第六章 心が入れ替わる呪い

第24話 心が入れ替わる呪い



 まさか、こんな事態になろうとは。


 推薦したのが僕とはいえ、あの優秀なモリス侯爵家の子息ノーザンがこんな風になるだなんて想像もできなかった。


 目の前にいるこの友人は、さも当然かのようにドレスを着て化粧を施している。上目遣いでくねくねと動きながら僕を見た。『馬鹿なのかい』と問うと淑女言葉で『そうなのよ』。僕の心を殺す気か。


 とはいえ、どうにか事態を収拾しないとリリンクス家の名が廃る。急がないと、責任を取らされるのは僕なのだ。



 しかもこんな時に限ってグレルドール王家がまた来るって……頼むよノーザン。

 こうなったら例の最終兵器を使うしか……うわっ、抱き着くな!!



―ミルクリフト・リリンクス―



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ロズは時々やり過ぎる。


「――これは凄いぞ。死ぬほど不味い」

「不味いんですか」

「あぁ。だが、気付け薬としては悪くないし、栄養も満点らしい。だから元気になるだろうと思って、私は善意でやったんだ」


 ロズは南国で採れる怪しい果物のジュースを、ベンチで眠っていたネグリ学部長の口に入れた。学部長は勢いよく飛び起きてそれを吐き出し、ニコニコ笑顔のロズを鬼の形相で叱った。良かれと思ってという魔法の言葉も通用しなかった。



「しかし、何で私まで……『ちゃんと面倒をみろ』っておかしくないですか」

「これ高かったんだぞ、勿体無い」

「ヴッ! ぐざいっ!!」


 システィはブンッと顔を仰け反った。何というか、魚の海水漬けと腐った牛乳を混ぜたような匂いだ。酸味があって涙が出るほど臭い。学部長が怒るのも当然だ。


 嫌がるシスティを見て、ロズは渋々それを袋に片付けた。



「はぁはぁ……それで罰則は何です?」

「また聖堂の掃除だよ。私は清掃業者か?」

「全部、自業自得じゃないですか」

「お前も巻き添えだけどな」


 納得いかないが仕方が無い。自分はタダで学園に通わせてもらっている身のため、やれと言われた作業は極力断りたくない。納得はいかないが。



 システィとロズは大聖堂へと向かう。


 幽霊船の騒動も終わり、修道院島にも涼しい風が吹き始めた。偏西風の影響で、海側の風がやや北向きになる時期だ。


 この季節になると、グレルドール・サン・メルヴェイユ修道院では精霊祭という祭事が執り行われる。祭りといっても盛大なものではなく、厳かな宗教行事だ。一年間ありがとう、これからもよろしくねと神に祈りを捧げ、供物を備えたり掃除をしたりする。



 だが、この掃除というのが大変だ。高い所から狭い所、そこを掃除する必要があるのかという所まで綺麗に汚れを落としていく。終わりは無いし、人手はいくらあっても足りない。



 修道院宿舎の通路に差し掛かると、暇を持て余していた貴族達がシスティに振り向く。未だに忌避を覚えているようだ。そろそろ見慣れたかと思いきや、その視線は日を増す毎に鋭くなっている。



「原因は先日のあれだな。『本の獣がついに新聞社を乗っ取った』」

「悪の親玉みたいになってきました」

「ま、この島は暇人の巣窟だからな。お前を話のネタにしてるだけだ」


 噂なんてすぐに広まり、すぐに飽きられる。それがこの島の日常だ。



「……にしても、学園側の精霊祭の準備は大丈夫なんでしょうかね?」

「大丈夫って、貴族は平民に指示するだけだろ。私は忙しいけどな」

「指示するのも大変かなーと」

「お前は甘いなぁ……仕事なんて全部部下の責任にするのが貴族の考え方だって」


 精霊祭は島全体の行事だ。

 そのため、学園も便乗して催しを行う。


 『神と精霊に喜んでもらう事をする』という分かりやすい名目で、社会学習も兼ねたイベントとなる。やる内容を決めるのは貴族で、実行するのは平民だ。


 ロズはそこで演劇会の出し物をする事が決まっていた。監督、脚本、主演が全てロズの、ロズによる、ロズのための演劇だ。良い時間帯の大講堂を確保できたらしく、ロズは気合を入れていた。



「今回の精霊祭は私の演劇人生の1ページ目に刻まれる。いやぁ毎日が楽しくて仕方がないな、私がタクトを振るってるんだぞ」

「ふふ、ロズ政権の独裁ですか。謀反は起きないんですか?」

「大丈夫、ちゃんと皆を楽しませてるさ」


 この演劇の全ては、学園長を買収した時から始まっていた。ロズはチャンスとばかりに、学園長を使って演劇会の先輩後輩を押さえていたのだ。最初は異議を唱えていた会員達も、学園長の説得に折れて渋々付き合っていたらしい。


 システィはやり過ぎだと思ったが、巻き込まれている人々の顔は何故か不満そうには見えなかった。ロズの持つ不思議な魅力なのかもしれない。



「――おおい、待った待った!」


 大聖堂への扉を開こうとした所で、こちらに駆けてくる足音が聞こえた。


 システィとロズは声の方に振り向いた。



「ミルクリフトさん?」

「久しぶりだな。どうしたんだ?」

「いやぁ……システィさん、奇遇だね!」


 システィは厄介事を嗅ぎ取った。

 こんな偶然は無い。



「奇遇ですね、それではまた」

「あああぁあ! ちょ、ちょっと!?」

「待てよシスティ、面白い話だぞ!」

「……はぁ」


 2対1の構図ができた。

 あっという間に断れない状況だ。


 システィは溜息を吐いてミルクリフトを見た。



「……学部長に罰として清掃を頼まれていまして。その後でもいいですか?」

「罰って、また寝坊したのかい?」

「違うぞミルクリフト、私がゲロマズジュースを学部長の口の中に混入したんだ」

「その巻き添えです」

「そ、それはお気の毒に……」


 ミルクリフトはロズを見た。自慢気に誇っているが、どこからこの自信が出てくるのか分からない。



「終わったら早めにね、急ぎなんだ」

「ちなみに、どんな内容なんです?」

「説明すると複雑なんだけど……今度の精霊祭で、貴族が色々と決め事を作ってるのは知ってるよね。その実行委員会が面倒な状況になっちゃってさ」

「ほう! 詳しく教えろよ」


 ロズが興味津々で前のめりになる。

 ミルクリフトは口に手を当て、周囲に聞かれないようにこっそりと話す。



「ノーザンが何かを吹き込まれたみたいで、宗教的なものを始めちゃってね……」

「………………」

「宗教ですか!?」

「しー! 静かに!」


 システィは驚いて目を丸くした。


 ミルクリフトが焦るのも分かる。なにせ、ここは大聖堂付きの修道院だ。神のお膝元で別の宗教を興すだなんてとんでもない。しかもノーザンは他国の貴族、どんな罰が下されるのかも想像もつかない。


 先生方の耳に入る前に手を打った方がいい。システィはそんな風に焦りを感じていたが、それとは対照的にロズの目は泳いでいた。



「システィさん。どうにか彼を――いや、彼女を止めてやってくれ!」

「分かりました。大切なご友人ですからね……ん、彼女?」


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