意味のないゴールへ
ライ月
第1話 梅雨晴れに届けられたバトン
――なんでここにいるんだっけ?
東京都庁ほど近い場所で、
大人の感じがにじみ出る四人掛けのテーブルが、少なく見積もって二十。あそこに並んで置かれた都内のビル街が小さく見えるほどの眺望は、目を見張るものがあるだろう。
大人であればここで絶品に舌鼓を打ちながら、恋人を連れ込んで夜の東京を満喫するのだろう……にしても場違いな服装だ。
彼女は上下白の服で身を固め、ぷらーんと両足を投げ出していた。左肩から斜めに縦断するような赤のラインが入っただけの簡素なもの。赤の
普通なら場違いな格好、ひとりではドレスコードに引っかかるかもしれない。
ダサい体操服と間違う服装だが、こんな格好にも意味がある。
水樹はだらけきった身体を椅子にあずけ、他人事のように辺りを見回す。
花瓶、絵画、絨毯、シャンデリア……専門的な知識はないが、金はかけているだろうことは見てとれる。がらんとした、高級ホテルの内装に思わず目移りしてしまうのだ。
水樹の周りには幾人かのスタッフがいる。少数精鋭と言ってよい人数だ。
老若男女問わず一様に青のTシャツを着用していて、せわしなくどこかに電話をかけている。
ここに来ることはもうないだろう。コロナの隔離政策のおかげというべきか、あるいは……と、窓に目をやる。ガラスに透過する声援と車がわめく音が激しくなってきたので、そろそろ〈あの黄金のトーチ〉を持つ時間が近いはずだ。
「小野寺 水樹さん、準備はよろしいですか?」
「え? あ、はい」
『東京オリンピック2020』のスタッフが声をかけてきた。
名札に葛西と書いてある、四十過ぎの女性スタッフの呼びかけに応じて名残惜しく席を立つ。ストローの先から飲み終わる音をかき鳴らし、コップを置いた。
エントランスホールを出たところで、強い日差しに手びさしを作らざるを得ない。熱射された外気が水樹の服を軽く貫通し、肌を焼こうとする攻撃。
二時間ほど蓄えた冷気を瞬時にふき取って、あの不快な水分が汗取りベストに吸着していくのを感じた。
三日前に梅雨から抜け、今日から本格的な夏の到来だった。見上げなくとも分かる、からっと乾ききった一円玉天気とアルファベットが光り輝いていることだろう。〝
こんな日に火のついたトーチを持つのか。
改めて考えてみればそれは憂鬱な気持ちになり、自然と肩まで伸びた髪の毛に触れる。もう熱かった。
葛西の先導のもと、二人は北へ歩いた。途中、
「約二十分後に、聖火ランナーが到着します。沿道の方々はマスクを着用の上、ソーシャルディスタンスを保ってください!」
という、コロナに関する注意喚起兼、企業宣伝カーが爆音で通り過ぎていった。保険会社だった。
「小野寺さん」
緊張を解きほぐす目的か、葛西が気安い調子で水樹に話しかけてきた。
「あの質問の答え、考えられた?」
「いやぁ……ほんとに来るんですかねぇ、そんな質問」
「来るわよ。だって、走り終わった後に記者会見があるんだもの」
「来ないことを祈ってます」
「だめよ。大人は、平気で踏み
二百メートルほど歩いたところで、遠くのほうで人だかりがやってきた。
右からやってきてT字路を左に。隣のスタッフと同じく青いTシャツを着て、こちら側へ近づいてくる。中央の人物は特に声援を浴びて、にこにこ笑顔だった――誰もが忌避する灯火を持って。
あれを持って都庁まで走る……運がいいのか、悪いのか。
水樹は、
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