第1章:星降る夜

第1話:降りかかる災厄

――第14次星皇歴710年4月6日 聖地:エルザレム――


 この日は朝から不吉な予感を地上界に住む人々全員に抱かせていた。それもそうだろう。太陽が昇ったと思った瞬間から、その太陽は欠けていたからだ。地上界の人々は最初、朝だというのに妙に薄暗いと感じていた。太陽からの恵みが少なく、肌寒さすら覚えたからだ。


 4月に入り、一週間ほど前から初夏かと錯覚するほどの暑さを太陽はもたらせていたというのに、今日に限っては、肌寒さを感じ、上着を1枚多く羽織らなければなかった。しかしながら、肌寒さは正午に差し掛かろうという時間となっても取れず、太陽に映る影は段々と大きさを増していくばかりである。そして、ついに冬がまた訪れたのではなかろうかというほどの寒風がジ・アースの地上界全体に吹き荒れることとなる。


 この事態に聖地:エルザレムは緊急声明を地上界全体に出す。その内容とはハイヨル混沌が黄泉返り、再びジ・アースにわざわいをもたらすために襲来してくることであった。人々は玄関の扉を閉め、強固な鍵をかける。そして、家々の窓も締め切り、外から家の中へ侵入者がやってこないようにと備える。


 このことにより、街の通りは人っ子ひとりも居なくなる。そんな中でも活動しているのは浮浪者と野良猫、野良犬、カラスの類であった。彼らはご飯にありつくために動いているだけであり、決して彼ら自身に罪は無かった。しかし、季節外れの冷気が彼らの生命力を根こそぎ奪い取り、彼らは冷たい石畳の上で息を引き取ることになる。


 しかし、本当の異変はそこからであった。無情にも命を刈り取られた生命たちの身体に新たな真っ黒い魂が宿ることになる。その真っ黒な魂は生前の姿を異形なモノへと変化させていく。浮浪者は地獄から湧き出てきたのかと疑うしかない餓鬼の姿へと変貌する。野良猫と野良犬は、その身体の大きさを10倍以上へと膨らませて、牙持つ怪物へと変化する。石畳に堕ちたカラスたちの身からは黒い羽根がこそげ落ち、骨だらけの身で大空を舞い上がる。


 それらの怪物たちは自分たちを外へと追い出した街の住人達に向かって一斉に襲い掛かることになる。各国の国主たちは街の異変に気付くや否や、兵を駆り出し、怪物を駆逐しようと動く。しかしながら、怪物が現れたのは王城が隣接する大きな街だけでなく、聖地:エルザレムにも同じ現象が起きていた。


 星皇の加護が大陸1番に厚い地だというのに、聖地全体に怪物がはびこることになる。王城が隣接する街で大騒ぎが起きたが、それは1両日中には収まることになった。しかし、各国の国主は、この騒ぎはただ自分たちをそれぞれの国で足止めするための謀略であったことを今更ながらに知ることになる。


 4月9日、この日、援軍を期待できぬ状況にあった聖地:エルザレムは怪物たちにより、陥落一歩手前まで追い詰められることになる。聖地に住まう人々の数は2万ほどであったが、聖地:エルザレムの宮殿へと逃げ遅れた人々は怪物の手で命を落とす。そして、命を落とした人々は怪物へと転生し、自分たちを救ってくれなかった教皇とその周りの神官プリーストたち。さらには天界から派遣されている天使たちに向かって凶刃を振り下ろす。


「敵の兵数はこちらの10倍に膨れ上がったのですゥ。ベル様、もうもちませぇぇぇん」


「何、弱気なことを言っているのっ! ここが落とされれば、天界と聖地は物理的に遮断されてしまうわっ! わたくしたちの命を盾にしてでも、『福音の塔』を護るわよっ!」


 ベル=ラプソティは自分の軍師役であり、ラプソティ公爵家の筆頭侍女でもあるカナリア=ソナタを叱り飛ばす。彼女たちは今、天界の騎乗獣であるケルビムこと、コッシロー=ネヅの背中に乗り、聖地防衛の最前線に立っていた。


 コッシロー=ネヅは彼女たちを背中に乗せたまま、大きく開いた口から焔を吐き、カラシ色の両目からぶっとい光線を発射していた。ベル=ラプソティはこの窮地でも頑張ってくれているコッシロー=ネヅに感謝の念を抱きつつも、自分の背中側で泣きごとを言っている軍師に怒りの感情を抱くという器用なことをしていた。


「カナリア! 各国に飛ばした伝書鳩クル・ポッポーはどうなったの!? 返事はあったの、なかったの!?」


「返事自体はありましたけど、各国ともに首都で暴動が起きているみたいなのですゥ。そちらをどうにかしないと、聖地には援軍を送れないみたいなのですゥ」


 ベル=ラプソティはギリッ! と強めに奥歯を噛みしめる。ハイヨル混沌は用意周到ないやらしい奴だという認識を抱かずにはいられない。誰とて聖地の存在価値を認めていようが、自分の足元に火がついたとなれば、例え、聖地で異変が起きても、後回しになってしまって当然だ。


 さらにベル=ラプソティの心に焦りを生じさせる事態が起きつつあった。太陽を覆い隠す黒い影はその範囲を広げ、今や、太陽の半分を覆い隠している。そして、太陽が侵略されるスピードと比例するかのように『福音の塔』は輝きを失っていく。元は全体が金色であったのに、『福音の塔』の半分近くが紅と黒の色で染まっていた。


 ベル=ラプソティは福音の塔の色が変わっていく原因を、自分の軍師であるカナリア=ソナタから聞かされていた。


(福音の塔自体を穢そうとしているのは、ハイヨル混沌が送り込んできた怪物軍団……。聖地を護ったところで、福音の塔が怪物に占拠されてしまったら意味がないわっ!)


 惑星:ジ・アースは空気による保護膜の上から魔術障壁マジック・バリアが重ね掛けされている。それゆえ、ハイヨル混沌が率いる怪物軍団と言えども、直接的に地上界へとやってくることは出来ない。それゆえに天界と地上界を繋ぐ橋の役割である『福音の塔』自体の占拠から始めたのだと、カナリア=ソナタは言う。


 ベル=ラプソティは天界の公爵家の出であるが、聖地のあるじである教皇がラプソティ公爵家に聖地の一部を譲渡してくれている。その地でラプソティ家は大きな屋敷を建て、聖地と天界との繋がりを強固にする役割を担っていた。そして、ベル=ラプソティの父親:サフィロ=ラプソティは聖地にて神官プリーストの地位に就いていた。両者は持ちつ持たれつの関係を築いていたのである。


 さらにはラプソティ家の長女であるベル=ラプソティには、聖地にて任務をこなす天使たちのまとめ役としての仕事を与えられる。これは先日までは名ばかりの名誉職であったが、今の聖地の窮地において、ベル=ラプソティはおおいにこの名誉職を利用するに至る。


 混乱の極地にあった聖地を、鶴の一声でまとめ上げたのがベル=ラプソティである。彼女は緑と白を基調とした戦乙女ヴァルキリー・天使装束に袖を通し、白銀製の細剣レイピアを振りかざし、聖地の軍権を掌握する。全ては地上界全体の平和のためにやむをえない選択だったと彼女は自分自身を騙す。そして、自分をも騙して、彼女は勇気ある言葉を聖地で戦う、ニンゲン、エルフ、ドワーフ、亜人、天使たちへ投げかけ、戦場へと放り込んだのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る