第30話 記憶の痕跡を辿る獣
「システィちゃん、ほらあれ見て!」
「あ、気を付け――そこ崖ですよ!!」
ヨニスは好奇心が強かった。
貴族として平民を見下す様子もなく、むしろ職人さん凄い凄いと褒めながら町を歩く。見る物全てが珍しいらしく、まるで籠から出たばかりの鳥のようだ。おかげで子供探しが一向に進まない。
放っておくとあっという間に迷子になると考えたシスティは、ヨニスの手を握りながら門前町の人混みを掻き分けて進んでいた。
ふと、懐かしさを覚える。
(あれは、いつでしたか)
かつて自分は、牢屋のような部屋に閉じ籠ってずっと本を読んでいた。狭い世界で生きていたのだ。それがロズに手を引かれ、いつの間にか外の世界に引っ張り出され、知らないものを知った。
本当に楽しかった。本にで読んだものが現実にあったのだ。
隣ではしゃいでいるヨニスは、あの時の自分と重なって見える。この人もそうなのかもしれない。だったら、今度は自分が世界を見せる番だ。システィはそう決意し、ぎゅっと手を握った。
……しかし、ヨニスは本来の目的を忘れそうだ。
「うわっ、こんな狭い道の島にも馬小屋はあるのね! ちょっと寄りましょう!」
「……お子さんはいいのですか?」
「いいのいいの! 馬に乗りましょう!」
今度は島で唯一の馬小屋に興味を示したらしく、フラフラと吸い込まれていく。
「――おや、システィ君?」
「ん、ネグリ学部長? 何してるんです?」
馬小屋では学部長が馬を磨いていた。
私服姿のまま、塗れたタオルを水桶に放り投げる。
「何してるって、これは私の馬だからな。仕事の合間を見てこうして洗っているのだ。システィ君こそ、こんな場所で出会うとは珍しい。君は書庫から出ないと思っていた」
「私を何だと思っているんですか」
「違うのか?」
違わない。
出歩く事は滅多にない。
学部長はよく分かっている。
「精霊祭なんで、たまには外を見ようかと。そしたら困っている方がいたので、問題解決がてら観光案内しています」
「君らしいな、その利他の心は」
「いえ……それより学部長、よろしければこの方を馬に乗せて頂けませんか?」
システィは隣にいるヨニスを手のひらで指した。ヨニスは貴族の礼で一礼し、ネグリ学部長に笑顔で挨拶した。
「あぁ、構わない。さぁ、どうぞ奥方っってえええぇぇぇええ!!!?」
「ど、どうしました!?」
学部長が聞いた事も無い声を上げた。そしてまるで化け物でも見たかのように、口を開けて絶句している。相対するヨニスは笑顔のまま変わらない。
「あっ……がっ……!」
「内緒よ、分かってるわね?」
「も、もちろんです!! ささ、おう……奥方、どうぞこちらへ!!」
学部長はあわあわとしながら、鞍を固定した。
(知り合い……あぁ、元副団長でしたか)
さっきまでの態度が嘘のようだ。いつもの威厳もなく、おどおどしながらヨニスを馬に乗せていく。彼女に完全に平伏しているというか、手を触れるのも躊躇っている。
「いい馬ね! 流石よ、ネグリ」
「は、ははぁ!!」
「……ヨニスさん。学部長に3回周ってワンってやれって言ってください」
「あら、いいのかしら?」
「システィ君。君は罰を受けたいのか?」
「ぐっ……」
◆ ◆ ◆
色々と巡っていると、時間は一瞬で過ぎ去って行く。
観光と子供のどちらが大切なのか……という野暮な質問は聞かない。この島に来る貴族は、島の観光を本当に楽しみにしているのだ。
とはいえ、一向に進まないのも問題だ。
「あの坂を上ると学園です」
「あ、先にお土産を買わなきゃ!」
「……荷物になるので最後にしません?」
「今が最後なの。さぁ入りましょう!」
もはやシスティが手を引くのではなく、ヨニスが手を引いている。次に訪れたのは、怪しい人形を売る土産物屋だ。
その店先には知り合いがいた。
「――おや、先生かい?」
「キーラさん。お久しぶりです」
「まだそんなに経ってないだろうに」
軒下でキーラが木を削り、通りを歩く観光客に人形作りを見せていた。
キーラの店に並ぶ商品は観光客向けといいつつも、重く大きい物が多い。小さな個人展示場といった様相で、実際に購入する人は少ない。
だがヨニスは人形を手に取り、驚いていた。
「システィちゃん見てよこの細工! 凄く精巧な人形よ!!」
「ほう、凄いんですか?」
「凄いわよ、分からないの!?」
人形の良し悪しが分からないとは言い辛い。ヨニスは興奮した様子で人形を握っていた。あれは確か『愛』の文字が掘られた人形だ。
システィはキーラを見た。何も言わずに下を向いたまま、木を彫り続けている。褒められて嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「良かったですね、キーラさん」
「あんた、この価値が分からないんだろう。先生も悪ガキに似てきたね」
「ぐっ……!」
適当に流そうとした事がバレた。
キーラは作業する手を止め、店内に振り向いた。システィも続くように眺める。ヨニスが両手に人形を持ち、どっちにしようかと選んでいた。
「……随分と良い顔をしてるね」
「えぇ。連れまわされてもうヘトヘトですが、喜んでもらえて何よりですよ」
「いや、あんただよ先生。何か良い事でもあったかい?」
そう言われて、システィはキーラに振り向いた。
キーラはヨニスを見ているままだ。
自分が何か変わったとか、そんな意識は無い。
いつもと同じつもりだ。
だが……今日は嬉しい事がある。
「友人が、私のために劇を演じてくれるんですよ。私は幸せ者です」
「……はっはっは、それは何よりだね!」
「お婆様ー! これ頂戴!」
人形を決めたヨニスがキーラの元へとやって来る。値札に記された価格は銀貨40枚。確かにぼったくりと言われても不思議ではない。
「やっぱり高くないですか?」
「物の価値は、その人が決める。あの悪ガキの損失分も稼がせてもらうよ」
「ふふ、そうして下さい」
キーラは書き入れ時だと小さく呟き、ヨニスから代金を受け取った。
◆ ◆ ◆
学園に到着する頃には、かなりの時間が経っていた。祈りを終えた島民はとっくに散り始め、学生たちの屋台を見て回っている。
早くしなければロズの演劇に間に合わない。システィはヨニスを連れ、急ぎ足で修道院宿舎へと向かった。ヨニスの子供は一体誰なのか。学園の生徒は多く、今から虱潰しに探していては夜になってしまう。
とはいえ、システィにはおおよその目星はついていた。
お金好きの貴族というのは限定される。賭け事を牛耳っているらしいノーザンを筆頭に、その界隈から攻めて行けばいい。
そう言う訳で、システィは精霊祭実行委員会に向かっていた。
【お金が好きな女】に会うために。
実行委員会の扉をノックし、開いた。
「やぁシスティさんどう……ぶっっ!!」
ミルクリフトがにこやかに迎えたと思いきや、ヨニスの姿を見て突然
ヨニスは呆れたように溜息を吐いた。
「まったく……全員なおりなさい。今の私はいち部外者よ。正体を明かす事も特別扱いする事も、決して許さないわ」
「「はっ!!」」
状況が分からないのはシスティだけだった。だが、ミルクリフト達の反応だけでヨニスの地位は想像がつく。他国の貴族であるリリンクス家に会った事もあるという点でも、かなりの上級貴族だ。
厄介な事に巻き込まれている気がする。
だが、システィは雑念を振り払った。
「しし、システィさん。訳ありかい?」
「シシシスティって誰ですか。体が強張ってますよ、ミルクリフトさん」
「そういう君ははいつもと変わらないね。何の因果でこんな状況になったのか分からないけど、その胆力は羨ましい限りだよ……それでどうしたの?」
そう言われて、システィは【お金が好きな女】に振り向いた。
【お金が好きな女】はビクッと反応する。
「こちらの方に用がありまして」
「わ、私!? 私が何かしましたか!?」
「いえ、そうでは無く……ヨニスさん」
「残念だけど、違うわ」
ヨニスは首を横に振った。
この人物では無いらしい。
せめて性別と爵位さえ教えてくれれば特定できるかもしれない。だがシスティはそれを口に出さず、与えられた情報だけで考える。
再びミルクリフトの方を見た。
「ミルクリフトさん。例のお金大好きな変態代表は今どちらに?」
「ノーザンかい? 彼は演劇に出るからって、今頃は準備していると思うよ」
「あ、そうでした」
もう一人のお金好き、ノーザンに尋ねれば検討がつきそう。そう思っていたシスティだったが、ノーザン本人が演劇に出る事をすっかり忘れていた。
……というか、このままだと大講堂に辿り着く事は出来るのだろうか。蛇行しながら進むヨニスを講堂を考慮すると、公演に間に合わないかもしれない。
(ロズ……)
システィは深い溜息を吐いた。
ミルクリフトは、その様子を見逃さなかった。
システィの状況を察して会話を続ける。
「――でもシスティさん。そろそろ例の時間だけど見に行かな……あっ!! いえ、何でもございません!!」
わざとらしい返事だ。
だが、ヨニスは反応した。
「リリンクス家の息子。何の時間なの?」
「はっ! 演劇会であります! そちらのシスティさんのご友人が、システィさんの為にと準備をした演劇の幕がもうすぐ上がるのです!!」
ヨニスは驚いてシスティに振り向いた。
「何で黙っていたの!!?」
「いえ、そんなつもりでは……」
「早く行くわよ! まったく!!」
ヨニスは急いで部屋を出て行った。
システィはミルクリフトに頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「貸しにしておくよ、システィさん」
「ふふ、またですか?」
「まただね。僕はそういう人間さ」
この人がモテる理由が分かる気がする。
システィはもう一度ミルクリフトに深く礼をして、ヨニスの後を追いかけた。
「ねぇ、劇場はどこ!?」
「あっちですよ、行きましょう」
早くしないと、ロズの演劇が始まってしまう。
◆ ◆ ◆
「…………………遅い」
ロズは舞台袖から客席を見た。
ありがたい事に、ほぼ全ての席が埋まっている。仮設で増やした席もだ。立ち見の人もちらほらと見える。学園長の根回しが効いていた。
それなのに、最前列にある特等席が一つだけ空いている。
もうすぐ幕が上がるというのに、まさか本を開いてしまったのか。十分あり得るから困る。そう考えたロズは頭を抱えた。
「緊張してるんですか、先輩?」
「……そうだな。皆、今日まで私の我儘に付き合ってくれてありがとう。我ながら無様な監督だったが、初めてだったんだ。それは許してくれ。ノーザンも悪かったな、そんな変な格好までさせて」
「やっぱり変だったんですか!!」
ロズはノーザンの肩にポンと手を置いた。
つい変だと口から出たので、誤魔化しにかかる。
「よく聞け。今日はなんと、正規の劇団員と関係の深いスカウトマンも来ている……ほら見ろ、最後尾のあの人だ」
ロズの言葉に、会員達は客席を覗き見た。
最後尾には眉目秀麗なおじ様が一人、厳しい表情で腕を組んでいた。いかにも厳格そうな風貌だ。手に持っている紙とペンは、何を記録するつもりだろうか。
「なんとあちら、モリス侯爵です」
「ち、父上えええぇぇえ!!?」
「悪いなノーザン。さすがの私も予想外だった。まさかお前のお父上が劇団を所有しているとは」
ロズは冗談がてら、ミルクリフトにスカウトを呼んでと頼んでいた。そしたらノーザンの父親がやって来た。不肖の息子が劇を始めたと聞いて、嬉々として自国から飛んできたそうだ。
ノーザンは項垂れた。
「いいかノーザン。世の中がお金なのは間違いない。だがそんな荒んだ世界でも、お前は誰かの心を揺さぶる素質を持っている。それは『真実の風』だ。お前の持つ真実の風というものを、父上に見せつけてやれ」
「……真実の……風……?」
ロズは適当な言葉でノーザンを励ました。ノーザンもよく分かっていない。こういう時は格好良い言葉で気分が上がれば、何でもいいのだ。
「やります!」
「よし! これは私達の通過点だ。ここで伝説を作って王都で劇団を創立し、いつかは演劇で世界を平和にする――――行くぞ!!」
「「おぉー!!」」
そして、その時間がやって来た。
劇の開始を知らせる鐘が鳴る。
残響と共に、会場の光が小さくなる。舞台を照らす外光と、蝋燭の光だけが残った。薄っすらとした空間が、逆に演劇の世界感を醸し出していた。
ロズは舞台に立った。
特等席はまだ空いている。
早く来い、システィ。
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