ゴールは遥か彼方に

和辻義一

ゴールは遥か彼方に

 ル・マン24時間レース。1923年に開催された「ラッジウィットワース杯24時間耐久グランプリ」に端を発するこのレースは、フォーミュラ1のモナコグランプリ、アメリカのインディ500と並び、世界三大レースと呼ばれる歴史のあるものだ。


 また、デイトナ24時間レース、スパ・フランコルシャン24時間耐久レースと並び「世界三大耐久レース」の一つにも挙げられるが、その中でも知名度は一番高いレースだと言えるだろう。


 俺達はその年のル・マン24時間耐久レースに、LMP2クラスで参戦していた。簡単に言えば、自動車メーカー系ワークスチームや有力プライべーターチームが参加するLMH(ル・マン・ハイパーカー)クラスの一つ下のカテゴリーに属し、準花形クラスと言えるかも知れない。今年で通算三度目の出場になるが、過去二回はいずれもマシントラブルで、完走を果たすことが出来なかった。


 現在は現地時間で午後2時を回ったところ、レースが始まって23時間を過ぎた辺りだった。レース終了まで、残り1時間。昨日の午後3時にスタートが切られてから、様々なドラマがあった。


 LMHクラスの各車がしのぎを削り合う中、俺達LMP2クラスの間でも熾烈なポジション争いがあった。コース上の異物を拾ってタイヤがスローパンクチャーを起こした時には、一体どうなることかとも思ったが、その時のチームメイトがマシンをいたわりつつ何とかピットエリアまで帰ってきてくれたので、タイヤ交換と若干のマシンの補修程度で戦列に復帰することが出来たのは幸いだった。


 夜間のスティントの時には、まさに恐怖との闘いだった。暗闇に包まれたコース上を、各車が自らのライトの明かりだけを頼りに、平均時速200キロメートルオーバーで走り続ける様は、まさに度胸試しの世界だったと言えた。


 夜間のスティントに入る頃には、長時間のドライブでドライバーは疲労が蓄積し、一瞬の気の緩みが命を奪いかねないクラッシュへとつながることも決して少なくない。俺も今回で三度目の経験だったが、何度経験してもこの恐怖ばかりは慣れることがなかった。各チーム共に、ふらふらになりながら夜明けまでのレースを走り続け、気力体力共に激しい消耗を強いられることになった。


 長時間に渡る疲労が蓄積するのは、何もドライバーだけに限られたことではなかった。チームの監督やメカニック、サポートスタッフの面々も、時間を追うごとにピットエリア内で体力温存のため、あちらこちらで居眠りをすることになる。俺達ドライバーも走っていない間には、仮眠を取ることが必須だったが、いつ何時緊急のピットインやドライバー交代が必要になるのかが分からない状況下においては、そうそうゆっくりと休むことは出来なかった。


 今回のレースにおける自分の役割を果たし終えた俺は、今は最後のスティントをチームメイトに任せて、眠気覚ましのコーヒーを手にガレージの中で椅子に座り、ぼんやりとモニターを眺めていた。いつ何時、何があるか分からないため、レーシングスーツを脱ぐというわけにはいかない。同じく先に役割を終えていたもう一人のチームメイトは、何人かのメカニック達と同様にレーシングスーツ姿のままガレージの床へ寝転がって、完全に寝入ってしまっていた。


 現時点における我がチームのポジションは、総合8位、クラス2位につけている。プライベーターとしては上々の途中経過だったが、各チーム共にマシンもドライバーもボロボロになっていて、ここから大きな順位の変動が起こる可能性――つまり、1位にジャンプアップ出来る可能性は、かなり低い。1位との差は、約30秒。


 それでも、「ル・マンには魔物が潜む」と言われるように、過去のレースにおいても残り一時間以内で劇的なドラマが訪れることが多かった。ある時には長時間のレースに耐えられなくなってマシントラブルが発生し、またある時にはドライバーが集中を切らしてしまい、コースアウトやそれに伴うクラッシュなどでマシンが動かなくなってしまう。


 俺達のチームのマシンにも、それは突然に訪れた。テレビ中継のモニターの中で、ユノディエールの直線を走っていた俺達のチームのマシン後方から突然白煙が吹きあがり、急激にスピードを失っていった。マシンは白煙を上げながらゆっくりとコース脇のエスケープゾーンへと移動していき、そこでマシンは完全に止まってしまった。


 コース脇に待機していたマーシャルの何人かが、俺達のチームのマシンまで駆け寄ってきて、マシン後方から二酸化炭素消火器を吹きかける。しばらくしてから、マシンの搭乗口のハッチが開き、よろよろとマシンから出てきたチームメイトがうなだれながら外したステアリングを元に戻して、苛立たしげにハッチを締める姿がモニターから見て取れた。


 ピットエリアにいた誰もが落胆のため息をつき、そのうちの何人かはべっとりと疲れが貼りついた顔で被りを振った後、その場に座り込んでしまった。


 それから随分とたってから、マシンをドライブしていたチームメイトがピットまで戻ってきた。明らかに意気消沈した様子で、監督やメカニック、サポートクルーのみんなに順番に謝罪の声をかけて回っていた。声を掛けられた側の者達も、労わるように彼の背中や肩を叩いていた。


 チームメイトが俺と、もう一人のチームメイトのところにもやってきた。開口一番、彼は謝罪の言葉を口にした。


 俺はマシントラブルの原因を彼に尋ねた。彼曰く、それまではこれといって調子の悪いところはなかったらしいのだが、突然アクセルの踏み応えがなくなって失速し、バックミラーを見たらマシンの後方から白煙が上がっているのが見えたという。


 詳しい原因は後で調べてみないと分からないだろうが、おそらくは予期できなかった突然のエンジントラブルが原因という線が濃厚だった。ル・マンのコースの中でも、ユノディエールは全長6キロメートルにも及ぶ直線区間で、そこを走るマシンは皆、アクセルペダルを床まで踏み込んだままエンジン全開で走り続ける。エンジンに対する負担が、最も掛かりやすい区間だと言えた。


 俺はもう一人のチームメイトと共に、うなだれたままのチームメイトの肩を叩いて慰めた。今回のリタイアの原因が彼にある訳でもなく、仮に俺やもう一人のチームメイトがハンドルを握っていても、おそらくは同じトラブルが発生していたはずだったからだ。突然のエンジンブローとは、大概そういうものだ。


 ただ、レース終了まで残り一時間を切った時間帯でのリタイアは、やはり心身に堪えるものがあった。ここまで丹念に、慎重に積み重ねてきたものが、一瞬にして無に帰してしまう。すべての努力が、必ずしも報われるという訳では無い。俺達のチームはプライべーターで、一台体制でのエントリーだったので、俺達の今年のル・マン24時間耐久レースはこれで終わりだった。


 監督の指示のもと、メカニックやサポートクルー達が撤収準備に取り掛かり始めた。今年で三度目の俺達の挑戦は、またしてもゴールをくぐることが出来なかった。悔しさに泣き出したくなる気持ちもなくはなかったが、それ以上に蓄積された疲労が頭の中で濃密なスープのように詰まっていて、半ば感覚が麻痺したような状態だった。


 来年も同じような体制で、このル・マン24時間耐久レースに出られるという保証は何もない。だが、最後のゴールをくぐるまでは諦めきれないという悔しさは、俺の胸の内にふつふつと湧き上がっていた。きっとチームの誰もが、同じ思いにとらわれていることだろう。


 願わくば来年もこの場にいられるようにと思いながら、俺はチームの仲間達と一緒にピットガレージの後片付けを始めた。レース終了まで、残り20分を切った頃のことだった。

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