羊の悪夢
余生
第1話
……1
逃げているのか、戦っているのか、自分でも分からなくなっていた。
そんな俺の心情を嘲笑うかのような夢を見た。お前は戦ってるんじゃない、自分では果敢に戦い続けているつもりだが、結局のところ逃げ続けているだけだ、と誰かに言われたようだった。
夢の中で俺はひたすら自転車で走り続けている。街は燃え上がるような夕焼けのなかにある。どこにも人影はない。背後からは全身緑や赤の鬼たちが追ってくる。俺は必死で逃げ続けた…
気付けば遠くからけたたましく甲高い音が鳴る。目覚まし時計だ。俺はようやく薄気味悪い夢から這い出すようにして目を覚ました。
目覚まし時計がどこにあるのかは分からない。少し前に調子が悪くなって以来、不規則に鳴ったり止まったりを繰り返すが、しばらくすると止まる。電池がなくなるまできっとこの調子だろう。目を覚ますのには困らないので後回しにしたままもう何日経ったか分からない。
嫌々体を起こして歩き、洗面台に向かう。洗面台の明かりを点けると気味の悪い顔色の男が鏡に映し出された。目は充血し、目の下にはくっきりと隈が出来ている。俺はそれを眺めながらいつものように髭を剃り出した。
それにしても気味の悪い夢だった。さっき見た悪夢を振り返ろうとする。だがついさっき脳裏で展開された情景だというのに既に記憶はあやふやだ。ただ、どこかで引っかかる部分があった。あれは初めて見た夢ではない。ずっと前、そう、幼い頃にも似た夢を見たことがある。
俺は兄貴と空き地で遊んでいる。多分夕方だったと思う。俺たち以外に世界は滅んだように静かだ。炎のような夕日の向こうから気味の悪い連中が走ったり飛び跳ねたりしながらこっちへ近づいてくる。俺がぼんやり見ていると兄貴が手を引いて、逃げるぞ、と言った。それからひたすら走って逃げたが、兄貴は捕まってしまった。俺が泣きながら兄貴の名を呼んでいると、目を覚ました。そういえばあの連中はさっきの夢で見た連中によく似ていた気がする。
そこまで振り返ってふと言い知れない不安が胸を過った。あの夢は繋がっているのか。自分が二十年以上前に見たあの瞬間と、会社員になった今まで。ただ俺が夢に見なかっただけで、延々と鬼たちは生き続けていたのではないか。
それとも鬼たちは本当に存在したのではないか。あの夢の世界が現実で、今自分がいるこの場所が夢の舞台ではないか……
馬鹿げた考えだ。いい齢をして何を言ってるのか。まだ寝起きで頭が呆けているに違いない。
第一……俺に兄弟なんていないじゃないか。
俺は失笑しようとしたが、うまく頬の筋肉が動かなかった。黙々と朝食のパンを齧り、歯を磨き、スーツを着て外に出る。そうこうするうちに夢の記憶などすっかりどこかへ消え失せてしまった。
東の空が黒い。もうじき梅雨がやってくるだろう。
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