匪石之心ーひせきのこころー

三太丸太

匪石之心ーひせきのこころー


『さぁ、優勝まであとストライク1つとなりました。マウンド上の高崎君、表情は変わりません。スタンドは静まり返り、固唾を飲んで見守っています。ピッチャー、振りかぶって、投げました……! ストライク! バッターアウト!! 試合終了です! 完全試合で甲子園5連覇を達成しました!!』


 最後の打者も三振に切って落とした後、高崎は天を見上げて一呼吸ついた。

 ウイニングボールをミットに挟んだまま、両手を上げたキャッチャーの吉田が喜びを爆発させて高崎に走り寄っていく。

 高崎は少し微笑んで、勢いよく走りこんでくる吉田を受け止めた。


 内野、外野の選手も、ベンチのチームメイト達もマウンドに駆け寄り、大歓声の中、涙を流して喜んでいる。

 応援席のみならず、負けたチームの選手たちも拍手で健闘を称えている。

 それもそのはず、今回の優勝はこれまでのものと比べ、様々な記録がかかっていたからだった。

 高崎はもみくちゃにされながらも仲間たちと喜びを分かち合い、微笑みを浮かべていた。


 決勝戦は完全試合だった。

 決勝の舞台まで勝ち進んできた相手は決して弱い相手ではなく、むしろ甲子園出場常連校であり、準決勝までは常に2桁安打で、その半分以上が2桁得点で勝ち進んできたチームだった。

 強力な打線を有するその高校を、高崎は奪三振25個という記録とともに完璧に抑えこんだ。

 他2つのアウトもキャッチャーとファーストへのファールフライのみで、まともに前に飛んだボールすらなかった。

 試合開始前、『これまで培ってきたものを全て出し切ります』と言っていた高崎のピッチングはまさに圧巻だった。

 また、これで前人未到の甲子園5連覇が達成され、高崎は3年間、1度も負けずに高校野球生活を終えることになった。

 その他にも、投げては高校生最速の164㎞をマークし、特に最後の春夏大会では防御率0.00で1点も取られておらず、ノーヒットノーラン3回、完全試合2回など、球速のみならず多彩な変化球と抜群のコントロールを用いて数々の偉業を成し遂げた。打つ方でも甲子園通算5割9分2厘、ホームラン16本と異次元の活躍を見せていた。


 球場に駆けつけたファンはもちろんの事、テレビで観戦している人たちも、『記録が達成されるところを見たいが、記録が途切れるところも見てみたい』と複雑な心境で応援していたが、これほどまでに記録尽くしの優勝を見せられては何も言えず、ただただ称えるのみであった。


 甲子園が終わっても世間の熱狂は冷めず、話題はすぐに次へと移った。

『高崎の今後の進路はどうなるのか』だ。

 日本のスカウトはもちろん、メジャーのスカウトも真剣に獲得を検討しており、今後の進路が注目されていた。

 当の高崎は何も語らず、『子供の頃からの夢があるので、自分の道は既に決まっています』としか答えなかった。

 その言葉に世間は再度興奮し、やはりプロ入りだ、いやメジャー行きだと連日熱い議論が交わされていた。


 しかし、高崎はプロ野球志願届を出すことはなかった。

 世間は、特にプロ野球ファンは落胆したが、次の興味としてやはりメジャーに直接行くのか、六大学か社会人野球かと、やはり今後の進路に関心を示していた。


 ここでも高崎は世間の期待通りにはいかなかった。

 メジャーにも行かず、進学もしないと明言したのだった。

 彼が選んだ道は、“就職”だった。

 しかも、社会人野球をするためではなく、通常の労働という意味での“就職”であり、その“就職先”はコンビニのアルバイトであった。


 世間は当然驚愕した。

 何故輝かしい道を捨ててアルバイトを選ぶのか?

 お金が必要だとしても、プロ入りでも社会人でもアルバイトで稼ぐ以上に貰えるはずだ。

 野球が嫌になったのか、あるいは故障を抱えているのか?

 あらゆる憶測が飛び交い、中には、『裏切者』、『勝ち逃げしやがった』、『期待だけさせやがって』、『才能がある者は夢を見せる義務がある』など、一人の高校生に向かって心無い言葉を投げつける者もいた。

 擁護する者もいたが、高崎が理由を語らないのでこれも憶測の域を出ず、『身内を人質に取られて野球を辞めろと言われた』、『あと1球でも投げると肩が壊れる』、『記録を達成しすぎて野球に飽きた』など、こちらも突拍子もないものでしかなかった。


 世間が騒ぐ中、高崎は相変わらず何も語らず、数々の説得を拒み、高校を卒業していった。

 高崎は高校卒業後、地方に移り住み、希望通りコンビニで働き始めた。

 案の定、すぐに記者やファンが店に訪れ、考え直すように説得を試みたが、高崎が首を縦に振る事はなかった。

 歴代No.1といっても過言ではない才能の持ち主の、不可思議な選択に世間は首を傾げるばかりであった。

 それでも、毎日走り込みを続け、時には草野球の助っ人などをしている様子から、野球が嫌いになったわけではなく、肘や肩に爆弾を抱えているわけでもないことから、ますます謎が深まるばかりだったが、高崎の口から理由が明かされることはなかった。



 それから二十数年経った。

 甲子園のシーズンになると偉大な記録と共に、『高崎は今何をしているのか』、『高崎がプロに入っていたらどうなっていたか』、などの話題が定期的に上るものの、世間の関心が高崎に向くことは殆どなくなった。


 そんなある日、地方の新聞の小さな記事に高崎の名前と写真が載った。

『お手柄店員! 強盗にストライク!』と見出しがついた記事だった。

 深夜2時ころに高崎が勤務するコンビニに強盗に入った。

 犯人は現金を奪い逃走したが、高崎がカラーボールを犯人に投げ当てたことからすぐに逮捕出来たという記事だった。

 その記事の中で高崎は、『子供の頃からの夢が叶いました。このためだけにトレーニングをしてきて良かったです』と語っていた。

 その表情は甲子園で優勝した時よりも晴れやかな笑顔だった。


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