完走する若芽

アイデアの女神に溺愛されて夜も眠れない

完走する若芽

 人間の身でありながら、この岩手の海で、他のどの生物よりも自由に、そして優雅に遊泳できる。

 私は、海女である彼女に強く憧れた。


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 私はいつも、ただ波に任せて海を漂うことしかできなかった。そんな私に対し、彼女はいつも笑顔を向けてくれた。

 この海の中でさえ満足に動けない私に、彼女は優しく語りかける。

「焦らなくていいの。いつか大きくなったら、外の、もっと広い世界に行けるからね」

 この狭い場所で生まれ育った私には、外の世界がどれほどのものか全く検討もつかなかった。

 もし怖い場所だったら、と思うと、身がすくむ。

 そんなとき彼女は、優しく私を抱きしめ、励ましてくれた。

「大丈夫。あなたはこの海の幸よ。あなたの持ち味を生かせば、きっと、みんなから愛される」

 その言葉を聞いて私は勇気づけられた。

 いつしか、外の世界に行くことが待ち遠しくなった。


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 その日は突然やってきた。

 私は、その海女さんの知り合いだという男性のトラックに乗せられて、生まれて初めて、故郷を離れた。

 移動中はちょっと窮屈だったけど、なるべく揺らさないように、丁寧に運んでくれていることが分かった。

 私の成長をずっとそばで見守ってくれたあの海女さんの顔が思い浮かぶ。

 あんな笑顔で送り出してくれたんだ。きっと素晴らしいことが待っている。

 この時までは、そう思っていた。


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 辿り着いた場所は、どこかの工場だった。

 私をここまで送り届けてくれた男性は、そこの工場長と楽しげに会話した後、私を置いて、トラックで帰って言ってしまった。

 そこでようやく私は気付いた、自分が、この男に売られたことに。

 叫ぶことも抵抗することもできず、建物の中へと連れて行かれた。 


 いきなり、逃げ場のない場所に閉じ込められた。

 寒い。

 暗い。

 怖い。

 そこには、自分と同じように連れてこられた仲間たちがいたが、誰一人として、動きもしない、喋りもしない。

 生きているのかさえ、分からない。


 長い時間その場所に閉じ込められているうちに、私もそうなった。

 生きているのかさえ、分からない。

 

 ある日、私の番が来た。久しぶりに、日の光を浴びた。

 その瞬間だけ、生き返るようだった。

 しかしすぐに、私を商品にするための『加工』が始まった。

 最初に、その工場で働く男の手によって、身につけているものを全て剥ぎ取られた。しかも、奪われたものは全て、目の前で破棄された。

 そのあと、砂つぶ一つ残らないように、全身を隈なく洗われた。私が傷物にならないように、丁寧に、丁寧に、何度も水に沈められながら、手洗いされた。

 最後は、狭い箱の中に入れらた。びしょ濡れの私は、その密閉された空間の中で、息ができなくなった。

 ああ、私、本当に商品として売られるんだ。

 その時になってようやく、私は、自分の運命を悟った。

 最期に思い浮かんだのは、私を連れ出した海女さんでも、私を運んだ男性でも、私を商品に加工した工場の人間でもない。

 まだ見ぬ、私を食べる誰かだった。

 願わくは、若いイケメンであって欲しいな…….。


******************** 


 都内某所。

 とあるスーパーにて、若いカップルが、晩のおかずの買い出しをしていた。

 背の高い彼氏が、買い物カゴを持って、魚介類のコーナーの前で足を止める。

「なあ……乾燥わかめって、残酷じゃないか? 急に海で攫われて、洗われて、乾燥させられて、こうやって売られてさ。人間だったら大事件だよな」

「そう思うなら買って食べてあげれば〜? 栄養満点だし。あんたみたいなイケメンに食われるなら、その子も本望でしょ」

「ワカメって性別あるの?」

「さあ? でもワカメって漢字では『若い』に『芽』で『若芽』って書くじゃん。なんか女の子っぽくない?」

 そんな会話を交わしながら、彼女はカゴの中へと入れられる。

 

 そのワカメにとってのゴールは、『乾燥』することだった。

 彼女の唯一の心残りは、味の『感想』を聞けないことだった。







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