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2021年10月18日 21:45
楠木正成は、源義経と並ぶ日本史のヒーローですね。歴史の変革期に突如として現れて、一時、煌めく様な活躍をしながら、栄達する事なく消えて行った不運の武将。大塔宮護良親王も同様ですが、正成は、草莽の出であるだけに、多くの人から人気がありました。足利側の記録でさえも、楠木正成に賞賛を惜しみません。対して、後醍醐天皇は、両統鼎立の約束を違え、討幕の陰謀が露見すると臣下の日野資朝、俊基に責任を負わせ、討幕戦の功労者である護良親王を阿野廉子の讒言から政敵に売り、時代錯誤な尊王観から社会の現実より乖離した政治を行い、さらには、私情を交えた閨房政治でますます政治をゆがめて行った。元弘の乱での楠木正成の活躍は、その機略縦横な戦術にありました。その正成に、平原で敵の大軍と会戦せよとは、正に愚かしさの骨頂。後醍醐天皇こそは、徳のない天子でした。
楠木正成は、源義経と並ぶ日本史のヒーローですね。
歴史の変革期に突如として現れて、一時、煌めく様な活躍をしながら、栄達する事なく消えて行った不運の武将。
大塔宮護良親王も同様ですが、正成は、草莽の出であるだけに、多くの人から人気がありました。
足利側の記録でさえも、楠木正成に賞賛を惜しみません。
対して、後醍醐天皇は、両統鼎立の約束を違え、討幕の陰謀が露見すると臣下の日野資朝、俊基に責任を負わせ、討幕戦の功労者である護良親王を阿野廉子の讒言から政敵に売り、時代錯誤な尊王観から社会の現実より乖離した政治を行い、さらには、私情を交えた閨房政治でますます政治をゆがめて行った。
元弘の乱での楠木正成の活躍は、その機略縦横な戦術にありました。
その正成に、平原で敵の大軍と会戦せよとは、正に愚かしさの骨頂。
後醍醐天皇こそは、徳のない天子でした。