朝と夜の間

 浮気、だと自分では思っていた。恋人は、笑って許すのだろう。それでも、自分で自分を切り刻みたくなる衝動は消えない。

 目の前。

 後輩の、胸。少しだけ、揉んだ。やわらかい。恋人の胸も、こんなふうだったのだろうか。結局、恋人の身体を知らないまま。その欲望を後輩に当たり散らしている。


「だめだな、俺は」


 後輩が身じろぎする。起こさないように。そっと、部屋を出た。


「さて」


 仕事場に向かう。自分と彼女のふたりしかいない、仕事場。なのに、ビルをひとつ、丸々所有していた。仕事向きはわるくない。

 彼女は、いつもこうだった。

 夜、眠りはじめてから。朝起きるまで。突然、自分とセックスを始める。眠ったまま。擦れるのもかまわず、ひたすら動いてくる。


 恋人が消えた日に、急に来た後輩だった。

 身元も、過去も分からない。ただただ、仕事ができる。即戦力だったので、そのまま一日使うことにした。

 そして、夕方。

 彼女に誘われるまま、酒を呑んだ。

 身元や過去について訊いたが、出てきた答えは、きわめて妊娠しにくい体質ということだけだった。


「抗体があるんです。それも、きわめて強いのが。入ってきた精を、ぜんぶ、殺しちゃうんです」


 彼女は、そう言ってなぜか嬉しそうに笑った。


「あと。卵子の壁も分厚いらしくて。二段構えの鉄壁です」


「なんで嬉しそうなんだ」


「え、だって。セックスしなくていいから」


「そうか」


「あんなきたないこと、しなくていいって考えると。うれしいです」


 そう言って、しばらくして彼女は眠った。

 問題は、その後だった。

 彼女のすみかが分からなかったので、仕事場の仮眠室に彼女を放り込んで。自分は帰ろうと思ったとき。

 彼女に押し倒された。凄い勢いで脱いで。凄い勢いで始めた。いたかった。

 彼女。

 今も覚えている。

 彼女は、眠っていた。そして、泣いていた。

 仕方がなかったので、そのまま。されるがままにした。恋人が消えた日に。恋人ではない見知らぬ人間と、セックスする。切なくなって、泣きたくなった。

 ひととおり終えた彼女は、糸が切れたように倒れ込んで、そのまま眠った。自分のものと彼女のものが、真っ朱に染まっている。

 セックスをしているとき。

 恋人の匂いがした気がする。

 気がするだけ。

 恋人とは、セックスをしていなかった。一度も彼女を知らないまま。見知らぬ彼女を知った。それだけで、死にたくなるには、十分だった。


 彼女とは、それからの関係。

 仕事をして。

 夜になると、彼女の隣に行って、セックスをする。夜の間、彼女の記憶はない。


「いつも、朝起きると、頭が重くてだるいんです」


 彼女は、不思議そうに、そう言っていたことがある。夜中に俺を食っているからだと言いそうになったが、黙っておいた。知らないのなら、それでいい。

 夜の間の彼女からは、恋人の匂いがする。なぜか、恋人とセックスをしているような、そんな錯覚がある。だから、切ないけど、それを毎晩続けた。


「先輩。夜、予定ありますか?」


 いつも通りの、酒の誘いだと思った。そのときは。

 夜。急に彼女が手を握ってきて。欲しいのだと、勝手に思った。そのままホテルに連れ込んで、セックスをする。

 いつもと、何か、違う感じがした。濡れていない。まるで、初めて彼女としたときのように。ぎこちなくて、どこか、いたい。

 終わったあと、彼女が泣いているのに気付いた。


「おまえ、起きてたのか」


「きたない」


 彼女は、そう言って、泣きながら。

 また求めてきた。

 そのときになって、彼女が、初めてだったのだと知った。眠りながら求めてくる彼女と、起きていて求めてくる彼女は、違う。別の人間。そう思うことにした。


 その日から、ふたり、抱くことになった。

 起きているときは、起きている彼女。

 寝ているときは、寝ている彼女。

 不思議なことに、自分は、いつまでも果てなかった。延々と、続けていられる。

 そのかわり。

 いつも、身を切られるような、切ない思いに駆られる。

 恋人が消えて。

 よく知らない後輩に。

 欲望をぶつけて。

 ニュースやドラマでぐだぐだと流れている色恋沙汰以下なのだと、思う。


 セックスをきたないと言っていた昼の彼女は、セックスにはまってしまった。

 どこか、なげやりになっている。

 妊娠という、セックスの目的を失っているから、だろうか。つらそうにしながら、それでも、求めてくる。濡れないので、先に出して、それから入れる。

 夜の彼女は、濡れるのに。そんなことを思いながら、何度も。何度も。彼女を満たす。

 そして、夜になると、また彼女を抱く。夜の彼女に、恋人の面影を探して。

 恋人の匂いを感じる度に、欲望が満たされるのを感じる。そしてまた、すぐに、果てる。切ない思いに包まれる。そこから逃れるように、また抱く。その繰り返しで、夜が終わる。


 恋人に、逢いたかった。


 夜と朝の間。

 ほんのすこし、わずかな幻想。

 眠っているのか、起きているのか分からない時間。

 あなたに逢える。

 まるで、違う世界にいるみたい。それでも、逢えているのなら。それでいい。逢える。それだけで。

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