ごきげんよう、日米和親条約は確かに教科書では武力に屈して結ぶことになったとありましたね。でも林先生、大活躍でペリーさんのマウント取れてるじゃないですか、これは凄いですね。
阿部さんが林先生を交渉役に選んだとのことですが、林先生ってどういう経緯で選ばれたんでしょうね? 教科書での林先生の扱いが酷いですよね(殆ど載ってない)。
エジソンさんもこの頃か……。そう言えば、電信機が幕府に贈られたんでしたっけ?
作者からの返信
おだしのぶさんさん
いつもコメントありがとうございます☺
なぜ林先生が交渉役に選ばれたのか、色々調べましたがよくわかりませんでした💦
ものすごく、頭がいいエリート学者っていうのは、わかるんですが、
でも、確かに教科書って林先生の扱いってひどいですよね。武力に屈した、みたいな事が書いてあるし
電信機が送られたんですか? それは、知らなかったです💦
今回も、とても面白く分かり易かったです。
阿部正弘は知っていましたけど、実は、林復斎は知りませんでした。
幕府は、ペリーの来航と開国要求を前に、国民に広く意見を求め、その中から、勝海舟など、日本の歴史の転換期を担う人材が多く現れますね。
身分制が基本だったこの時代、未曽有の国難を前に、老中阿部正弘は、すごい指導力を持ったリーダーだったと思います。
この人に長生きして欲しかったものです。
ちなみに、幕府は、文政8(1825)年に異国船打払令を出していますが、それより前の文化3(1806)年には、日本に寄港する外国船に薪や水を提供する薪水給与令を発令していて、また、異国船打払令も、モリソン号事件などに対する国内からの批判を受けて、天保13(1842)年には薪水給与令を再発令する事になります。
徳川幕府は、決して、むやみやたらな攘夷的政策に固執してはいないのです。
この時代、イギリスを始め西洋諸国は、アフリカや新大陸や南アジアを植民地化して発展しますが、現地の人たちの文化や生活を破壊し軍事力で征服するなんてのが、果たして「良い事」と言えるでしょうか?
明治以降、遅れて国際社会にデビューする日本は、東アジアに植民地を広げて行きますが、その果ては、軍部の暴走による日中戦争、太平洋戦争、そして、敗戦です。
巧みな交渉力でアメリカとの戦争を避けた徳川幕府と268年の治世は、もちろん、時代的な制約も多々抱えていましたけれども、私たち日本人が世界に誇り得る祖国の歴史だと思っています。