二
「―――そうしたらですね、兄上がこう…前に転んでいったんですよ」
「あらあら。おかしいこと」
兄の痴態を嬉々として話す
十畳ほどの座敷に居るのは二人だけ。
布団の上で上体を上げて微笑む姉の前に、琉霞は
琉霞の父はこの
父には五人の子供がいて、琉霞はその
三つ上の姉は今年で十七になる。意地の悪い兄たちとは違って、この姉はいつも琉霞に優しく、琉霞もいっとう姉を慕っていた。
そんな姉が病に倒れたのは、およそ一月前のことだ。
まだ肌寒さを残す季節。姉は突然不調を訴えて、病床に伏した。
はじめはただの風邪であると思って、高を括っていた家の者たちも、姉の容態が悪くなっていくのを見て、徐々に青ざめていった。
真白の顔色は悪く、もともと白かった頬は血が通っているのか疑わしいほどになり、体の方も頼りなく痩せてしまっている。
当然、父や兄たちが里中の医師を集めて治療を試みたが、結果はこの通り芳しくなかった。
幸い、麻疹や天然痘の類ではなさそうだったが、病名も判然とせず、治療法も分からないとなれば、ただ刻刻と姉の精気がそがれていく様を見ていることしかできない。琉霞にはそれが歯がゆかった。
風が障ると悪いので、障子は締め切っている。違い棚に置かれた
「綺麗ねぇ」桜を眩しそうに見つめて真白は
花を愛でる歓びを知る、健やかで愛情深い人だ。
最愛の姉が、まるで時期を終えた花のように枯れていく姿を見たくは無かった。
この通りはいつも騒然としていて賑やかい。間取りの似たような家が所せましと並んでいて、行商人の掛け声は活気に満ちている。道の端には辻売りや
時折、「やあ坊ちゃん」と掛けられる声に曖昧な笑顔で返し、目的の場所へと足を早める。声を掛けられる度に足を止めてしまうと、いつまでたっても前に進めないことを琉霞は知っていた。
道を歩けば、ちらちらと人の視線を感じる。それは琉霞が里長の子であるという理由だけではない。
琉霞は己の容姿が一目を惹くことを自覚している。
端正に整った顔立ち。
琉霞は美しくある自分を誇りに思っていた。綺麗と褒められるのは嬉しい。
産まれてこの方、羨望の眼差しを向けられることを当たり前のように享受してきたのだ。
美しいということは、それだけで特別なのであると思っていた。
『
小ぢんまりとした茶屋だが、何代にも渡って長く続いている老舗でもあり、地元の人々でいつも賑わっている。
琉霞も姉も、ここの団子が好きだった。病に伏してから、食も細くなった姉だったが、好物の団子なら少しは食べる気になってくれるかもしれない。
「あら琉霞ちゃん、いらっしゃい」
店頭で琉霞を出迎えた四十ほどの恰幅の良い女は、ここの店主の娘である
「薫子さん。こんにちは」
「はい、こんにちは。今日も三色団子でいいかい?」
「いえ。今日は持って帰ります。五つ包んでもらえますか?」
琉霞が云うと、途端に薫子は気遣わし気な顔になった。
「真白ちゃん。まだ良くないんだって?」
真白が病に伏せていることは、里の者たちの間で噂になっているようだった。
父が愛娘をどうにか救おうと、あちこちから医師や薬師を引っ張ってきているせいだろう。
「ええ。どんな医師に見せても、皆首を振るばかりで」
「あら…そうなの。………ねえ
楝というのは、ここから少し東に行った場所にある村だ。ちなみに琉霞たちが住んでいるこの場所は
「はい。兄たちが、姉を連れて出向いたのですが、やはり駄目でした」
琉霞は苦々しい顔をした。
楝の村にいるという高名な医師は、随分とめちゃくちゃな奴だった。
曰く、碌に治療もしなかったくせに、「診た」というだけで法外の値段を吹っ掛けて来たらしい。
そんな輩が里一の名医と謳われているのだから、世も末である。
琉霞の応えに「あらぁ」と気の毒そうな声を漏らした薫子だったが、少し逡巡した後になにやら神妙な顔を近づけてきた。
「ここだけの話。ねえ、『くちなしの乙女』って知ってる?」
「口無しの乙女?」
琉霞は首を傾げた。聞いたことも無い。しかし、口無しとは随分おどろおどろしい名前である。
「
「ああ、
「そうそうそれ。そこにね、くちなしの乙女って呼ばれる人がいるんですって。なんでもその人、不思議な力を持っていて、どんな名医に診せてもお手上げだった病をたちまち治したとかなんとかって」
「はぁ」
琉霞は気の抜けた声を上げた。
なんともありがちな噂である。病は気からというくらいだ。
きっと、
そういう話に違いない。
違いないのだが。
「不思議な力ねぇ」
この際だ。どんな藁にも縋るべきかもしれない。
これ以上何もしてやれないまま、姉が弱っていく姿をただ黙って見ているのだけは嫌だった。
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