルは涼しい顔だ。

「じゃあ聞こうか。さっきのは何だ?」

「調査の一環だと言ったと思うが。やっぱり二回言わないと理解できないのか?」

「ふざけるな。あの人は特別なんだ。人殺しなんていうものから最も遠い存在だ」 

「俺はあんたが放棄してた仕事を代わりにやっただけだぜ? あんた、司教に審問してないだろ? 犯人じゃないって決めつけて」

 はっと息を呑み、ミナはロンゾを見た。思い出される先ほどのハルの呟き――

「当たり前だ! そんなことをする必要はない!」

「ロンゾ審察官」

 突き放すような声。

「そんなことだから事件を解決できないんだ。司教は特別? そんなこと誰が決めた? 一旦事件が起きれば、関係するあらゆる人間は容疑者になりうる。まだ審問していない人間に審問するのは、審察官として当然の仕事だ。特に今回は、他の関係者は全員犯行を否定しているんだろ? なら尚更じゃないか」

 怒りに全身を震わせながらも、やがてロンゾは手を離した。それが正論だということは、彼にも分かっているのだろう。

「次に何かあったら、ただじゃおかない」

「覚えておくよ」

 ふん、と鼻を鳴らすロンゾ。

「じゃあ、まず何から始めるんだ? ハル審察官殿」

「そうだな。まずは残りの関係者五人に審問をしたいな、ロンゾ審察官殿」

「俺が信用できないと?」

「お互い様だろ」

 再び険悪な空気が流れる。が、

「もう! 二人ともいい加減にして!」

 ホール中に響き渡るミナの怒声がそれを吹き飛ばした。床を踏み鳴らし、二人の間に割り込む。その小さな体躯に似合わぬ溢れんばかりの気迫に、男二人は口をつぐんだ。

「今はけんかなんてしてる場合じゃないでしょう?」

「いや、でもな」

「でも、じゃないです!」

 ぴしゃりと言ってロンゾを睨みつけるミナ。

「ロンゾさん、事件を解決して町を守るんでしょう?」

 ぐっと言葉に詰まるロンゾ。やがて、

「ああ、そうだな」

 頭を掻きながらハルに謝った。

「すまなかった。これじゃあ、どっちがガキだか分からないな」

 今度はハルを睨みつけるミナ。気まずげな面持ちで、彼も小さく頭を下げる。

「ああ、こちらこそ」

「じゃあ、二人とも仲直りの握手」

 ぎこちなく手を握り合う二人を見て、ミナは満足顔で頷いた。


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