駆ける迷走者
嬌乃湾子
駆ける迷走者
「
準備を急かしているお父さんの道夫の声に娘の結菜は制服姿であくびをしながら髪を後ろに束ねてやって来ると、テーブルに座りパンに手をつけた。
結菜の母はここにはいない。今は父の道夫と二人暮らしだが、そんな事は何の苦にもならず明るく暮らしていた。
玄関を出た結菜は運動着の入ったバッグを自転車のカゴに乗せると後ろから声が飛んできた。
「おはよう!」
「おはよ」
同級生の健太が自転車で通り過ぎわに声をかけ、それに掛け声で返した結菜も追うように自転車を漕いで行った。結菜と健太の二人は陸上部でインターハイ直前、練習を頑張る日々。
「気をつけて行ってくるんだよ」
二人を見送った道夫は家に戻ろうと振り返ると、いつも庭に咲いている花が目に止まった。当たり前の生活、それがふと消えるとは、その時は誰も思っていなかった。
陸上部の練習中、結菜は走り幅跳びを跳んでから調子が出なかった。
もっと頑張らないと、と心の中で思ったその時、健太が声をかけた。
「なんかペース落ちてるぞ。練習不足だろ、もっと頑張れよ」
自分のイマイチだったところを見られた挙句突っ込まれて恥ずかしくなった結菜は健太を睨んだ。
「言われなくても解ってるわよ!」
そう言って練習に戻った結菜は途中で倒れ救急車で担ぎ込まれた。
結菜の足はアキレス腱が断裂し、手術する事が決まった。
「健太くん、大変な時にわざわざ来てくれて悪いね」
健太は結菜のお見舞いに家を訪れた。リビングのソファに座ると道夫がお茶を出し、結菜は向いの窓際に松葉杖を立てかけたその側の椅子に座っていた。
「大会の日に手術が決まっているんだよ」
「そうなんですか」
話している最中でもそっぽを向いているように窓の花を見ていた結菜が突然、口を挟んだ。
「ごめんねお父さん、私がこんなのになって」
冴えない顔の結菜に道夫は言った。
「何言ってるんだ、怪我なんて治る。だから頑張るんだ」
「治った時にはインターハイも終わってるじゃない。今まで健太と同じだったのにいつの間にかこんな風になって、健太はインターハイで私のゴールは怪我。
いいよもう、健太はこれからもゴールし続けてどんどん加点していってね」
「何が悪い?」
健太は結菜が甘えている風に見えて父親がいるにも関わらずムキになった。
「何が怪我がゴールだ。頑張らないとそんなのやってみないとわからないだろ」
何の問題もない二人の言葉が無神経に感じたのか結菜は訴えるように叫んだ。
「こんなんじゃ何もできないじゃない!頑張れ頑張れって、あんた達にわからないわよ!」
泣き崩れると、道夫が背中をさすりながら宥めた。
「確かにお父さんも健太くんにも結菜の気持ちは解らないよ。でもお父さんも彼も、結菜を心配してるんだ」
道夫は続けて言った。
「今結奈は何も頑張らないのが頑張ってるんだ。だから今は何もしなくていいんだよ」
健太はインターハイの為数日遠征に行った。手術の前日、結菜は病院のベッドの中で一人いると健太にメールをした。
結菜Re:
『この前酷いこと言ってごめん』
健太Re:
『俺も結菜の気持ち読めなくて悪かった』
結菜Re:
『明日、健太出る日だね。頑張ってね』
しばらくした後、健太からメールが来た。
健太Re:
『手術の日、俺と走ろうよ』
結菜Re
『‥‥何言ってるの?意味解んないし』
健太Re:
『頭の中の空想でもいいんじゃね、インターハイ出た事にすれば』
結菜が手術を終えて体が起こせるようになった頃、インターハイは終わりを迎えていた。
「結菜よく頑張った、お疲れ様!」
スマホ越しに陸上部のメンバーが言い合いながら結菜にも話しかけた。賑やかに騒いでいる様子を眺めながら、結菜は心の中で健太に言った。
『私、眠っている間、夢の中で健太と走っていたよ』
結菜はリハビリを続け、徐々に良くなっている。
ゴールなんて無い、と思いながら迷走を繰り返し、彼女達は走り続けていた。
終
駆ける迷走者 嬌乃湾子 @mira_3300
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。駆ける迷走者の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます