少年のゴール

豊科奈義

少年のゴール

 日本本土から遠く離れた海域にある絶海の孤島。海岸線の長さは十キロにも満たず、島の最高峰は二百メートルもない。人口僅か数百人の小さな島であり空港もなく二三日に一回、一時離島から来る連絡船で本土との連絡が保たれていた。そんな島では、若い世代は島を離れ、少子高齢化も本土とは比べないほどに進んでいる。

 そんな島の平野部に佇む侘しい校舎。村立の小中一貫校だ。かつては数百名もの生徒が在籍していたのか、校舎そのものは大きくいくつもの教室に分けられている。だが、今では見る影もない。全体的に校舎は朽ち、雨漏りや床抜けも随所に見受けられる。

 そんな校舎の一室。『一-一』という朽ちた木製の室名札には上から紙が貼られていた。『九-一』と手書きで。


 その教室にいた礼服を着た少年。教室名からして九年生。つまりは、中学三年生だ。そんな彼は、教室の中央にただ一つずつ置かれ使い古された椅子に座り、継ぎ接ぎ痕のある机に肘を置いており教卓の方を向いていた。

 そして、机同様に使い古された教卓の前に一人の女性がいた。

 女性も礼服に着替えており、少年を見るなり涙ぐみ語った。


「本日を以て、本校は廃校になります」


 語られたのは廃校の宣言だった。だが、少年は驚かない。知っていたかのように。


「来月は、もうこの学校はありません。私は本土に異動し、生徒は本土の高校に入学するのですから……」


 女性は、長くは語らなかった。一人しかいないのに、まるで全校生徒の前にたった校長のような話を簡単に話すとそのまま女性は誰もいない職員室へと戻っていった。


 少年は、グラウンドへと向かった。礼服を脱ぎ捨てジャージ姿になると、鞄から溝の入った緋色のボールを取り出す。

 そして、グラウンドの片隅。真新しい木製のバスケットボールのリングネットに向かってボールを投げた。しかし、リングには当たるもののネットには落ちずそのまま横へと落ちてしまった。


「はぁ……」


 少年はがっかりしたように溜息をつくと、そのままボールを回収し元の位置へと戻る。しかし、少年が戻る場所には男が立っていた。帽子を被り、サングラスを掛けており傍から見たら完全に不審者である。


「君は、バスケットボール選手になりたいの?」


 少年は、想定していなかった答えに戸惑った。少年は男を見たことがなかったため、来島者だと思い聞かれても道案内程度だろうと思っていたのだ。


「え、ええ。でも、無理なんです」


 少年はこの際だからと、語ることにした。

 もし、少年が誰かに話せば島中に広がってしまう。それほどまでにこの島の住民同士の繋がりは強い。

 だが、来島者なら気にする心配もない。本土に帰る頃にはすっかり忘れているだろうと思ったからだ。


「無理?」


 男は違和感を覚えた。高校生で夢を諦めるのはわかるが、まだ中学生の分際で夢を諦められるのは達観しているのか、あるいは何らかの深い事情があるのか。


「家さ、お金ないんだ。父さんも失踪しちゃったし。母さんの実家であるこの島に来た。でも、じいちゃんもばあちゃんもすぐに亡くなっちゃった」


 彼は俯きながらに語った。確かに、このような文言ならば他人に他の島民に言ってそれが母親の耳に入ったら大変なことになると男は思った。


「でも、バスケが好きなんだ。俺」


 そう言って彼は再びバスケットボールネット目掛けて投げるもボールは入らない。


「高校入ったら、バスケ部に入るのかい?」


 男は確認したかった。プロバスケ選手になるという夢は叶えられずとも、青春真っ盛りの時期で位バスケ生活を満喫するのだろうと。


「ううん。バスケ部って遠征とか大会にお金かかるから……」


 少年は、高校生で独り暮らしをするのだ。それだけでもかなりの金がかかる。独り暮らしできるだけでも、少年は恵まれている。その上母親に金をせびるというのは、少年にはできなかったのだろう。


「そっか……」


 男は嘆くように呟いた。その光景に、少年は疑問を抱き眉を顰める。


「そう言えばおじさんは、なんでこんな島に来たの? なにもないよ?」


「ちょっと確認したいものがあってね」


 男はまるで問題を出すように言ってみせた。少年は首をひねる。


「実は私、以前は東京に住んでたんだ。大きな会社に勤めてたんだけどな、リーマンショックで倒産。再就職先も決まらず。それで苛立って妻に当たってしまったんだ。自責の念に耐えられなくなってな、気がついたら家を飛び出していた」


 少年はなにも言わなかった。


「私はその時、冷静じゃなかった。だけど、落ち着いてきたときにふと我に返ったよ。自分はなんてことをしたんだってね。離婚になってもいいから誠意を見せたいと思ってね。妻の家に行ったよ。でも、もういなかった」


 男は瞳に涙を宿していた。その片手で顔全体を覆う。


「ごめんね、こんな話して。私はもう行くね」


 男はバスケットボールネットの側に転がったままのボールを手に取ると、少年へと投げた。


「君の夢はきっと叶う。叶えさせてくれるさ。絶対に」


 男の言葉は可能性を示唆する言葉ではない。断定する言葉だった。

 最後に男はそう言い残すと、そのまま学校を出る。


 一方の少年は、ボールを受け取ったまま固まっていた。男から言われた言葉にどうすればよいのかわからなかったのだ。

 熟考した後、少年は決意した。

 そして、少年はボールをバスケットボールネットに向かって投げた。


 そして、バスケットゴールネットをボールが潜り抜けた。


「ありがとう……お父さん」


 少年は、去っていく男の背中にそう呟いた。

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