09

 十二月も末日。


 今年も残り四時間を切った大晦日。


 自分は今、生まれて初めてライブハウスに足を踏み入れていた。


 ライブハウスといえば細い路地の先の地下にあり、扉を開けばモクモクとタバコの煙がお出迎え。床は公衆便所のように不衛生であり、隅ではいかにもな怪しい薬のやり取りが行われている。顔に入れ墨が入っていたり、目がうつろで首を振ったり、果てには半グレだったり、そんな社会の掃き溜めが、塵取りで集められたみたいな場所を想像していた。


 あまりにも偏った考えであったのは、辿り着いてすぐにわかった。


 細い路地どころか、アーケード商店街を根城にするライブハウス。扉を開け地下へと下っていけば小綺麗なもので、ヤニ煙のお出迎えもない。アルコールで上がっているものはいても、薬でラリっているものは見当たらない。客層もスポーツマンみたいな者から、引きこもってそうな小柄な青年。髪が極彩色に染まったギャルから、生真面目そうな黒髪の乙女。仕事を終えてやってきましたなスーツを着込んだ中年と、客層が実に豊かであった。


 決して怪しく、危ない場所ではない。ライブハウスに偏見を持ちすぎていたのを思い知った。


 よくよく考えれば、ちとせが出演するような会場なのだ。マネージャーを兼ねてるヒロさんが、ちとせを危険な場所へと送り込むはずがなかった。


 今日は年末のカウントダウンイベント。色んなアマチュアバンドが集まるようだ。


 SNS、動画投稿サイトを通じて、ひととせは人気を集め、アマチュアバンドとしては成功している類のようだ。だからといってひととせ単独で、ライブハウスを埋めるのは簡単ではない。


 ライブを行われる場所、距離の問題。ライブハウスへ足を踏み入れる敷居。そして無償でもたらされてきた物に対してお金を払うということ。


 他にも色んなハードルを乗り越えた先。ひととせの生ライブを直接目にしたい、なんて熱心な一部のファンがこの都市にどれだけいるか。


 だからちとせがライブをするときは、複数のバンドが出演するイベントに参加している。前座として始まったひととせだが、直接人前に出ることで一歩一歩着実に、ひととせ目的で足を運んでくれるファンが増えてきたようだ。今やイベントに出れば、トリを任されることが多いらしい。


 実際、今回のカウントダウンイベントはもそうだ。今日のイベントの告知として貼られていたポスターには、参加するバンド名の一覧がずらっと並んでいたが、写真付きで載っていたのは四グループだけ。その内の一つがちとせであった。


 つまりひととせは、集客効果を狙える目玉扱いなのだ。十八歳未満は二十三時以降、このような場所に出入りができない。その問題さえなければ、カウンダウンを任されていたとヒロさんは自慢気に語っていた。


「結構ノリが軽いんだな」


 吹き抜けとなっている地下二階。そのステージを上階から見下ろした先で、そんな感想が漏れ出した。


「コスプレしてたり、流行りの曲を挟んでみたり、場を茶化したりって」


 隣で喉を潤していた秀一にそう声をかけた。


「こういうイベントに出演するバンドってさ、まさに音楽一筋、ザ・ロッカー。みたいな硬派っていうか、ガチガチなのばかりだと思ってた」


「ガッカリしたかい?」


「いいや。むしろ逆だ。俺みたいのでも楽しめてることに驚いた」


 カウントダウンイベントと名を冠しながらも、開始時刻は昼間の十二時だ。何十ものバンドグループが、代わる代わる次へと繋ぎ、場を盛り上げ、最後にはカウントダウンへと辿り着く。


 そんな長期戦だ。目的のバンドを目当てに、あらゆる層の客が入れ替わっていく。よっぽどの物好きでなければ、最初から最後まで見届けることはないだろう。なにせ腹に響くような音が終始鳴り響いているのだ。居座り続けるだけで体力がいる。


 入店してから既に二時間は経つが、見ているだけなのに少し疲れてきた。音の届かない場所で休憩を取りたい気持ちもある。


 それでもこうしてステージを見下ろし続けるのは、口にしたように楽しめているからだ。


 自分はロックに興味がない。流行りの曲やアーティストを追う模範的な若者だ。だから現在から過去にかけての流行は心得ている。


 そんな流行の曲が、ふいに演奏されるのだ。時間までどう退屈を潰すか。そんなことを考えている自分が、それに耳に貸すのは当然であった。


 へー、いいじゃん。


 偉そうな感想を抱きながら、そのまま次の曲まで聞きいっていた。知らない曲で飽きてきたなと思ったら、曲と曲の合間の掛け合いのような語りに、思わずクスリと笑ったり。気づけば最後まで、そのバンドから目を離すことができずにいた。


 それが都度三回起きている。


 申し訳ないが前二つのバンド名は既に忘れてしまった。それでも飽きずに楽しめた。これがあまりにも意外であったのだ。


「こういった演出者が入れ替わるイベントと、ワンマンライブの大きな違いはわかるかい?」


 前乗りに柵に寄りかかりながら、秀一はそんな問いを投げてきた。


「んー、時間か?」


 タイムテーブルを見る限り、一バンドにつき与えられている時間は三十分。コンサートの時間が二時間前後だと考えると、与えられている時間は四分の一だ。


「ヒントは観客だよ」


 秀一は首を横に振りながら、答えはもたらさない。


「動員数の話か?」


「ヒント2、今日君が来た理由だ」


 柵に腕を乗せたまま、秀一は指を二本立てている。


 今日ライブハウスに初めて足を踏み入れた、その理由。


『次のライブに来てもらう』


 朝倉家襲来の日、ちとせが宣言したそれを果たす日だからだ。


 この後、秀一の両親がこのライブハウスに来る。カウントダウンイベントに参加したいわけではない。二十一時から始まるひととせのライブ。血の繋がった娘からの招待、その活躍を見に来るのだ。


 お上品には程遠い場所である。自分たちのように前乗りで、長時間いることはきついだろう。十分、十五分前に着く話になっているようだ。


 それはそれとして、秀一から出された問題。大きな違い。


 これが一体、どう関係するのか。


「あ」


 と、そこで閃いた。


 自分の今日の目的は、朝倉家のこともあるが、ちとせを見に来ただけに等しい。それがそのまま、秀一の出した問題の答えであった。


「観客のほとんどが、自分たちを見に来たわけじゃないのか」


「正解」


 よく答えられましたとばかりに秀一は口角を上げた。


「今日の会場はキャパが四百人だ。単独ライブでそれを埋める。テレビで見るようなプロならチケットの取り合いだが、アマチュアはそうはいかない。チケットをばら撒いたところで、時間を払ってくれる人たちで埋めるのは難しい」


 時は金なり。タイムイズマネー。


 今日は意外にも楽しめているとはいえ、彼らの単独ライブに行きたいかと言われると首を横に振らざるえない。


 この時代は娯楽で飽和しきっているのだ。それも無料で嗜めるものなど上げたら切りがない。


「なんで自分の音楽を聞いてくれない。わかってくれない。見向きもしてくれないんだ。なんて押し付けがましいだけの連中の音楽を、一体誰が聞きたがる? そんなのをさ、一々相手なんてしてられないよ。


 今日のイベントに参加している彼らはさ、それをちゃんとわかってるんだ。押し付けるだけじゃダメだ。まずは自分たちに興味を持ってもらおう、ってね」


 やりたいことだけをやって成功するのなら、世の中苦労しない。それが起こるのは一部の一部、奇跡のような才能と巡り合わせに出会えた者だけ。


 それに身を委ねるのはただの怠慢であり、驕りである。


 今日のイベントはきっと、その怠慢も驕りもなく活動してきたからこそ、参加を求められた者たちばかりなのであろう。


 自分たちに興味がない、沢山の観客たち。そんな彼らにまずは興味を持って貰おうと、日々努力を重ね、真摯に向き合ってきた。今日自分が面白いと思ったのは、そんなロッカーたちが苦労の末作り上げた、彼らの世界への入口だったのだろう。


「ちとせはその辺り、人を引き込むのが上手い」


「上手い?」


「ああ、ライブでは毎回必ず、君の話をしてる」


「……俺の話?」


 今にも噴き出さんとするほどに、秀一は笑いを噛みしめる。


「話の繋ぎにね、『そうそう』や『そういえば』から始まって、『うちのおにいがさ』って面白おかしく語るんだ」


「具体的には?」


「五割が合コンや飲み会の惨敗話だ。その語りが簡潔で面白いから、初見の観客にも大受けだよ」


 惨敗、話だと?


 確かにちとせにはよく、昨日はどうだったの、と話をせがまれたりする。それが結構しつこいもので、女視点から見てなにが悪かったかを知って、それをちゃんと受け止めるべき。さあ話すんだと、話を聞き出される。


 実はお兄ちゃんの恋愛事情が気になるブラコンの目覚めなのでは、と思っていたら全然違った。ネタの取材であったことが今、ここで発覚した。


「そして四割は君の減らず口で、残りはその他。よくもまあ、ここまでネタに困らないものだと感心するくらいだよ。そうそう、最近一番反響があったのは、君が容疑者として連行されたときの話だ」


「あいつ……あれまで話したのか?」


「裏話を知っていた僕としては、そこまで話していいのかと驚いたよ」


 ちとせめ。ネタにしていいことと悪いことがあるだろうに。


 あれは社会的に影響ある話だ。あれを赤裸々に語ったら、それこそ父さんに迷惑がかかるかもしれない。


「あれには君のお父さんも大笑いしていた」


「父さんもいたのかよ!?」


 それでいいのか捜査一課の刑事。仮にもあれは誤認逮捕一歩寸前だったぞ。


 笑っているのだから、話して許される範囲なのだろう。予めどこからどこまで話していいか、ちとせが相談していたのかもしれない。


「そんな感じでちとせのおにいトークは好評だ。そのときの内容もしっかりネットで纏められて、ライブに行けないファンにも届いている。ひととせのファンの二割は、君のファンと言っても過言じゃない」


「ちとせの奴め……」


 個人情報の保護を厳格にしなければならぬこの時代。知らぬ間にとんでもない個人情報が流出していた。おそらく自分がひととせに興味がないのを良いことに、どうせ見に来ないだろうと好き勝手やっているに違いない。


 人のプライベートを、こんな形で世に送り出すとか。帰ったら説教どころじゃない。マジで尻でも叩いてやらんと気が済まん。

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