『武士道と 云うは死ぬことと 見つけたり』から学ぶ人生

かんた

第1話

 武士道と 云うは死ぬことと 見つけたり



 この文言はなかなかに有名で、知っている人も多いのではないかな、と思います。

 元は『葉隠』という書物に記載されている一文で、江戸時代中期に書かれたものです。


 この文言の意味として、直訳では、「武士道の真髄とは、死を受け入れることだ」

 となると思います。

 細かい部分のニュアンスの違いには目を瞑っていてください。

 しかし、この文言は、この一文だけでは理解できないような深いものなのです。

 今では珍しいものではなくなってしまっているのですが、有名な一節だけを取り上げて、本当の意味でしっかりと意味を理解されているものというのは少なくないと思います。

 他の有名どころで言うと、高杉晋作の辞世の句、「おもしろき こともなき世を おもしろく」ですね。

 この句は、前半部分だけを見ると意味としては、俺がこのつまらない世界を面白くしてやろう、というような意味になってしまうのかもしれませんが、実はこの句には下の句が存在します。


 おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり


 これが全文となり、こうなると意味が全く違ってくるのです。

 私の解釈なので、違うだろう、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、


 どんなおもしろくないこの世の中であろうと、自分の心次第では面白くもなるものだ


 という意味になります。

 私は、実は親の影響で日本史を調べるのがちょっとした趣味でして、その中でも波乱のあった時代、その時代で生き、死んでいた方々の思考などを自分なりに考えるのが好きで、特に江戸時代後期の時代、その中でも高杉晋作に関しては、偉人の中でもトップを争うほど好きな人ですので、特に良く考えました。

 それこそ座右の銘をこの句にしたいと考えるほどです。

 その高杉晋作の辞世の句が間違って解釈されていることが悲しくて、その繋がりで冒頭に紹介した文言について話そうと思ったわけです。

 ……本当は高杉晋作についてもっと語りたいのですが、今回のお題に沿わないと思い、今回は葉隠について書いていきたいと思います。


 さて、話を戻しましょう、葉隠の文言、


 武士道と 云うは死ぬことと 見つけたり


 この文言に関してですが、当然書物にこれだけしか書かれていないなどという事はあり得ません。

 その後にも続く言葉があるのですが、流石に全文を載せるのは長いし、怒られてしまわないか少し心配になってきたので、ほんの少しだけ、それも私なりに解釈した言葉で紹介しようと思います。

(もしこれで興味を持ってくださった人がいらっしゃったら、自分で『葉隠』について調べてみて下さい、今の時代なら今あなたが手に持っているものですぐに調べられるはずなので。)


 武士道の真髄とは、死を受け入れることだ。道が二つあり、どちらを選ぶか、という時には死に直面するような選択をするべきだ。この世では、そのように難しい選択の方が正しいことが多いものだし、間違っていて死ぬことになろうとも、そのまま間違ったことに関してのけじめをつけるだけである。正しいかどうかは気にすることなく、腹を決めて取り組むだけだ。

 人間、決断しなければいけないものが目の前にある状態でどちらが本当に正しいのかなど分かるわけがないのだから。

 ~中略~

 毎朝、毎晩、これで死ぬのだと思いながら生活をすれば、常に必死を引き出せるはずで、そうなれば失敗することも無く己の役割を果たすことが出来るだろう。



 私なりの解釈ではありますが、このような内容になっているのです。

 どうでしょう、最初の文を見ただけでは、自分は武士道なんて関係ないと思っていたかもしれませんが、ここまで意味を見てみたら、現代を生きる私たちにも何か通じるものを感じる人もいるのではないでしょうか?

 今でこそ、死に直面してまで決断をすることは無いかもしれませんが、近しいことは当てはまると思うのです。

 例えばで言うと、受験などが分かりやすいでしょうか。

 今の学力でも余裕で合格できる学校と、精一杯努力することでもしかしたら合格できるかもしれない、という学校、どちらに向かうかを考えた時、当然ながら楽なのは前者ですね。

 しかし、校舎を選んで精一杯努力をしたことで得るものは、前者を選んだ場合よりも多くあると思います。

 単純な学力に関しても当然、その学校を卒業した後の進路に関しても道が広がります。

 何故といって、当然のことながら後者の方が組織として上等なものであるので、自分と比べてみても凄い、と思える人は多くいるわけです。そこで自分に有益だと思えることを吸収することで、自分という人間に厚みが出来、それが自身にも繋がります。

 それは、ただの自身だという人もいるかもしれませんが、将来就職する、という段になって必ず役に立つと思えます。

 そして、実際に目に見える将来の結果に関してだけではなく、たとえっそれで失敗したのだとしても、自分には目標に向かって努力することが出来るのだ、という事も身につくわけです。

 だからなんだ、という人はいるかもしれませんが、それって実はとても尊いことだと思うのです。

 今、そんなことないだろう、と思った人は自分に聞いてみてください、自分の人生で、岐路となった部分、後悔している部分を。

 もしそこで、本気を出して努力することが出来ていたとしたら、今の自分よりも何か変わった存在になれていたのではないかと思いませんか?

 私は思います。

 何故あの時しっかりしなかったのか、と思うことが多々あります。

 そんな私だからこそ、葉隠の一文に関しても高杉晋作の辞世の句に関しても思うところが強いのかもしれません。


 そして、そんな私からこそ、今、私が言いたいことを聞いて欲しいのです。

 もちろん、人間、いや、生きているものに限らず、全てのものは有限で、いつかは朽ちる運命にあります。

 こんなことは私なんかに言われなくても皆分かっていることだとは思いますが、それでも常日ごろから深く意識している人は少ないのではないでしょうか?

 そのことについて、咎めるつもりはありません、私もそうなのですから。


 しかし、それでもこの文章を見た方は、少しでもこれからの人生の在り様が変わってくださればいいな、と思っています。

 先程も述べたように、人間、いつ死ぬのか分かりません。

 もちろん、人生を謳歌して大往生する方もいるのでしょう、もしかしたら病気になってあまり長くは生きられない方もいるかもしれません、自分にはありえないと思っていても、もしかしたら明日、出かけた際に事故にあって、そのまま帰らぬ人となることもあり得ない話ではないのです。

 昔のように、戦などは日常生活をしている中では遭遇することも無いので、本当に命の危機にさらされたような人はあまりいないのかもしれません。

 けれど、だからこそ、今こうして自由に生を得ている私たちは、日々を全力で、それこそ死ぬその時まで死ぬ気で生きて欲しいのです。


 死は恐れるものではない、人生のゴールだ。死ぬ間際になって、自分がこれまで歩いてきた道を振り返った時にああ、自分の命は良いものであったな、と思えるような人生であって欲しいと、私は願っています。

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