本の獣は、全ての謎を解き明かす

じごくのおさかな

第一章 本の獣は2度、誘拐される

第01話 本の獣は2度、誘拐される



 人生には運命の分岐点があり、そこでどの道を選ぶかによって未来が大きく変化する。そしてそれは往々にして予兆無く現れるため、心の準備をする余裕も無い。滅多に起きないイベントだ。


 だがまさかこの日、それを2度も味わう事になるとは予想外だった。ロズが誘拐してくれぇと懇願しているのも、一体何がしたいのか理解が出来ない。



 それでも、このロズと居るのが楽しいのは、争いがどうでもいいと思えるほどにハプニングが多く、自分の陰気な性格が下らないと思えるほどに爽快だからだろう。



 悪くない人生だと思う。


 だけど、ロズには秘密だ。

 調子に乗せると、笑いながら事件に突っ込んで行き、笑いながら帰って来る。


 しかも、私の手を引いて。



―システィ・ラ・エスメラルダ―



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



(今日は記念日ですね、誘拐記念日)


 システィは深い溜め息を吐き、改めて自分の置かれている状況を確認した。



 まず、怪しい輩に剣を向けられて馬車を下ろされた。そしてすぐに両手を後ろで縛られ、そのまま他の乗客と共に冷たい地面の上に尻をつけている。ロープが肌に食い込んでヒリヒリするが、文句を言える状態でもない。


 つまり、盗賊による馬車の襲撃に遭ったという訳だ。


 人質は自分を含めて5名。そして人質と馬車を取り囲むようにして盗賊達が座り、採れたての野イチゴを頬張り始めている。何かをするわけでもなく、実に奇妙な光景だ。


 盗賊達からやる気を感じないのは、この状態のまま1時間以上も停滞しているからだろう。



(いや、もっと別の要因でしょうか)


 こんな状況であっても、変わらないものは変わらない。隣に座っている騒がしい友人は、いつもと同じように喋り続けていた。



「……それにしても、誘拐された日にまた誘拐とは。金のなる木ってのは、まさに私達の事だな。いっそ盗賊と衛兵と女学生で犯罪組織を作って、皆でマッチポンプするってのはどうだ?」

「(ちょっとロズ、そろそろ静かに)」

「まぁ聞けよシスティ。これはまさに言葉通りの錬金術だ。何が素晴らしいって、全員が楽して儲かるんだよ。何なら腐敗貴族も混ぜ込んで、誘拐事件を社会の歯車に組み込もう」

「地獄みたいな社会になりますね」

「いい加減に黙ってろ女共!!」


 盗賊のリーダー格の男が剣を向けた。

 この脅しも、もう何度目かも分からない。



「まぁまぁ。私達は手を出せない。出すのは口だけだ。夕暮れ時の空虚な時間を私の雑談で埋めると思えば、無駄な気はしないだろう? 特に、私の満足感が大きい」

「それ、周りから満足感を吸い上げているんですよ」

「何なんだよてめぇらは……」


 システィは深く頷いた。

 ロズの挑発は止まる気配がない。盗賊にも人質にも、迷惑極まりない。



 そもそもこの状況に陥ったのも、元はといえばロズが原因だった。


 尿意が凄いからと森の中に入って行ったはいいが、戻って来た時には嬉しそうに野イチゴを抱えて「無限に取れるからヤバい」と言い、再び収穫に向かって行ったのだ。そうして長時間待たされている間に、無防備な乗客達が盗賊に捕まった。


 しかもロズは助けに入る訳でもなく、状況を理解せずに私も混ぜろと言い出したのだ。そして呆気なく捕縛された。そのまま野イチゴを献上した腹いせに、嫌がらせのようにこうして喋り続けている。



「でも、どう見ても退屈そうだろう。暇つぶしに私達を捕えたのか? 人間寄り道ばかりしていると、あっという間に年老いて死ぬぞ?」

「野イチゴを収穫しに寄り道していたロズが言う台詞ではないでしょう」

「人間、食べなくても死ぬんだよ」


 屁理屈を押し通すのはロズの得意技だ。


 システィは再び盗賊を見た。


 見える範囲で5人。顔はスカーフで覆われており、口元は分からない。見た感じ全員が男性で、武器を所持している。リーダー格の男1人だけが、立ったままで街道の先を見つめていた。本来馬車が向かっていた先、修道院島の方角だ。


 確かにロズの言う通り、盗賊達の行動には謎が多い。手際よく捕縛したかと思えば、馬車に積んだ荷を奪う事も無く休憩をし始めた。


 人質にも手を出さないし、一体何がしたいのかが分からない。まるで行き場を見失ったかのようだ。



(何かを待っているんでしょうか)


 システィは周囲を見渡した。


 ここは森のちょうど中央にある、街道のほぼ中間地点だ。最後の関所を出発してから半日、修道院島まではここから半日以上かかる。周辺には村は無く、野営が必要な場所に当たる。盗賊が出ない安全な街道だというのも、所詮は噂でしかなかったようだ。


 そして、今日はこの馬車が最終便だ。後続の助けは期待できない。もし盗賊に抵抗できるとするならば、たまたま他の馬車が対面から通りかかるか、乗ってきた馬車の馬が暴れる時だけ……。



「ロズ、馬と会話できません?」

「馬と喋れる人間なんている訳が無いだろ。システィ、お前疲れてんだよ」

「いえ、常識が無いロズなら出来そうだと」

「常識が無いと馬と喋れるのかよ。そもそも、常識なんて社会の押し付けた価値観でしかないんだ。非常識の塊だった牢屋の生活が恋しいよ。恋というのは、離れて初めて気付くものなんだな。何が言いたいかというと、私は野イチゴが食べたい」

「私が悪かったです、この辺で静かにしておきましょう」


 こうして騒がしく会話をしていても、盗賊のリーダー以外は何も注意してこない。もはやそのリーダーですら、口を出さなくなってきている。



「口しか動かないんだから仕方ないだろう? 私はこの恐怖に対して、雑談で気を紛らわしてるんだよ。あと面白い事を話せば、笑いの神が助けに来ると思ってな」

「笑わかしてどうするんですか。あと助けは無理ですよ、村から遠すぎます」

「あ、ほら見ろ。助けが来たぞ」

「えぇっ!?」


 システィの声に、その場にいた全員が顔を上げた。そしてロズの視線の先、盗賊のリーダーが見つめていた方角から赤い馬車がやって来た。他の人質たちも声を上げて喜んだ。


 そして、何故か盗賊達も喜んだ。



「やっとかよぉ!」

「おせぇぞ!!」


 赤い馬車はゆっくりと盗賊のリーダーの元へと近付き、停止した。そして、馬車からは盗賊と同じ服装の男が馬車から下りてきた。そのままリーダーの元へと駆け寄り、がしっと握手を交わす。



「盗賊の仲間じゃないですか……」

「どうかな、ある意味では助けだぞ。実はまだ用を足してないんだよ。野イチゴを食べすぎて暴発しそうだから、早く牢屋に連れてって欲しい」

「貴女は何してたんですか、本当に」


 ロズの会話に適当な相槌を打ちながら、システィは状況を観察する。



 盗賊達は赤い馬車の積み荷を運び出し、システィ達の乗っていた馬車の積み荷と入れ替え始めた。ようやく盗賊らしい行動だ。



「おいシスティ、聞いてるのか?」

「聞いてますよロズ、右耳から左耳へ」

「……待て、聞き流してるだろそれ」


 そして赤い馬車の男と盗賊のリーダーはコソコソと会話を始めた。スカーフを捲り、野イチゴを鷲掴みにして口に運んでいる。



(ん、あのしゃくれた顎は確か……)


 赤い馬車から降りてきた男に見覚えがあった。つい最近ブラックリストで見た、特徴的な顔だ。


 名前はミザリー・フェニクス。賞金は確か金貨50枚で、盗賊ではなく詐欺師だったはずだ。



「――いいかシスティ。お前が本の獣でちょっとだけ頭が良いからって、こうして縄で縛られてちゃ何も出来ない。こんな時は、私みたいな口の回る女が状況を変えるんだ」

「状況を変えるって、どうするんです?」

「まぁ見てろ、これは交渉術だ」


 ミザリーはこちらの雑談に反応し、システィ達の方へと振り向いた。そしてナイフを抜き近付いて来た。



 その先端は、ほんの数歩先だ。



「(……ロズ、私の後ろに)」

「(馬鹿、私より弱いだろお前)」


 だがミザリーはシスティの傍には寄らず、人質の一人である御者に近付いた。そして縄を解いて立ち上がらせる。


 御者は困惑している。だが、そのままミザリーに連れられていった。


 ロズはそのタイミングを見逃さなかった。



「おい頼む、私も解いてくれ!」

「……女。死にてぇのか?」

「いや、私はもう死んでいる。恥をかくというのは、女にとっては死活問題だ。漏れそうなんだという発言をした私は、もう死んだも同然なんだよ。これ以上私を殺すというのなら、まずは私の尿意を殺してからにしてくれ」

「言ってる事が滅茶苦茶ですよ」

「お腹まで痛くなってきて、もうヤバいんだって」


 ミザリーは顔をしかめた。そのままロズを無視して御者の肩に手を回す。そうして御者と共にその場を離れていった。


 ……あの御者も仲間だろうか。ミザリーは上機嫌に何かを耳打ちしている。



「大人は皆、理不尽だ!」

「我慢してください。膀胱は無事ですよ」

「お前に私の膀胱の何が分かる!」

「笑いの神が何とかしてくれますから」

「破裂させる気満々じゃないか……あぁ、めちゃくちゃお腹が痛い」


 うずくまり始めたロズを気の毒に思ったのか、ロズの元に盗賊の一人が近付いた。そしてロズに目隠し用の布を巻く。


 ロズは解放を期待していたのか、チッと舌打ちをした。そして同じように、人質全員が目隠しをされる。



 ……やはり、危害を加える気はないようだ。システィは完全に目を塞がれる前に、ミザリーの方をちらりと見た。


 ミザリーと御者が固い握手を交わし、ミザリーは金貨袋を手渡していた。御者は袋の重みですっかり笑顔に変わっている。



(買収――そういう事ですか)



「システィ、死ぬ時は一緒だぞ」

「死ぬならとっくに殺されています。ちゃんと無事に帰れますよ。今朝の誘拐事件と同じで、私達はただ利用されているだけです」

「おい、ちゃんと説明してくれよ。この腹痛から意識を逸らし……うおっ!?」


 ロズとシスティはそのまま体を持ち上げられ、どこか硬い床の上に乗せられた。



 この感触は……木の床。

 馬車の中だ。


 車輪がガタガタと音を立てて回り始めた。



「えー、こちら死の馬車。行き先は地獄。盗賊達の意味不明な行動により、ロズ・ニールは噴死」

「ロズ、元気そうで何よりです」

「死にそうだよ、冷や汗が出てきた」


 この、一日に2度の誘拐事件。


 発端はロズの好奇心だ。

 どうしても誘拐されたいんだと騒ぎ出した事が、全ての始まりだった。

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