第29話 室町幕府全盛期到来!

【分裂した日本を合体させた男】

 足利尊氏と後醍醐天皇の争いによって、生まれてしまった南北朝時代。


 日本は室町幕府がある京都の北朝きたちょうと、後醍醐天皇側の奈良にある南朝なんちょうに別れてしまいました。


北朝「こっちが、本当の朝廷だ!」


南朝「いやいや、こっちが本当の朝廷だ!」


 こんな感じで、お互いが正式な朝廷であるのを主張しあい、一歩も譲りませんでした。

 しかもそれぞれが、天皇をたてていたので、日本に天皇が2人いる異様な状態が、60年ほど続いていました


 もちろん、何度も小競り合いは起きていますが、決定的なものはありませんでした。


 そして尊氏の息子、足利義詮あしかがよしあきらが2代目将軍になり、南北併合を目標に頑張ります。


義詮「南北朝時代を終わらせるぞ……あれ? 急に、体調が悪く……ウッ」


 志しなかばで義詮は38歳という若さで、急死してしまいました。


 そして息子の足利義満が3代目将軍になるのです。



【北と南の合体!】

 義満は南朝に対してこのように打診しました。


義満「三種の神器は返すから、そろそろ争うの止めませんか? あと皇位ですけど、南朝の人が天皇した後に、こちらの北朝の人が天皇に即位するというのは、どうでしょうか?」


南朝「それなら、いいよ」


 色々、細かいところは省いていますが、義満の交渉によって北朝と南朝の、60年も続いた争いは終わります。


北朝「ええ!? 三種の神器を返しちゃうの!」


 北朝は三種の神器の返却に不満を持ちましたが、長く続いた争いのせいで、疲弊しており、義満に逆らうことはできませんでした。


 こうして北と南に分裂してしまった日本は、義満のお陰で合体する事ができました。



【豪華な北山文化】

 南北朝時代という動乱の時代が終わると、平和な時期が訪れました。


 鎌倉時代編でもお話しましたが、平和な時代が訪れると、カルチャーが育ち始めます。

 

 室町時代も例外ではなく、室町のカルチャーが花開きます。


 南北の争いを平定した義満は、中国にあっためいという国と貿易を始めたので、幕府の財政が安定しました。


 国が安定すると人々に、余暇を楽しむゆとりが生まれます。その中でも芸能とアートが発展しきていき、日本の伝統芸能である『能』や『狂言』、伝統芸術である『能面彫刻』や『水墨画』が生まれます。



 さて教科書に載っている足利義満といえば、丸坊主で仏教僧みたいな見た目をしていますね。


 なぜお坊さんみたいな格好をしているのかと言うと、37歳という若さで早々に将軍職から引退し、出家したからです。


 義満はお坊さんに似てるんじゃなくて、ガチなお坊さんだったんですね。


 そう言ってもただのお坊さんではありません。


 そして義満は明との貿易によって儲けたお金で、金ピカで有名な『金閣寺』を建てて、そこに住みました。


 この金閣寺に代表される、豪華でキラキラした室町時代のカルチャーを『北山文化』と言います。 


 それにしても、金ピカの家に住んでいたなんて、すごいセレブですね!



【曲者ぞろいの室町将軍たち】

  4代目将軍、足利義持あしかがよしもちは父である義満を嫌っていました。


 そして義満が亡くなると……


義持「俺は親父のやり方が、気に入らなかったんだよ! 明と貿易してたけどさ、向こうは日本に朝貢ちょうこう(プレゼントみたいなもの)を要求するんだよね。そういうの、気に入らないから貿易は止める!」


 こんな感じで、明との貿易を中止してしまいました。



 5代目将軍、足利義量あしかがよしかずは、けっこうヤベェ奴です。


 というのも、10代にも関わらず、お酒ばかり飲んでいました。

 

 室町時代では10代の飲酒は許されたかもしれませんが、令和になった現代は『お酒は20歳になってから!』です! 


 10代の飲酒は禁止されていますよ! 


 さて、10代にも関わらずお酒ばかり飲んでいた、義量ですが……


義量「うぃ~、今日も酒がうまい、な……あれ、急に体調が悪く……ウッ!」


 19歳という若さで、早死にしてしまいます。


義持「義量が死んじゃった! 仕方がないから、俺がもう一回、将軍やるわ!」


 こんな感じで、義持が再び将軍に戻ります。


 ていうか、明との貿易を止めるよりも、息子の飲酒を止めさせたほうが、よかったんじゃないですかね? 

 


6代目将軍、足利義教あしかがよしのりは、もっとヤベェ奴ですw


 酒飲みの義量が亡くなり急遽、義持が将軍職に戻りますが……


義持「急に体調が悪く……ウッ!」


 43歳という若さで突然亡くなりますが、あと継ぎを決めていませんでした。

 

 なので義持の弟4人のなかから、くじ引きで将軍を決めることになったのです。そして……


義教「やった! やった! 当たった! 俺が将軍だ! いえーい♪」


 こんな風に喜んだかどうかわかりませんが、義教は政治家として意外と優秀で、外国との貿易を復活させたり、なかなかの活躍していました。


 これだけで、終われば名君なんですが、義教には問題があって……


義教「この刺身を作ったのは誰だ! 貴様か! 貴様はクビだ出ていけ!」


義教「貴様、酌がなっとらん! 叩いてやる!」


義教「お前、将軍に逆らうというのか、打ち首だ!」


 こんな感じで、海原雄○並みに、ささいな事で激怒する人物でした。そのため、クビになったり、殴られたり、最悪処刑された人までいたのです。


 まるで暴君のような人ですが、政治面では結果を出しています。

 歴史上の暴君は、ポンコツなのに威張り散らして、どんどん民衆を処刑してしまいますが、義教は政治家としては優秀なので、なんとも言いがたい人物ですね。


 さて室町の海原○山こと義教ですが……


「やられる前に、やってやる!」


 義教に殺されると思った、サムライによって暗殺されてしまいました。


 まあ、当然の結果といえますね。



 7代目将軍、足利義勝あしかがよしかつですが、彼は悲運の将軍と言えます。


 なぜなら9歳で将軍に就き、その1年後に病気で亡くなるからです。


 酒飲みだったり、キレやすかったり、曲者ぞろいの室町将軍ですが、究極的にヤベェ将軍が8代目将軍、足利義政あしかがよしまさです。


 なぜなら、義政は政治に関心のない、ポンコツ中のポンコツ将軍だったからです。


 ただのポンコツなら、それで笑い話になるんですが、義政がとんでもない事態を巻き起こします。


 そう、義政がやらしたので、日本は戦国時代に突入していくのです!



【東山文化】

 戦国時代に行く前に、室町カルチャーの1つ、東山文化を見ていきましょう!


 義満の時代に花開いた『北山文化』は、義政の時代まで受け継がれていきました。


 そして禅宗の影響を強く受け、質素で地味ですが、洗練された深みのある文化が育っていきます。


 若い頃は髪を金髪に染め、チャラチャラしていた若者が、おじさんになると、地味だけど落ち着いた小粋な服を着るようなものですねw


 東山文化によって日本住宅の原型である『書院造』が生まれ、水墨画で有名な『雪舟』が活躍したのもこの時代です。


 北山文化のシンボルは金閣寺でした。

 それに対して東山文化のシンボルは銀閣寺です。


 金閣寺は金箔が貼られていて黄金に輝いているので、銀閣寺は銀色に輝いていると思いきや、そんなことはなく、地味な見た目をしています。


 地味だけど、洗練された深みの東山文化を象徴しているといってもいいでしょう。


 最後に室町時代に生まれた2つの文化をまとめておきます。


・北山文化

 足利義満の時代に花開き、豪華でキラキラしている。

 公家やサムライの文化の影響を受けている。

 能や狂言などの芸能が発達。

 シンボルは金ピカの金閣寺。


・東山文化

 足利義政の時代まで北山文化が受け継がれて、生まれたカルチャー。

 禅宗の影響が強い。

 地味で質素だが、洗練された深みがある文化。

 日本住宅の原型となった書院造が生まれる。

 雪舟が活躍したのも、この時代。

 シンボルは地味な銀閣寺。


 次回はなぜ、日本は戦国時代に突入したのか、お話していきます!

 

 

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