菖蒲と菫
Lika
第1話 彼岸花
時折、自分の手が、足が、胴体が、頭が、顔が、全てが異質な物であると感じる時がある。
これは他人の物で、本当の私はどこか別のところで生きている。そんな感覚に襲われる事があった。
しかし体は自分の命令通りに動く。
指を曲げろ、刀を持て、立ち上がれ、目の前の敵を斬れ。
それは全て私の意思。でもこの体は何処か自分の物では無いと、私は感じる時がある。
時は戦国。
武家の長男として育った私は、強くあらねばならない。
戦で勇猛果敢に死ぬ武士でなくてはならない。私の命は私の物ではない。この佐渡国の物。
いつものように稽古替わりに薪を割っている時、幼馴染の鈴が声を掛けてきた。
彼女は可愛らしい女で、その名の通りいつも鈴を身に着けている。母の形見だと聞いた事はあるが、なんともその音色は美しい。私はその鈴の音を聞くと、心なしか嬉しくなってしまう。
「宗様、せいが出ますね」
鈴は両手に一杯の野菜を抱えていた。また鈴の農家で採れた物をお裾分けに来たのだろう。
薪を一通り割り終わっていた私は、その野菜を見ると喉の渇きと腹の空き具合に気が付いた。思わず口から涎が出てしまう程に。
「鈴、貸せ。私が運ぼう」
「あら、嫌です。私が旦那様に手渡したいんですから」
鈴は満面の笑みで、私の父に野菜を手渡ししたい、と我が家の縁側へと。
しかし生憎、父は今は不在だ。武家同士の付き合いで飲みに行っている。
「鈴、父は不在だ。どれ、私が変わりに受け取ってやろう、ほら」
「それなら仕方ありませんわね。どうぞ受け取っておくんなし」
両手一杯の野菜。トマトやキュウリ、それに大根。
持ってみるとかなり重い。これを鈴一人で持ってあるいていたのかと、感心してしまう。
「鈴、力持ちだな。私より余程」
「ふふ、そうでしょ。伊達に農家の娘やってないですから。戦が起きたら、私も戦いに出ようかしら」
「滅多な事を言うな。戦で戦うのは男の役目だ」
野菜を落とさぬよう抱え、一旦籠の中へと放り込む。武家と言っても戦が無ければ食い扶持は無い。鈴が持ってきてくれる野菜に、我が家は生かされているといっても過言ではないだろう。
「……お体の調子はどうですか? 宗様。何かあれば遠慮なく仰ってくださいね」
「別に何もないぞ。なんだ、そんなに不健康そうに見えるのか?」
私は両手を広げ、その姿を鈴へと見せつける。
何故か鈴は苦笑い。その顔が私の心へと突き刺さる。
「鈴、上がっていけ。父が戻るまで世間話でも聞かせてくれ」
「あんれ、申し訳ないです。すぐに戻らないといけない用があって。宗様、ちゃんと食べないと駄目なんですからね」
鈴は会釈をしながら、そのまま行ってしまった。
残された私は籠からトマトを一つとり、齧ってみる。みずみずしい、少し酸味のあるその味に、私の体は貪欲に求めはじめ、ぺろりと一つ食べてしまった。
※
父が戻ったのは日が落ち、妹達が就寝した後だった。
私が父を出迎えると、酔っていた父は縁側で一杯やろうと言い出した。私は宥めつつも、一杯だけですよと言いつけながら付き合う事とした。
季節は秋。縁側で父と子で並んで座り、見事な満月を眺めながら父へと酌を。
互いに酌をし終えると、父はいい飲みっぷりを私に見せつけてくる。私も父に見習い、一口で御猪口の中身を空にした。
「宗、儂はこれまでお前に無理をさせてきた。その償いをしたい」
突然父はそんな事を言いだした。無理をさせてきたとは一体なんの事だ。
「何を仰いますか。父上のおかげで私は立派に育ちました。あとは戦で戦うのみ。父上から受けた御恩、その場で存分にお見せしましょうぞ」
「……戦は無い。もはや武家など時代遅れも良いところだ。畑を耕していた方がもっと有意義だろう」
父の言葉に、私は思わず御猪口を地面へと叩きふせそうになる。
なんという弱気な。いや、弱気? 父はただ、生きる為の道を模索しているだけだ。
あぁ、無理をさせてきたというのはその事か。戦も無いのに、ひたすら強くあれと説いてきた事を言っているのだろうか。
「宗、お前は母に似てきたな。若い頃の、我が家に嫁いできたあれに似て美人になった」
「父上、それは武士に対して侮辱です。私は男だ。美人などと言われて喜びはしませんぞ」
父の苦笑いが癇に障る。
何故そんな顔をして笑うのか。
何故そんな泣きそうな顔をしているのか。
「幸村の奴に説教をされた。お前は子を何だと思っているとな」
「……父上、繰り返し申し上げますが、私は父上に感謝しかありませぬ。私は父上のおかげで……」
「宗、お前は……父の言葉に耳を貸さぬつもりか?」
今度は本当に御猪口を地面に叩き伏せてしまった。
何故か無性に腹が立つ。無礼だと分かっていても、あぁ、腹が立つ。
「父上、お先に失礼します」
「宗……!」
父へと一礼し、そのままの勢いで私は床についた。
何故だ、何故こうも腹が立つのだ。
私は一体どうしてしまったのだ。
あぁ、腹が立つ。あのトマトをもう一つ齧っておくべきだった。
※
虫の音しか聞こえない筈の真夜中。
不穏な足音が私の耳に届く。
静かに布団から身を起こし、着物を乱したまま枕元の刀へと手を伸ばした。
その瞬間、頬を撫でる風が。寝床の襖が薄く開かれた。
「何奴!」
刀を抜き、その勢いで襖を切った。手ごたえは無い。私の刀は肉を断ち切る感触を伝えてこない。
だが、はっきりと視界にその者が写る。黒装束に刀を携え、独特の構えを見せる者。
「お命頂戴……」
「貴様……何処の者だ!」
顔を見定めようと、月夜を寝床に誘い込ませるために背側の襖を開け放つ。
黒装束の男は、顔を隠してはいない。それは使い捨ての忍びの証。拷問する前に自ら命を絶つ輩。このまま身元を問いても無駄だろう。
「……?」
しかし黒装束の男は動かなかった。
繭をひそめながら、私の体を見定めるように視線を上下させている。
「貴様、名は」
自分の名は明かさぬのに、私の名は尋ねるのか。
なんという不躾。この男に何を言っても無駄だろうが。
「
枕を蹴り、目の前の忍びへと。忍びは枕を刀で屠る。その瞬間、私は踏み込み肩口を狙う。
だが忍びは不意を突いたというのに、恐るべき速度で私の刀を受け止めた。そのまま鍔迫り合いに。
「待て、待て、待て! 貴様、俺を謀るつもりか!」
忍びはそんな事を言いだした。
謀る? 私は何も嘘などついてはいない。
「一体なにを喋っている! 不埒な犬め!」
忍びは私の刀を流し、私とすれ違いになりながら大きく後退する。ちょうど私が先程開け放った襖、月光の元へ。
そこで男の顔が、はっきりと見て取れた。
鋭い目つき、まるで狼のような。
「……下らん、くそ、下らん!」
忍びはそのまま外へと。
私は追いかけるが、既にその姿は屋敷の外へと逃げおおせていた。
「宗! なんの騒ぎだ!」
その時遅れて父が駆けつけてくる。
私は寝込みを襲われたと説明。乱れた着物を直しながら。
「襲われた?! 体は! 無事か?!」
「見ての通り、傷一つありません。大した者ではありませんでした。私の剣を一度受けただけで……退散しました」
あの狼のような目の男。
腕は相当に立つだろう。だが何故引いたのかが分からない。
何か予想外な事態を目の当たりにしたかのように、しかめっ面で行ってしまった。
「宗、どこの者か問うたか?」
「問いましたが答えませんでした。しかし顔を隠していなかった。恐らく使い捨てです。拷問しても無駄でしょう。最悪、雇い主すら知らないかもしれない」
……?
何故だ、あの顔が……あの男の顔が頭から離れない。
それに胸が、体が、熱く滾っている。なんだこれは。
「……宗? どうした?」
「いえ、なんでもありません。父上、何故私が狙われたか、心当たりは……」
「……分からん」
……? 父は不意に顔を逸らす。
この父は嘘をついている。だがそれを追求など出来はしない。嘘をつくと言う事は、私は知る必要も無い事だ。
「お騒がせしました。私はこのまま警戒を続けます。どうか父上、私の傍でお休みを」
「ならん、宗よ、お前こそ休め。体を労わるのだ」
……あぁ、まただ。
また……腹が立つ。
「……父よ」
「宗、父の言葉が聞けぬか」
まるで子供を叱りつけるように……いや、まさに子供を叱りつけているのだが。
「分かりました。どうか父もお体を労わってください」
私は寝床に戻り、刀を抱えながら胡坐をかく。
こんな状況で横になれるものか。
それにしても……あの男の顔が頭から離れない。
そしてこの熱く滾った私の体は、何を示しているのだ。
※
翌日、朝まで男の事を考えたが、答えなど出る筈も無い。
着替えを終え、顔を洗いに外の井戸へ。するとそこには鈴と父の姿が。
「……父上?」
何やら二人は訝し気な表情で会話していた。
そして時折、鈴が父を叱りつけるように、険しい顔付きを。
一体どういう状況なのか。二人は何を話しているのだ?
しばらくして、父は家の中へと引っ込んでいく。
鈴はそのまま井戸の傍で子供のようにしゃがみ込んだ。
私は鈴へと近づき、どうしたのだと問う。
「鈴、何をしている? 父と何かあったのか」
「ぁ……宗様。いえ、その……実は宗様にお伝えしたい事があるのです」
何を改まって。
しかし鈴の顔は真剣そのもの。私も自然と姿勢を正してしまう。
「何だ、鈴」
「……実は、私は女なのです」
……あ?
何を言っているんだ、こ奴は。
「鈴……私を馬鹿にしているのか? そんな事は見れば分かる」
「そう、見れば分かるのです。宗様」
言いながら、鈴は井戸の水をくみ上げ桶へと。
そしてその桶に私の姿を映し出すように。
「……宗様も、女です。見ればわかります」
「何を……馬鹿な事を言うな。私は男だ」
「馬鹿……馬鹿は宗様です! 宗様は女なのです!」
……腹は立たない。
鈴は私の事を思っていってくれている。
そうか、先程の父との会話は……それか。
「鈴、私は……惨めか?」
「何を……何を仰るのですか、何故そんな事を……」
「すまない。鈴、これまで通り私を男として扱ってくれ。私が戦場へ行く、その日まで……」
鈴は泣きそうな顔で私を見つめてくる。
私も目尻が熱くなっていた。きっと目の前の鈴は私の鏡なのだろう。
鈴は私と違って可愛らしい娘だが。
私達の横を強い風が一瞬通り過ぎていく。
まるで風がこのまま進めと、私を鼓舞してくれているように。
いや、流石にそれは思い込みが過ぎる。
ただ風は吹いただけだ。それは私も同じ。私はこう育っただけだ。
「……すまない、鈴、顔を洗わせてくれ」
桶の水で顔を洗おうとしたとき、鈴はとうとう泣き出しながら駆けていってしまった。
悪い事をしただろうか。だが私にはどうする事も出来ない。
今更、どうしろと言うのだ。
※
それから私は毎晩のように父に呼ばれた。
柄が綺麗な着物などを見せられ、着てみるかなどと勧められた。
この父はいつからこんな阿呆になったのだろうか。
あぁ、腹が立つ。思わず切り捨てたくなってしまうほどに。
しかしそんな時、私はあの忍びの顔を思い出していた。
何故かあの顔を思い出すと、私の中で別の熱が込み上げてくる。
一体、何なのだ、これは。
父から逃げるように寝床へと行き、ふてくされるように月を眺めながら酒を煽った。
ここだ、ここであの男と面を合わせた。今夜も来てくれないだろうか。私を殺しに、来てくれないだろうか。もう一度、会いたい。何故か会いたくて会いたくて仕方がない。
「名は……お前の名は何と言うのだ」
月へと向かって問いてみる。
そして思わず笑いが込み上げてきた。これでは乙女ではないか。
あぁ、きっとこんな私を見れば、鈴も父も笑うに違いない。そして可愛い着物を着せられ、二人で私を女にしようとする。だが私は男だ。男として……この命を戦で使うのだ。
そのまま私は、月へと向かって御猪口を掲げる。
名を知らぬ忍びと、盃を合わせるように。
※
それから数日後。風の噂で天下人が討ち死にしたとの知らせが。
どうやら身内に裏切られたらしい。今の世で別に珍しくもない事だが。
だがその余波で、この佐渡国にもようやくお声が掛かった。
戦だ、戦が始まる。
天下人の配下だった男が、手練れを欲している。
そして佐渡国の主は、私も指名してくれた。手練れの一人として。
私は戦支度を整え、父の元へと。
父は縁側で胡坐をかき、昼間から酒を飲んでいた。
その目元は赤く腫れあがっている。
「父上」
私はそんな父の足元に鎧姿で片膝を付く。
深々と頭を下げ、今日までの感謝を。
「父上のご指導の元、この名誉を手にする事が出来ました。不肖の息子の門出、お喜び下さいますか」
父は下唇を噛みながら、拳を握り締める。
そして静かに酒の入った御猪口を置くと、赤く腫れあがった目で私を武士の目で見定めてくる。
「おおともよ。行ってこい! 宗、我が自慢の息子よ!」
「はっ! 瀬々 宗汰! この名に恥じぬ戦、どうかご照覧あれ!」
父からの激励。胸が熱くなる。
待ちに待った戦。この日のために私は生きてきた。
武士の息子として生まれた、私の……晴れ舞台。
父の息子として名に恥じぬ戦を。
私は父へと背を向け、我が家の敷地の外へ。
父の嗚咽のような泣き声が私の耳に届く。
「父上。行ってまいります」
今一度、これまでお世話になった父へと敬意を示すように深々と頭を下げる。
そのまま私は戦場へと足を向けた。
しかしその時、後ろから足音が。
「宗様!」
「……鈴。見送りはいいと言ったのに」
「どうか、どうかこれを……」
鈴は母の形見を私へと託してくる。
「これは……いいのか?」
「はい。宗様、生きて……生きて帰ってきてください」
思わず笑みが零れてしまう。
そして冗談まじりに私は鈴の頭を撫でながら
「鈴、私に逃げ回れとでも言うのか?」
「違います! 宗様は御強い方です。でも、でも……私信じてますから! 宗様が帰ってきてくれる事を……。覚えてますか? 宗様。宗様はこうおっしゃいました。あの時、宗様は……戦に行く、その日まで自分を男として扱ってくれと……」
む、確かに言ったかもしれない。
だがそれが何だと言うのだ。
「宗様、武士は約束を守るものです。違いますか?」
「……分かった分かった。そんな目で見るな」
「本当に? 約束ですからね!」
「あぁ。鈴の母に誓おう。武士は約束を違えたりはしない」
鈴の母の形見を懐へと忍ばせ、私は鈴へと背を向ける。
より一層、私の中の炎が燃え上がった。
この身を燃やし尽くす炎が。
※
「瀬々の! 馬だ! 馬を狙え!」
むせ返る程の血と煙の臭い。
私は今、戦場の真っただ中にいる。
一体幾人を屠っただろうか。私の手は真っ赤に染めあがっていた。
その赤は私の中の炎をより一層燃え上がらせる。
私はこんな時、こんな風に人を殺める事が出来たのかと、手が震える。
あぁ、これを武者震いと言うのか。
なんと上手い事を言う人間がいるものか。
「瀬々の……!」
「……! 村井!」
味方が屠られた。槍の一突きで。
私は抜かるんだ地を踏みながら、地面に落ちていた石を拾い上げ槍を持つ兵へと投げ込む。
そして怯んだ所を、鎧の隙間へと刀を差し込んだ。そのまま抜き、首を跳ねる。
「村井! 大事ない……か」
村井は既にこと切れていた。
私はそっと目を伏せ、その場へと寝かせる。
「待っていろ。あの世で酒を飲みかわそう」
何度も立ち上がる。泥と血まみれの体を鼓舞し、何度も、何度でも。
この体が動かなくなる、その時まで。
「……貴様」
その時、後ろから声が。
そこにはいつか私を殺しに来た、あの狼のような目をした男が。
その男と目を合わせた、その瞬間、私の中の炎が消え、再び燃え上がる。
分かっている。
私は女だ。男ではない。この感情が何なのか、本当は分かっていたんだ。
「また会えたな」
私はそう言いながら、無意識に構えていた。
それは向こうも同じ。
「……レン」
「……? なんだ」
「俺の名だ。瀬々 宗汰」
なんと、私の名を覚えていたのか。
そして男の名はレン。
「一つ、問いたい事がある。瀬々 宗汰」
レンは刀を構えながら、そう、私へと。
「なんだ」
私も構えを解く事なく、向き合いながら問答を受け入れる。
「……何故、貴様はここに立っている」
……思わず笑みが零れた。
あぁ、この男も……そうなのか。
こんな場所でも、この男は私を女扱いするのか。
「これまで私を育ててくれた、父の恩義に報いる為」
レンはわざとらしく大きく息を吐いた。
溜息とは違う。それは体に空気を取り入れる、そのための呼吸。
「……下らん。全く持って下らん。大人しく茶でも淹れていろ」
「あぁ、ここから生きて帰ったなら……そうする約束だ。だが、今はもっとすべきことがあるだろう、レン。あの夜、出来なかった続きをしよう」
レンが笑うのが見て取れた。
そして相変わらずの身のこなしで、地面がぬかるんでいる事を忘れてしまうような動きを見せるレン。一瞬で間合いをつめ、斬り込んでくる。
その剣圧、凄まじいの一言。
忍びをやらせておくには、勿体無い程の。
※
あれからどれだけ時間が経っただろうか。
この時間が永遠に続けばいい、そう思ってしまう。
何度も何度もレンと打ち合った。
小気味いい音を響かせながら、全力でレンと。
「瀬々 宗汰!」
「レン!」
互いの名を呼びながら、私達はこの時を延々と過ごす。
しかし永遠などこの世には無い。何にも終わりはある。
私の体は言う事を聞かなくなった。
異質な物という感覚は、いつのまにか無くなっていた。あの、レンと出会ったあの日から。
しかし私の体は、私の言う事を聞いてくれなくなった。
動け、動け、動け! もっと、もっとだ、もっとレンと、この時を……
だが私の体はそれを拒否するかのように、刀を手放してしまった。
その直後、腹に強烈な熱が。
レンの小太刀が、私の腹を刺し貫いた。
「……終わりだ」
私はレンにしがみ付くように膝を付き、そっとレンの顔を見上げた。
あぁ、この顔を見ながら事切れるのなら……悪くないかもしれない。
「瀬々 宗汰……一足先に逝ってくれ」
「…………」
私は静かに頷いた。もはや抵抗する気はない。この首を跳ねられる。それはもう避けられない。避ける気もない。
「……?」
だが一向に刀は振るわれなかった。
私はそっとレンの顔を再び見上げる。茜色の空の中、レンは泣いていた。大粒の涙を流しながら。
「……ありがとう、レン。どうか……生き延びてくれ」
何を言っているんだ、私は。
自分の事を棚にあげるとはこのことだ。自分は戦場で死ぬことを目指してこれまでやってきたというのに。
「……瀬々 宗汰……俺は、お前に……」
意外な……いや、そうでもないか。
言いたい事は分かる。
私もそうなのだから。
「レン……私も……」
その時、レンの胸から銀色の物が突き出た。
いや、背後から刀で刺し貫かれたのだ。
私の顔にかかるレンの血。
茜色の空が、真っ赤に変わる。
「あぁ……俺はどこまで……」
レンの胸の刀は差し抜かれ、背後に立っていたのは事切れた筈の村井だった。
白目を向き、口から血を吐きながら村井はそこに立っていた。
「村井……お前……」
村井は何も言わず倒れる。
死して尚、私を守ってくれたというのか。
その直後、戦の終わりを告げる太鼓の音が。
その音と共に、私の意識も落ちていく。
深い、深い闇の中へと……落ちていく。
※
あの戦から一年。
私はまんまと生き延びてしまった。あの後、私が生きている事に気が付いた村井の身内が、私を助けてくれた。腹にレンの小太刀が刺さったままの状態で。
実家へとおめおめと帰ってきた私を、父と鈴は暖かく迎えてくれた。
戦自体は勝利という形を治めたが、私は暫くの間、床に伏していた。傷が痛むわけでは無い。ただ心臓が本当に動いているのかと思う程、私の胸は静まり返っていた。
私は鈴との約束通り、それから女として生きる事に。
と言っても見かけだけだ。体には傷だらけで、とても女らしい身体つきなどしていない。それでも綺麗な着物に袖を通せばそれなりに見えた。馬子にも衣裳とはこのことだろう。
そんな私に縁談が舞い降りてきた。
どうやらあの戦で、私を見初めてくれたらしい。佐渡国の武将が。
私に断る権利も理由も無かった。
父も鈴も、あの方ならと納得していた。
嫁へと行く、その日まで、私は必至に剣の稽古……ではなく、花嫁修業をすることに。
なんとも、忙しい人生だ。
そして花嫁へと行く日。
私の懐には、あの小太刀が。
これをレンに返す時は、今しばらく後になるだろう。
どうか、その時また……
「貴方は私の中で生き続ける。共にまた打ち合いましょう」
蓮の花が、一輪、私の視界へ入った。
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