魔法の子供たちに捧ぐ

世鍔 黒葉@万年遅筆

ロバート・アレン交通事故生還記念カーステレオカップ

 一面の赤茶けた大地を錆混じりの風が吹き抜けていく。かつて火星有数の工業地帯だったこの街は、数年前に大型ハリケーンに襲われて以来復興もされず一足跳びにゴーストタウンへと変身を遂げていた。ハリケーンが来る前から既に、限界集落と呼んで差し支えないほど寂れていたけれど。

 屋根や壁やらが吹き飛んだ住宅街を情燃機関車カーステレオで走り抜ける。道は瓦礫やガラスやらが散乱していて、車輪が引っかからないように迂回しなければならなかった。急にエンストしてはたまらないので、僕は流していた曲をこの街に相応しい寂しげなものに切り替える。気分が曲とシンクロして、情燃機関ステレオの出力が安定した。

 そう、情燃機関ステレオだ。この街はまさにステレオによって栄えてきたのだ。火星開拓時代、未だ安定した燃料資源を手にしていなかった人類はこの魔法のような機関を重用してきた。

 使い方は簡単だ。誰かが音楽を聞いて、その誰かの気分がノってくる。するとステレオから熱エネルギーが得られる。あとは熱を使ってタービンを回せば、手軽にエネルギーを得ることができる。

 もちろんノリ方には個人差がある。特に思春期の少年少女はその適性が高かった。多感な時期なのだから当然だ。

 だから火星開拓時代、アフリカや中南米、アジア諸国の特に貧しい地域から、ステレオの適性がある子供たちが集められたのは当然の帰結だった。開拓者たちは多感な子供がたくさん欲しかった。貧しい共同体では口減らしをしなければならなかった。利害の一致だ。彼らは魔法の子供たちと呼ばれ、火星開拓時代のもっとも重要な労働力となった。

 もちろん僕もその一人だ。この赤道直下の街に連れてこられて、鼻歌混じりにステレオ出力の重機を動かして懸命に働いた。夜になると僕らはクラブハウスに集まり、眠くなるまでどんちゃん騒ぎをした。ステレオはノればノるほど発電ができるから、この街はいつでも眩いまでのネオンの光に包まれている。眠らない、魔法の街だった。

 けれど、科学の進歩は残酷だった。携帯端末サイズの物質変換炉が開発されて以来、ステレオは時代遅れのエネルギーと成り果てた。既に地球からの物資補給を必要としなくなった火星経済は、港もない赤道直下で離着陸に都合がよいだけのこの街を完全に見限った。

 当然、僕らは職にあぶれた。音楽を聴いてノリノリになる以外の才能がない僕は、再就職も怪しい。僕らはこの赤道直下の街を離れ、ステレオが必要とされない社会をぶらぶらと彷徨っているのだった。

 そして、僕らは今日、この街に帰ってきた。いつの間にか、周囲にはちらほらとステレオが集まり出している。

 火星暦の七月二九日。標準時刻十六時に、僕らはこの街に集う。

 ロバート・アレン交通事故生還記念カーステレオカップ。かつて火星中のカーステレオ乗りが、最速の座を奪い合った由緒ある大会だ。今ではもう、数えるほどの出場者しかいないけれど。

 レース開始まで、刻一刻と時間が近づいてくる。僕が骨伝導イヤホンの位置を調整していると、誰かがステレオで近づいてきた。

「よう、ヴァン」

「君は、スティーブンか」

 随分と久しぶりな顔だった。彼も僕と同じ魔法の子供たちの一人で、同期だった。つまり音楽でノリノリになることが得意で、音楽が好きな仲間だった。僕らと違うのはステレオが廃れた後、本物の音楽家としてやっていけている、ということだ。

「お前、まだこんなことをやっているのか」

 こんなこと、とはステレオレースのことに違いないが、僕はあえてしらばっくれた。

「何のことだい?」

 案の定、スティーブンはイラついた態度を隠さずに言う。

「このレースのことだ。こんな低俗なもの、いつまで続けるつもりだ」

「続けて悪いかい?」

「ああ悪いさ。こんなものは音楽じゃない。ただの醜い自己陶酔だ。それに……」

  スティーブンは僕のカーステレオに載っているターンテーブルを指さした。

「お前のその技術は、こんなところで腐らせるべきじゃない。もっと相応しい場所で生かすべきだ」

「そんなことを言いにきたのかい?」

 僕が呆れ交じりに言うと、スティーブンは芝居がかって鼻をならした。

「ふん、やはりか。聞く耳持たず、というわけだな」

「当たり前じゃないか。人から言われて辞めるくらいなら、こんなにのめり込んだりはしない」

 この大会の出場者も年々減ってきている。ここで素直に聞くようなら、僕はとっくに去っていった者たちの仲間入りをしていただろう。

「そうだな。お前がそう答えることも分かっていた」

 スティーブンは自分のステレオに乗っている電子オルガンで1フレーズ弾いて見せた。

「だからこそ、今日はステレオで決着を付けよう。お前たちの自己陶酔だけでは、真の感動には至らない。ステレオの出力ですら劣るということを教えてやる」

 ステレオの出力は、気分がノればノるほど大きくなっていく。要は音楽にどれだけ夢中になれるか、という勝負だ。

 僕はターンテーブルの出力をスピーカーに切り替え、電子レコードをスクラッチして返した。

「そこまで言われちゃ、引き下がれないね。いいよ、ステレオで勝負だ。君が勝ったら、僕はレースを辞める」

「いや、そのように賭ける必要はないだろう」

「なんだ、賭けないなんて弱気じゃないか」

 スティーブンはさらに1フレーズ弾いて答えた。

「いいや、これはおれたちの信念の問題だ。勝ったと思えば勝ち、負けたと思えば負けだろう。だからこそ」

 スティーブンは敢えて不協和音を奏でた。

「おれがお前を完膚なきまでに敗北させてやる。言い訳の余地もないほどに、な」

 そう言い捨てて、スティーブンのステレオは離れていく。まるで言葉を放てばそれだけ言葉の意味が薄まるとでも思っているみたいに。昔からスティーブンはそういうやつだった。

 やがて、スタート地点の広場へと影が差す。ハリケーンでも生き残った頑丈で大きな時計塔が、日時計よろしく開始時刻を指し示しつつある。大昔から変わらない、儀式じみたスタートの予兆だ。

 僕らは静かに鼓動を高めていく。最初からハイテンションではいけない。錆混じりの砂の荒野は、タイヤをよく空転させてしまうのだ。

 やがて、塔の影がスタートの時刻を指し示す。かつては時計塔の豪華な鐘の音が合図だったけれど、その動力はハリケーンに吹き飛ばされて久しい。

 示し合わせたようにスタートを切り、僕らは思い思いの音楽にノっていく。BPMは鼓動と共に加速する。体幹がリズムを刻む。機関ステレオが熱を生む。そうしてスピードが生まれる。スタート地点は砂煙でいっぱいになった。

 僕は前を走っていたステレオにぴったりと張り付いた。煽り運転だ。

 既にノってしまったステレオ乗りのテンションは留まることを知らない。各々の脳内麻薬に身を任せるのみだ。そのスピードを抜かすことは難しい。

 僕が煽ったステレオには、ギタリストが乗っていた。彼は体全体でギターをかき鳴らすが、しかしギターからは一切の音が出ていない。その透明は弦は振動を吸収する特殊なファイバーでできていて、いくらつま弾いても音が出ないのだ。ご丁寧にギター本体も透明なアクリル樹脂でできている。特注のエア・ギターだ。口元には透明なハーモニカもある。ヘッドフォンから流れる曲を聴きながらエア・ギターを弾くと、まるで自分がその曲を演奏している気になってくる。そうしてステレオの出力が上がる。

 自分でギターを弾くことはない。当然だ、僕らはコードなんか覚えていないし、指で弦を抑えるなんて器用な真似はできない。

 僕はターンテーブルの出力をスピーカーに切り替える。重低音が強く響く、とあるダブステップだ。スクラッチしてギタリストのリズムと合わせる。

 まさかダブステップの電子的な重低音を、ギターの音だと間違えるギタリストはいまい。君の心臓を食い尽くしてやると重く響くリズムが、彼からギターを弾いているという実感を奪っていく。そうしてステレオの出力は下がっていく。

 僕はというと、自分の流した音楽が人に影響を及ぼしたという興奮でノリにノっていた。全てを塗りつぶしたいと重く響くメロディーと気持ちが共鳴して、ステレオの出力が飛躍する。僕のステレオはギタリストをあっという間に追い越していった。

 次に後ろを取ったのは、髪を振り乱しながらキーボードを叩く女のステレオだった。キーボードの鍵盤は赤く発光し、スピーカーからは大音量で曲が流れている。けれど、女の叩いているキーと曲は全く一致していなかった。これはキーボードに登録されているデモ曲なのだ。女は曲のリズムに合わせ、出鱈目にキーボードを叩いている。ノリノリだ、故にステレオの出力も高い。

 僕は電子レコードの曲を壮厳なオーケストラに切り替えた。シンバルがここぞとばかりに鳴らされまくるやつだ。その音にキーボードの女は驚き、手を止めてしまう。女はすぐにエア・キーボードを再開したが、しかしステレオの出力は奮わない。ステレオの出力は、どれだけ夢中になれるかで決まる。壮厳なシンバルの音は、人の目を覚まし、認識を奪うためのものだ。一度目が覚めてしまったら、夢中になるには少し時間がかかる。そうしてステレオの出力は下がる。

 そして僕は曲を聞かせてやったという興奮でノリノリになる。シンバルの音すら心地よい。僕は更に加速した。続けて三台ほどのステレオを抜かす。

 次に煽ったのは、ダンスフロアが乗った大型のステレオだった。フロア上では男女一組が曲に合わせてダンスを踊っている。二人でノリノリになればそれだけステレオの出力は高くなる。無論、それだけ息を合わせなければならないけれど。

 それにしても、二人はとても楽しそうだ。ノリノリなのだから当然だけれど、僕はなんだかムカついてきた。ターンテーブルの曲を攻撃的なヘビメタに切り替える。しかし、男女は聞く耳を持たない。

 僕はイラついたので、ステレオで体当たりをする。衝撃で、誤って男が女の足を踏んでしまう。途端に男女は喧嘩をしだした。ステレオの出力も下がる。そして僕の気分は攻撃的なヘビメタとシンクロし、さらに加速する。

 僕はトップスピードに達した。数少ないステレオ乗りたちをごぼう抜きにする。その先、先頭にいたのはやはりスティーブンだった。

 スティーブンはステレオに直結した電子オルガンを弾く。ノリノリになるというよりも、彼は今音楽そのものだ。自分で弾いて自分でノるのだから、エネルギー効率は100パーセントに近い。圧倒的な出力だった。トップスピードを維持しなければ、いまにも引き離されそうだ。

 ならば、まずはスティーブンのステレオの出力を下げなければならない。僕は流していたヘビメタの音量を最大にする。厳粛なピアノソナタとはさぞ会うまい。普通はテンションが下がって出力も下がる筈だ。

 しかし、スティーブンは全く減速しなかった。彼はヘッドフォンもイヤフォンも付けていないにもかかわらず。大音量のヘビメタを全く気にしていないのだ。完璧なスルーだった。

 僕は曲を切り替えた。さらに攻撃的で、下品な曲だ。労働なんてクソ喰らえと情け容赦のないシャウトが僕のテンションを上げ、なんとかスティーブンに追いついた。優雅なオルガンと、激しく頭を振るロックンロールが並走する。

 しかし、それでも、スティーブンは速度を落とさなかった。激しいパフォーマンスは当然目を引くはずなのに、彼は一瞥もくれない。何度も頭を振ってアピールしたが、スルーを決め込まれた。

 こうまで反応がないと、張り合いが無くなってくる。彼は、高いレベルの音楽を自分で演奏できるのだ。下品に声を張り上げ、頭を振る必要なんてない。スティーブンの音楽は完全だった。譜面を弾き、譜面と一体になる。完成された世界なのだ。そこに何かが入り込む余地はない。

 僕は、自分のしていることが急に恥ずかしくなってきた。どうして、曲を楽しむのに頭を振らなければならないのだろう。下品に声を張り上げなければならないのだろう。

 僕のテンションが下がっていく。比例してステレオの出力も下がる。スティーブンは容易く僕のステレオを引き離していった。それどころか、僕は満足に加速も出来やしない。これまで追い抜かしていったステレオ乗りたちが、逆に僕をぶっちぎっていく。

 スティーブンの言った通りだった。ステレオなんていうのは、ただの自己陶酔でしかない。曲を聞いて、ノリノリになって。ただそれだけだ。出力も化石燃料程度にしかならない。人を感動させるわけでも、役に立つわけでもない。そんなものにどんな価値があるのだろう。

 スティーブンの演奏。あれこそが価値だった。そこでは、新たな価値が次々に湧き出てくる。僕らは、その価値を消費するだけしかできない。当然だ、僕らはコードなんてわからないし、楽譜なんて読めないし、ピアノを両手で弾けないし、歌詞だって思いつけない。

 僕は次々に追い抜いていくステレオ乗りたちを、醒めた目で見送った。加速する彼らのステレオと、加速しない僕のステレオが、まるで別世界のもののように思えた。

 やがて、ダンスフロアを載せたらステレオが僕と並走した。男女二人で踊っていたステレオ乗りだ。ようやく喧嘩が終わったらしい。そして怒りの矛先を正しく僕に向けようと口を開き、しかし驚いたようにつぐんだ。

 ダンスフロアの男女はしばし顔を見合わせ、一言こう言った。

「踊ろうぜ」

「放っておいてくれ」

 もちろんそんな気分になれない僕は断ったが、彼らは気にも留めずアンカーを射出して二つのステレオを繋いだ。男が乗り込んできて、僕を無理やり担いで拉致しようとする。僕は抵抗したが、レコードを回すだけの筋力しかない僕が勝てるはずもない。ダンスは体力を使う行為なのだ。

 そうして僕は強制的にダンスフロアに乗せられた。女がスピーカーからダンスミュージックを流し始める。男女は踊り始める。

 僕は不意にデジャヴに囚われた。僕はこのダンスを知っている。この赤道直下の眠らない街で、何度も夜を明かした曲だ。タイトルは何と言ったか。余りにも有名なのに、作曲者を誰も知らない。例の曲、これがそれだった。

 僕の意思に反して、手足が動き始める。条件反射、反復学習、パブロフの犬とは僕のことだ。この曲には魔力があった。一度その魔法にかかったら、決して逃れることは出来ない。

 僕は男女を恨めしく睨んだが、二人ともどこ吹く風だ。それどころか僕の脇を固めてきた。この曲は多人数で腕を組んでいても踊れるのが特徴だ。僕らは三人一緒に踊り始める。輪になって踊る。この曲は、そのための存在なのだ。

 しかし、僕の心はノらない。こんなことをして、一体何になるんだ? スティーブンみたいに、この行為が価値を生み出すことはない。繰り返されるその問いかけが、僕の足をもつれさせ、ついには踊りを止めてしまう。

 ダンスフロアの男女は顔を見合わせる。二人とも揃って困った表情で固まった。沈黙は長くは続かず、男が肩に手を置いてきた。

「そんな寂しそうな顔すんなよ」

 僕はびっくりして顔を上げた。それが、僕の足を止めてしまった問いへの、明確な答えだったからだ。とても単純なことだ。なぜ僕らはカーステレオのレースに、そして音楽に下品なほど夢中になれたのか。

 寂しくて、心細かったからだ。故郷から遠く離れたこの火星の地に連れてこられて、僕は途方に暮れた。仕事の場所と時間とステレオの使い方は伝えられていたが、泊まるところも、食事も用意されていなかった。

 行き場がなく夜の街を彷徨っていた僕を、クラブの客引きの男が捕まえて無理やりダンスフロアに連れて行った。そこで、僕はその曲を知った。ダンスフロアの客たちと一緒に踊り、夕食を奢ってもらい、同じ現場だったことに気づいて意気投合した。僕らは朝までどんちゃん騒ぎをした。彼らが新入りの為に仕方なく付き合っているわけではないことは、店のネオンの明るさが証明してくれた。店のメイン電力はステレオだからだ。この眠らない街では、誰もが楽しむことに嘘をつけない。

 そうだ。ならば、これは全然無意味なんかじゃない。確かに、そこに新しい価値なんて生まれないかもしれない、価値を消費するだけかもしれない。けれど、僕らは下手くそに歌って、踊って、頭を振って、そして仲良くなっていったのだ。あのスティーブンすらも。

 それこそが、遥か昔から変わらない、音楽の使われ方じゃないか。歌って踊っていれば、少なくとも寂しくはない。そして誰かと一緒に踊れば、もう友達なのだ。

 僕は再び踊り出した。ダンスフロアの男女も踊り出した。ダンスフロアのステレオが出力を上げ、僕らはあっという間にトップスピードに乗った。

 ダンスフロアの男が、追いついたステレオたちに次々とアンカーを射出する。そしてステレオ乗りを拉致してくる。ステレオ乗りたちは僕らと一緒に踊り始める。

 まるで第二種永久機関だ。僕らは次々にステレオ乗りをたちを吸収し、ダンスフロアの出力はどんどん上がっていく。

 あっという間にエアギターの男のステレオまで追いつく。アンカーでステレオを繋げられた男は驚いたが、ダンスフロアの様子を見て、すぐに曲に合わせてエアギターを弾き始めた。ベースを意識したエアギター弾きだった。ハーモニカを吹く余裕はないみたいだった。

 すぐ近くにいたキーボードの女も同じだった。ダンスに合わせて、曲に合わせて、キーボードを叩き始める。髪を振り乱しながら。

 右にエアギターの男、左にエア・キーボードの女。そしてダンスフロアには一ダースくらいのステレオ乗りたち。フロアはもうアツアツだ。トップを独走していたスティーブンに追いつくのは、すぐだった。

 ついにスティーブンのステレオと並走した僕たちは、曲の振り付けに合わせて一斉にスティーブンへと体を向ける。渾身のドヤ顔だ。スティーブンは驚きとイラつきが半々の表情を見せたが、僕らのステレオに抜かされそうだと分かるとすぐに演奏に集中し始める。

 力強い鍵盤叩きが、スティーブンのステレオの出力を上げていく。まるで第一種永久機関だ。その指からは無限のエネルギーが生成される。自分で演奏して自分でノる。究極の自家発電だ。

 僕らだって負けてはいない。スティーブンを本気にさせたことで、僕らは大盛り上がりだった。肩を組んで、より大げさに、より夢中になって踊り続ける。

 友達になろう、だって踊れば友達だから。僕は隣で踊っている長身の男の名前を知らない。だが一緒に踊るのは初めてではなかった。赤道直下のこの街で、共に夜を踊り明かした仲間だ。顔を忘れるはずもない。

 僕らは少しづつ、スティーブンのステレオを追い抜いていく。彼も必死に追い縋るが、その差は縮まらない。スティーブンの驚愕の視線を背に浴びて、僕らはどんどん加速していく。

 ゴールラインをくぐったのは、スティーブンをすっかり引き離してからだった。僕らはすっかり祝賀会ムードだ。肩を抱き合い、歓声を上げ、ハイタッチの応酬をする。

 次いでゴールインしてステレオを降りたスティーブンに、僕は近づいてハグをした。あの曲が終わった後の条件反射だ。スティーブンも一瞬受け入れたが、すぐに僕を突き飛ばした。

 僕以外のステレオ乗りたちもスティーブンの到着に気がついた。僕とスティーブンを中心に人だかりができる。スティーブンは彼らを見回して軽くため息をついた。

「おれの負けだ」

 スティーブンが悔しそうに言うと、一際大きな歓声が上がる。

「それにしてもお前たち、息ピッタリだったな。ステレオがお前たちを一つにしたのか。不恰好だが、不思議と音楽性を感じたよ。この場所で枯らすには惜しいほどに」

 スティーブンは品定めするように、もう一度ステレオ乗りたちを見回した。

「どうだ? お前たち、都市のほうでパフォーマーをやる気はないか? 俺なら事務所も紹介できる。売れるかは分からんが、やってみる価値はあるだろう」

スティーブンの提案に、ステレオ乗りたちはどよめく。困惑と喜びが半々の反応だ。

 僕は想像した。ステージの上で踊る一ダースくらいのステレオ乗りたち。エアギターの男と、エアキーボードの女。今回はいなかったが、エアドラムの男も呼ぼう。僕らは一糸乱れぬダンスパフォーマンスを披露する。照明や舞台装置の出力はもちろんステレオだ。僕らの気持ちを反映して下品なくらい明るいネオンが、会場を盛り上げる。観客もステレオに繋げば、きっと会場全体が一糸乱れぬストロボ信号になるに違いない。

 それは、とても素敵なパフォーマンスになるに違いなかった。

「なら、センターは俺たち二人だよな? ダンスフロアの主として」

 僕を拉致して踊りに誘ったダンスフロアの男が名乗りを上げる。

「いいや、ステレオの出力は俺が一番高かったね。それにセンターはギターボーカルに決まったんだろ」

 否を唱えたのはエアギターの男だ。間髪入れず、エアキーボードの女が割り込む。

「ステレオの出力はなら私が1番よ! だから私がセンターだわ!」

「おいおい、キーボードがセンターなんて聞いたことがないぜ」

「いいや、俺のダンスが1番上手かった。俺がセンターだ」

「この野郎、誰のおかげであいつに勝てたと思ったんだ」

「お前一人の力じゃないだろ!」

 あっという間に、ステレオ乗りたちは取っ組み合いの喧嘩を始めた。僕とスティーブンは呆気に取られて眺める。

 やがて疲れたエアギターの男がきびすを返した。

「俺がセンターじゃないなら、この話はナシだ! もう勝手にしゃがれ!」

「誰がお前らとなんかとやるか! 俺も抜けるぜ」

「アホくせえ、辞めだ辞めだ!」

 エアギターの男にならって、ステレオ乗りたちは思い思いの捨て台詞を吐いて自分のステレオへと帰っていく。現地解散だ。

 ゴールに残ったのは僕とスティーブンだけだった。呆然とするスティーブンに、僕は苦笑を向ける。

「ごめん、このグループは、一年間の活動休止みたいだ。事務所に紹介はさせてもらえそうにない」

 スティーブンは失笑を漏らした。

「来年も会えるか?」

「もちろん。今度は一緒に踊ろう」

「遠慮させてもらう。今度はおれが勝つからな」

 スティーブンはにべもなく断り、自分のステレオへと歩き出す。僕もコース中に置いてきた自分のステレオへと向かう。しばしのお別れだ。走り去っていくスティーブンのステレオに僕は手を振った。

 僕らは再び集うだろう。かつての眠らない、魔法の街で。

「一年後に、またこの場所で!」




 

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