第七章 戦国時代編
第31話 グダグダな室町幕府と下剋上
室町幕府のお家騒動が激化し、国中を巻き込む大戦争、『応仁の乱』に発展しました。
そして応仁の乱が原因で、日本のいたる所で争いが発生する、『戦国時代』へと突入していきます。
では、なぜ応仁の乱が戦国時代の火種となり、日本が戦国時代に突入したのか、見ていきましょう!
【足利家の衰退! 明応の政変とは!?】
応仁の乱の後はポンコツ将軍、義政の息子、義尚が9代目将軍になります。
義尚「よし! 室町幕府再建を目指して頑張るぞ!」
義尚は父とは違い、応仁の乱によって乱れた世の中を立てなおそうとしますが、25歳という若さであっさり死亡。
後継者を決めていたなかったので、将軍の席が空いてしまいました。
「将軍がいないなぁ! どうしよう?」
幕府内が次期将軍に悩んでいた時。
政元「私は
このように発言したのは、将軍の次に偉い管領の細川政元でした。
ちなみに、義澄はポンコツ将軍、義政の兄の子供です。
「政元さんがそういうなら、義澄にしよう」
「そうしよう!」
流石、幕府のナンバー2です! 発言力がありますね。
しかし幕府に電流が走ったのは、次期将軍が決まりかけた時です!
富子「なに言ってるの! 義視の息子の
なんと、あの応仁の乱の原因を作った、日野富子がここに来て、横から口を出してきたのです。
政元「いやいや、富子さん。義澄がいいですよ」
富子「なに言ってるの! 義稙に決まってるわ!」
政元「しかし」
富子「黙って、私の言うことを聞け!!! 次の将軍は義稙に決まりです! 異論は認めません!」
富子は将軍の妻として、かなり強い発言力を持っていました。
政元がナンバー2なら、富子は事実上のナンバー1といったところでしょうか
こうして富子が擁護し、
義稙「将軍になったから頑張るよ!」
義視「俺は将軍になれなかったけど、しっかりやれよ! 俺も応援しているからな!」
義稙「ありがとう! お父さん!」
こうして室町幕府の将軍に就いた義稙でしたが、この後、彼に不幸が降りかかります。
さて、ここからメチャクチャややこしくなるので、省くところは省いて、要点だけお話して、できるだけわかりやすくします。
義稙の不幸その1 富子と義視のケンカ
応仁の乱という大戦争を起こしていながら、富子と義視がまたケンカします。本当に仲が悪いですね!
そのきっかけですが……
富子「義澄、将軍になれなくて残念だったわね。せめて小川御殿にすんで」
小川御殿というのは、先代の将軍、義尚が住んでいた所です。ようするに、将軍専用の家、現代で言うとホワイトハウスみたいものでしょうか。
義澄「ありがとう! 叔母さん!」
富子「いいのよ! 貴方もかわいい甥っ子なのよ」
こうして、義澄は富子から小川御殿をもらうのですが、将軍の家を引き継ぐのは、本来なら現将軍の義稙です。
富子の行いを知った義視は……
義視「富子の奴! まさか、義稙を将軍から引きずり下ろし、義澄を将軍にさせる気だな! 許せん!」
こうしてぶちギレた義視は……
義視「ロードローラーだぁぁぁぁ! WRYYYYYYYY!!!! ぶっ潰れろぉぉぉぉ!」
この時代にロードローラーなんてありませんが、怒った義視は小川御殿をぶっ壊します。
富子「なにするのよ! 義視!」
義視「うるせえ! お前、俺の息子を将軍から引きずり下ろすつもりだろ!」
富子「あんたバカァ? そんな訳なじゃない! せっかくの御殿をメチャクチャにして!」
こんな感じでまた、ケンカします。
そして富子も……
富子「やっぱり、父親があんなんだから、義稙もダメかしらね。やっぱり将軍は義澄のほうがいいかも」
こうして富子も義澄を支持するようになってきました。
義稙の不幸その2 父の死
義視「義稙は俺が守る!」
こんな感じで我が子の後ろ盾についていた義視でしたが……
義視「急に体調が悪く……ウッ!」
義視が死亡してしまいます。
義稙は父という最大の後ろ盾をなくしてしまいました。そして幕府内は……
富子「義稙じゃ、ちょっとねえ」
政元「義澄がいいなあ」
こんな感じで敵ばかりになってしまいます。
義稙の不幸その3 政元の反逆
父の死で窮地に落とされた義稙でしたが……
義稙「将軍として、足利の権威を取り戻すんだ!」
義稙は前向きに頑張りました。
そして、反発する大名や勢力を倒し、幕府の権威を取り戻そうとしたのですが、事は上手く運びませんでした。
政元「ええ、それは止めましょうよ」
管領の細川政元は反対しますが……
義稙「いや、俺はやる!」
義稙は戦いを行います。その結果、義稙の行動は成功し、幕府に対する反勢力を倒すことに成功! 着実に幕府の権威を取り戻していきました。
そして義稙は畠山基家を倒そうと考えますが……
政元「基家くん、将軍がお前のこと倒そうとしてるよ」
基家「ええ、嫌だ (´Д`|||) 」
政元「一緒に戦おう」
基家「うん!」
なんと! 政元と畠山基家は裏でつながっていたのです。政元は用意周到な男ですね。
義稙「じゃあ、いってくるね!」
政元「いってらっしゃーい!」
義稙が基家を倒すために、幕府を留守にします。そして、畠山基家と戦っている最中……
政元「将軍は義稙様ではなく、この義澄様です!」
なんと! 勝手に義澄を将軍にしたのです! しかも……
『各地のサムライや大名へ。 私、細川政元はクーデターを成功させ、京都を占領しました。つきましては、新たな将軍は義澄様です。皆様、新しい将軍に従い、京都に来て、義稙様の息の根を止めるために、協力してください by政元』
このような手紙を各地に配ったのです。
「ええ! 嘘! ( ゚Д゚) 」
各地の大名は驚きます。そして……
大名A「義稙様か義澄様か、どっちにつこうかな」
大名B「クーデターって成功したんでしょう。だったら、義澄様でしょ!」
大名C「俺も義澄様につこう」
そもそもクーデターなんて起きていないのですが、“政元がクーデターを成功させたという情報によって、多くの大名が義澄に従うことにしたのです”
ちなみに、当時の天皇が……
天皇「政元くん! なに勝手に征夷大将軍を変えちゃうの! ダメでしょ!」
文句を言いますが、周囲から「天皇は黙ってサムライに従ってください!」と言われて、義澄の将軍着任を認めざるおえなかったそうです。
南北朝時代までは『天皇VSサムライ』による、覇権争いが続いていましたが、この頃になると、天皇はすっかり丸くなっています。
『尼将軍 北条政子と戦った、後鳥羽上皇』や『足利尊氏と覇権争いをした後醍醐天皇』のように、“サムライから政権を奪い返す”なんて、パワフルなことはしなくなっていますね。
さて、義稙ですが、基家を攻めているつもりが、自分が窮地に立たされていました。
義稙「なんで、俺こんなにピンチなの!? こんなところで、やられてたまるか!」
義稙は必死に戦いますが、味方はほとんどいないし、援軍も政元に阻まれたどり着けませんでした。そして……
義稙「まいった! 降参!」
ついに義稙は白旗を上げ、京都のお寺に幽閉されました。
この足利義稙を将軍から失墜させた、細川政元のクーデターを『明応の政変』と言います。
【将軍は名前だけになってしまう】
明応の政変によって義稙は失墜、義澄が室町11代目将軍になります。しかし明応の政変を行ったのは、細川政元です。
政元「お前! 俺のお陰で将軍になれたんだから、言うこと聞けよ!」
義澄「政元さん、わかりました! 僕ちゃん言う事聞きます!」
このように幕府内は政元の権威が、将軍よりも強くなっていました。
そんな中……
義稙「くっそ! 政元、覚えてろよ!」
なんと! 義稙が幽閉されていたお寺から抜け出し、京都から脱出したのです。
そして『打倒! 政元&義澄』を目指して、様々な大名を頼りますが……
義稙「頼む! 協力してくれ!」
大名A「すいません。うちはちょっと……」
義稙「政元を倒す手伝いをしてくれ!」
大名B「うちは、コレがアレなもんで……ごめんなさいね」
こんな感じで、協力してくれる大名はおらず、あちこち放浪したので、『流れ公方』というあだ名がついてしまいました。
こうして義稙は15年ほど、放浪の旅を続けるのですが、ある日、チャンスが訪れます。
なんと! 義稙を失墜させた張本人である政元が死亡したのです。死因は暗殺でした。
「ヤベェ! 政元さんが暗殺された! どうしよう!」
こんな感じで、幕府内に動揺が走り、混乱している最中……
義稙「オラオラ! 義稙様が戻ってきたぞ!」
なんと義稙は幕府が混乱しているのをいいことに、京都に攻め混みました! そして……
義稙「本当の将軍は、俺なんだよ! 貴様は出ていけ!」
義澄「いやあああああああ!」
なんと! 義澄を追い出して、将軍に返り咲いたのです。
義澄「くっそー! 僕を追い出しやがって! 将軍の座を奪い返してやる!」
義澄も復権を計画しますが……
義澄「急に体調が悪く……ウッ!」
病気で死んでしまいました。義澄、残念!
こうして、政元、義澄など、義稙の敵はいなくなり、安泰かと思いきや……
細川高国「くっそー! 義稙の奴、ムカつくなー!」
なんと! 管領の細川高国との仲が悪くなります。
こんか感じで幕府内で内輪ゲンカばかりしています。日本では戦国時代が始まっていて、あちこちで争いが勃発しているのに、トップの幕府がグダグダなので、争いの波紋はどんどん広がっていくのも無理ないですね。
そして、義稙と高国との仲はどんどん、悪化していって……
高国「義稙! 貴様は幕府から出ていけ!」
義稙「いやああああああ!」
以前は細川政元によって失脚された義稙ですが、今度は細川高国によって都から追い出されます。
そして再び、義稙の放浪の旅が再び始まります。
義稙は将軍の席に座っているよりも、放浪している期間の方が長いです。水戸黄門よりも諸国を旅しているんじゃないでしょうかw
義稙「くっそー! 将軍の座を取り戻してやる!」
義稙は復権を目指します。なかなか、不屈の精神の持ち主ですね。しかし……
義稙「急に体調が悪く……ウッ!」
復権を果たせず、病死してしまいました。
さて、義稙がいなくった室町幕府は、12代目将軍、
しかし、ここまでの歴史を振りかえるとわかるのですが、応仁の乱以降、幕府内はずっと“義視、富子、義稙、義澄、政元、高国”が入り乱れて、ドロドロの覇権争いを繰り返しています。
なので、周囲の人々は……
「もう、室町幕府ってオワコンじゃない?」
このように思われるようになっており、足利将軍の権威は地に落ちていました。
【下克上が起きる】
鎌倉時代に源頼朝が、“警察権と軍事”を担う機関である、『守護』の権限を朝廷から奪ったのは、覚えてきますか?
さて鎌倉幕府が権限を握った守護の制度は、室町幕府に引き継がれていました。
室町幕府は各地に守護を配置して、戸籍管理や軍事や警察の仕事を任せていました。
守護の中でも、出世して力をつけた者が大名を名乗り始め、『守護大名』が現れます。
征夷大将軍と守護大名の関係を現代でたとえるなら……
・征夷大将軍=内閣総理大
・守護大名=国務大臣
といった感じですね。
トップは征夷大将軍ですが、各地の支配は守護大名に任せていたわけですね。
幕府の権威が輝いていた頃はともかく、応仁の乱以降、バランスを崩れます。
京都で激しい戦いを繰り広げられているので……
守護大名A「東軍に呼ばれたから、ちょっと行ってくるよ!」
守護大名B「西軍がヤバイらしいから、加勢してくるね!」
こんな感じで、各地の守護大名が京都に集まりますが、自分の領地を放っておくわけにはいきません。そこで、
守護大名「俺がいない間、代わりに国を治めてて! 頼んだよ!」
守護代「わかりました!」
守護大名は国を留守にする間、守護代という代わりの領主を立てたのです。
現代で例えるなら、社長が出張で長く留守にする間、会社は支店長や専務などに任せるような感じですね。
こうして各地の守護大名は、守護代をおいて京都に向かったのですが、応仁の乱は長すぎた! 11年も争っていた訳ですから、守護大名は戦で疲れています。
その一方で、領地を任された守護代は、守護大名の長い不在の間に力と権力をつけていました。
しかも守護大名は応仁の乱で疲弊して満身創痍。守護代は領地を奪い取るチャンスと考えます。
守護代「11年も俺がこの国を守っていたのに、元の守護大名に国を返すの嫌だなぁ。国を奪っちゃおうかな?」
守護大名「ふう~。応仁の乱、メッチャ疲れた。ただいま、国を返してくれる?」
守護代「嫌だね! この国は俺のものだ!」
守護大名「ええ……(´Д`|||) 」
長い戦で生き生き残り、やっとの思いで自分の国に帰ってきたら、守護代が反逆を起こしているという、理不尽な状況が守護大名に降りかかったのです。
全国で守護代による反乱が頻発するようになり、これが『下克上』の始まりとなります。
こうして守護大名から武力によって、領地を奪った守護代が『戦国大名』となっていきました。
一方、リーダーである幕府内ですが、先程もお話した通り、“義視、富子、義稙、義澄、政元、高国”が入り乱れて、身内同士でケンカしたり、覇権争いばかりしている状態です。
もはや戦国大名による反乱を止められないほどに、将軍としての足利家は衰退していました。
【ついに魔王が登場】
最初は上手くいっていた室町幕府ですが、応仁の乱が原因で衰退していき、各地で下克上が発生し、日本は戦国時代へと突入していきます。
戦国時代に突入して室町幕府が滅んだ、と思われがちですが、実は「HP1」の状態でしぶとく生き残り続けていました。
「HPが0」になってもおかしくない室町幕府ですが、“ある人物”の登場によって回復し、足利政権は復活します。
その人物こそ戦国武将の中でも「魔王」の異名を持つ男、織田信長です。
さて、次回はついに織田信長登場! と言いたいころですが、もうひとつの出来事、鉄砲とキリスト教の伝来をお話していきます。
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