五

 ――始まりは、とても純粋な想いだ。誰にでもある、子供の戯れのようなもの。

 

 『僕を見て、僕に気が付いて。あなたが大好き』


 芽吹いたばかりの小さくて尊いその感情は、突然現れた悪意によって無惨にも踏み潰された。

 『痛い。どうして。助けて。寂しい』

 苦しくて、痛くて、寂しくて、辛くて。でも会いたくて。そういう感情を背負ったまま、今もなお苦しみ続けている。

 呻吟しんぎんが、直截ちょくさいに響いてくる。

 胸がつっと痛んだ。哀泣あいきゅうのような痛々しい声が、頭に流れ込んでくるようだった。これは悲しい。とても悲しい呪いだ。


 額を離した梔乃しのに、琉霞るかが恐る恐ると云った様子で尋ねる。


「それで、術者とは誰ですか? 名前は? 何処に居るのです?」

「そんなこと分かるわけないでしょ」

 馬鹿じゃないのか、と言外にそう含んだ云い方をされて、琉霞はまたむっとする。

「じゃあ何のためにしたんですか! それとも全部嘘ですか? やっぱりいんちきで」「五月蠅うるさい」


 声を荒げた琉霞を、にべもなく切り捨ててから梔乃は

「私に追えるのはせいぜい、術者の感情と気配くらい。………いい? この呪詛は恋慕からきたもの。初めは純粋だった思慕が捻じれてこじれて、いつしか穢れを纏って呪いに変わった」

「恋慕が呪いに……?」

  瞬く琉霞を横目に、梔乃はつんと言い放つ。

「痴情の縺れで相手を呪おうなんて、古今東西どこにでもある話だよ」

「あら。でも私、殿方とお話する機会なんてそうそう無いのだけれど」

 小首を傾げた真白が、いぶかし気に云う。

「本当に? 一月前、誰かと話したり、接点を持った覚えは?」

「そうねぇ……」

 頬に手をあてて、記憶の回廊を巡る。一月前だ。誰か、男の人――「あ」

 声をあげた真白に、二人の視線が集中した。


「居るの」「居るんですか」


「本当に一瞬だけだけど。夜に眠れなくて、少し風にあたろうと庭にでたことがあったの。その時ね、男の人に会って。腕に怪我をしていたから、井戸の水で洗って、手拭をあげたことがあったわ。でも、気が付くといつの間にか居なくなってて」


「庭に男…………?」


 訝し気な目をする琉霞を見て、梔乃は云う。


家人けにんじゃないの」


「夜に庭をうろついてる人なんていませんよ。夜警なら門兵だけです。まず間違いなく怪しいですね」


「あらそうなの。私、てっきり庭師の方かと」


「夜に庭いじりは無理がありますよ。月明かりだけじゃあ流石に」


「あらそうなの」納得した真白の横で、梔乃が口を開いた。

「その男の特徴は? 顔は見た?」

「見たと思うけれど……暗くてよく分からなかったわ。でも、もう一度見たら分かるかも」

 それを聞いた琉霞が頷いた。


「探しましょう。屋敷中の若衆を虱潰しに。姉上を呪った下手人を、僕が必ず見つけ

出して見せます」





「当てはあるの」

 真白の部屋から出て、襖を占めたところで、梔乃が云った。


「まあ。屋敷の外は高い石塀で囲われていますから、手を掛けられるところもありませんし。あれを登って来れる者はまず居ないでしょう。それならば、入り口は正門と裏門の二か所だけです。そのどちらにも家人が四六時中警備をしていますから、まず侵入は不可能ですね。仮に突破されたとしても騒ぎで誰かしら気が付くでしょうし。でも、姉上のあの感じだと、特に変わったことは無さそうでしたから。だとしたら、屋敷内部の者以外はあり得ません。それも若い男となればかなり絞られるでしょう」


 云いながら歩きだした琉霞の横を、梔乃もついて歩く。このまま外まで送ってくれるらしい。

 戸口から庭に出たところで、今度は琉霞が口を開いた。


「貴女こそ、何かまだ思うところがあるのでは」

「……………」

 

 梔乃はわずかに柳眉を寄せた。

 

 いくつか引っかかっていることはある。

 術者の気配を探ったとき、梔乃の感覚では少し幼いような……未だ稚気ちきの抜けない子供のような感情が流れ込んできた。分別がつかない故に、粗っぽくて、自分で自分の感情がうまく制御出来ていない…そんな感じがしたのだ。これは、真白の会ったという若い男の話とは平仄ひょうそくが合わない。


 もう一つは、もしかしたら、術者はもう死んでいるのかもしれないという懸念だ。

 真白に触れたときに感じた術者の気配は、生者のそれとは大きく異なっていた。最後の最後で「痛い、苦しい」と藻掻いていた様子を見るに、道半ばで殺されてしまったという可能性も考えられる。


 この世になにかしらのわだかまりを持ったままついえた者の魂は、死後も現世うつしよに留まることがある。悔恨を抱えたまま彷徨い続けた幽鬼が、いつしか穢れを身に貯めて、あやかしに転じてしまうこともままあった。

 真白を呪っているのが亡霊の怨念だとしたら。

 死人の呪いは生者を相手取るよりもよっぽど厄介だ。




「――またですか」

 

 不意に琉霞の倦んだ声が聞こえて、梔乃は思考を止める。

 琉霞の視線の先には、数人の男たちが池の周りを囲んでなにやら話し込んでいた。


 「ああ、坊ちゃん」

 琉霞たちに気が付いた男の一人が微苦笑する。


 「まぁたやられちまいました。もうこれで四度目です」

 「はぁ」

 溜息をついた琉霞の横をすっと通りぬけ、池の中を覗き込んだ梔乃は絶句した。


 「なに、これ」

 

 池の水は黒ずんだあけに染まっている。浮かんでいるのは鯉の死骸だろう。体を真っ二つに引きちぎられたり、頭から割かれたりして見るに堪えない酷い有様だった。思わず袖で顔を覆った梔乃の横で、琉霞が恬淡と云う。


「少し前からです。いたずらかなにかわかりませんが、こうして池が荒らされたり、庭の木が倒されていたりすることがありまして。野生の獣が入り込んで来ることは稀にあるので、それらの仕業かもしれません」

 

 確かに、手あたり次第引きちぎったというような鯉たちの死に様は、獣じみたなにかを連想させる。


「でも妙なんですよねぇ。荒らしただけで、鯉の数は減ってないんです。食われた感じもないですし」

「やっぱり人の仕業かね?」

「そういやぁ、ちょっと前にもぼろぼろの狐の死骸が庭に転がってることがあったなぁ。あれもいたずらか」


 頭を搔きながら、口々に男たちが云う。

「……普通これだけ暴れれば、誰かしら気が付くんじゃないの」

 梔乃がぼそりと呟いた。

「門の不寝番たちが物音に気が付いて向かって見ても、誰も居なかったみたいなんです。後にはこの通り荒らされた庭が残るだけ……」

「…そう」


 えたようないやな匂いが漂ってきて、梔乃は一歩後ろに下がった。それに気が付いた琉霞がそれとなく門のほうに誘導しながら云う。

「失礼。女性に見せるものではありませんでしたね。さあ行きましょう」

 門の外に出た梔乃に琉霞は、犯人が判ったらまた迎えに行くと云って屋敷へ戻っていった。




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