小さなヨゴレ君
しっかり村
小さなヨゴレ君
ヨゴレ君は小さすぎて誰にも気付かれない。それをいいことに悪戯をする。これまで、風に吹かれて降り立った旅先で小さな悪戯をたくさんしてきた。そろそろ腰を据えて大きな悪戯に取り組もうと思っているところだ。相応しい場所はないかと探しているうちに辿り着いたのがしっかり町内会のゴミ集積所。収集されなかったゴミが若干残っているが広さは十分、屋根があって戸も付いているから寝泊まりするにはもってこいだ。ゴミに群がる煩わしいカラスやキツネも、わざわざ戸を開けてまで入って来ることはないだろう。ゴミを持ってくる町内会の人たちも、ゴミを集める作業員も小さすぎるヨゴレ君にはきっと気付かないはずだ。収集日に窮屈になるかもしれないがせいぜい半日我慢すれば済む。ヨゴレ君は薄暗い小屋の中で、どんな悪戯をして誰を困らせようかと考えるだけでワクワクしてきた。
ゴミ収集日にはいろいろな人がやってくる。同じ色の袋のところに並べて置くお婆さんもいれば、ポーンと放り投げるお兄さんもいる。ぎゅうぎゅう詰めの袋を持ってくるお母さんや破けた袋を出すお爺さんも。もちろんどの人もヨゴレ君には気付かない。
次から次に出されるゴミに埋もれそうになるが、ほどなくゴミ収集の作業員がやって来た。鮮やかな手つきでゴミを運び出していく。
やれやれ、これで元の広さに戻って安心!
と思っていたら、ゴミがいくつか残された。前のと合わせて四つになる。同じ水色の袋、プラスチックゴミだ。それぞれの袋には
~収集できません。洗って出して下さい~
というシールか
~収集できません。分別して下さい~
というシールのどちらかが貼られている。
半透明の袋越しに覗き込んでなるほど納得。洗って出して下さいの方には食べ滓のいっぱいついたプラスチックトレイが、分別して下さいの袋には封を開けていない賞味期限切れの冷凍食品が入っている。ヨゴレ君はそれぞれのゴミを出した人をしっかりと見ていた。プラスチックトレイはお向かいの太ったおばさん、冷凍食品を出したのはアパートに住むきれいなお姉さんだ。
次の週もおばさんとお姉さんはゴミを出しに来た。やっぱり食べ滓のいっぱい付いたプラスチックトレイと、封の開いていない冷凍食品が入っている。そしてまたその二つが収集されずに残された。その次の週も二つずつ残されて、集積所の中がどんどん狭く窮屈になっていく。
せっかくじっくり腰を据えて悪戯に取り組もうと思っていたのに……。
ヨゴレ君は困ってしまった。
ゴミ収集の作業員も
「やれやれまたか」
と困った顔でシールを貼っていく。しっかり町内会の他の人たちも
「いったい誰の仕業なんだろう」
と困り顔だ。
あっ……。
ヨゴレ君は気付いた。
悪戯とは、気付かれずに人を困らせることなのだ。ということは、これだけたくさんの人に気付かれないまま困らせているおばさんとお姉さんはきっと一流の悪戯者に違いない。おばさんとお姉さんは、カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中からみんなの困り顔を覗き見して、こっそりほくそ笑んでいるのだ。
何と巧みな悪戯だろう。
ヨゴレ君の悪戯魂に火が点いた。おばさんとお姉さんがヨゴレ君の存在に気付いたかどうかはわからないが、ヨゴレ君はおばさんとお姉さんの悪戯に気付いてしまったのだ。悪戯には悪戯で返すのが悪戯界の礼儀。ヨゴレ君は、お向かいのおばさんがゴミを出しに来る時間におばさんの家の水道の水を出しっ放しにした。きれいなお姉さんが水色のゴミ袋をポイと放り込んで仕事に行っている間に、袋の中の冷凍食品の一つをお姉さんの部屋の冷凍庫にこっそり戻した。
小さなヨゴレ君が水道の蛇口をひねるのは簡単なことではないし、冷凍食品を運ぶことも冷凍庫のドアを開けることも大へんな作業だ。でも、一人前の悪戯者になるためと思えば頑張れる。ヨゴレ君は悪戯に励んだ。
けれどもおばさんは
「あらあら」
と言って水を止めるだけだ。お姉さんの方も、溜まった冷凍食品の賞味期限を一応確かめはするが、ひとつぐらい増えても気付かない様子だ。そのまませっせとゴミに出し続ける。せっかく一生懸命頑張った悪戯なのに、二人ともまったく困っていない。ヨゴレ君は悔しくて悲しくて、ますます困った。
そしてまた、ハッと気付いた。
これはもしかしたら、気付かないふりをするという超一流の悪戯なのかも知れない。おばさんとお姉さんはヨゴレ君の悪戯を知っていて、ヨゴレ君をもっともっと困らそうとしているのだ。今日も薄暗い部屋の閉め切ったカーテンのすき間から、誰にも気付かれないはずの小さなヨゴレ君の困った顔を、すごい倍率の双眼鏡で覗いてほくそ笑んでいるに違いない。
このままではおばさんとお姉さんに完全に悪戯負けだ。
ヨゴレ君は考え方を変えた。
悪戯者にとっていちばん困ることといえば、困らせたい相手が困らないこと。ならば、おばさんとお姉さんが困らせている人たちを困らないようにして、自分も絶対困った素振りを見せない。これでどうだろう。
まずは、ゴミ袋の中のプラスチックトレイにこびりついた食べ滓をきれいに舐め回した。そして冷凍食品の封を開けて食べることにした。もちろんフィルムや箱はきちんと分別しトレイもきれいに舐めて。
すると、ゴミ収集の作業員は大喜びでゴミ袋を全部持っていくようになった。しっかり町内会のゴミ集積所に、シールの貼られたゴミ袋が残ることはなくなり、町内会の人たちは安心してゴミを出すようになった。
これでどうだい!
と、得意顔のヨゴレ君。けれどおばさんもお姉さんも全然困っていない顔で、相変わらず食べ滓のいっぱいくっ付いたプラスチックトレイと封を開けていない冷凍食品を袋に入れてゴミ出しに来る。ヨゴレ君は今度こそ悪戯負けしたくなかったので一生懸命食べ続けた。
そのうちに、しっかり町内会のゴミがきちんと分別されて集積所もきれいだということが評判になっていった。ネクタイを付けた見たことのないおじさんがゴミを持たずに何度もやって来て辺りを見回しただけで帰っていく。
ある日、ゴミ集積所の前にたくさんの人が集まった。しっかり町内会の人たち全員、おばさんとお姉さんはもちろん、ネクタイを付けたおじさんもいるしもっと立派な恰好をしたおじさんもいる。町でいちばんきれいなゴミ集積所として表彰されることになったのだ。
町でいちばん偉い人から、しっかり村の町内会長に表彰状と賞金が手渡されると拍手が起こった。表彰状が額に入れられ集積所の戸に掛けられた。賞金は町内会費の還元ということでみんなに分配されることになった。みんな大喜びだ。おばさんもお姉さんもニコニコしてる。その顔を見てヨゴレ君はまた悔しがる。
分配金を貰ったおばさんは、今まで以上にプラスチックトレイのお惣菜を買うようになった。お姉さんも冷凍食品を爆買いだ。そしてまた、食べ滓のいっぱい付いたプラスチックトレイと封の開いていない賞味期限切れの冷凍食品が、前よりずっとたくさんゴミに出されるようになった。
ヨゴレ君はそれを全部食べた。
食べる量が増えて、どんどん太って大きくなっていくヨゴレ君。いつの間にか小さすぎた体は大きくなり、とうとうゴミ収集の作業員に見つかってしまった。
「きみは誰? ここで何をしているのですか? 」
初めて人に気付かれて、しかも話しかけられてしまったヨゴレ君。どうしていいかわからない。困って途方に暮れて逃げ出したくなった。でも、もう小さなヨゴレ君ではない。逃げたって見つかるし何処にいたって気付かれる。こっそり悪戯したり、覗き見してほくそ笑えんだりすることの難しい大きさになってしまったのだ。
ヨゴレ君はこれまでのことを正々堂々と話した。
すると、ゴミ収集の作業員は
「いきさつはどうであれ、あなたのおかげでここの集積所がきれいになってみんな喜んでいます。ありがとう」
と言って、ヨゴレ君に頭を下げた。そしてどうやらその後すぐに町の偉い人たちに報告したようだ。今度はヨゴレ君を表彰するという。
お礼を言われて喜ばれて少しくすぐったい気もちになったが、表彰されることは辞退した。たくさんの人を困らせる一人前の悪戯者を目指していたのにとんでもない話だ。
体がすっかり大きくなってしまい、おまけに困らすどころか喜ばせてしまったヨゴレ君。思うように生きられない自分が情けなく恥ずかしくなってきた。恥ずかしくて、もう、しっかり町内会にはいられない。また旅に出ることにした。風に吹かれて飛んでいく小ささではないけれど、いちから出直しの修業の旅だ。何の修業かはまだわからない。
大きくなったヨゴレ君は、ゴミ集積所の戸を開けて明るい空の下へ一歩踏み出した。はずみで、戸に掛けられた表彰状がユラユラと揺れる。まるでヨゴレ君に
「ありがとう。そしてさようなら」
と言っているかのように。表彰状はヨゴレ君の大きな背中が見えなくなるまでずっと揺れ続けた。
その後、お向かいの太ったおばさんとアパートのきれいなお姉さんは町の偉い人たちにこっぴどく叱られたそうだ。とても困った顔をしていたらしい……。 了
小さなヨゴレ君 しっかり村 @shikkarimura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます