第3話 新たな依頼

その日の午後、上井は東京の東中野にある日沖探偵事務所に出社した。


上井が事務所の中に入ると、冨田と早希の他、社長の日沖政仁(ひおき まさとし)とIT担当の中里理栄(なかさと りえ)が机に座って事務作業をしていた。


「おはようございます」


上井がほどほどのテンションであいさつすると、メンバーもそれぞれ言葉を返してきた。


上井はまっすぐコーヒーサーバーに向かい、カップにコーヒーを注いだ。


「裕一郎、昨日はご苦労だったな」


日沖が上井に話しかけてきた。日沖は上井のおじにあたり、高校卒業後、上井の面倒をかれこれ20年以上見てくれている。


「ええ、まあ」


「怪我はないのか?」


「はい。大丈夫です」


そう言って、上井はコーヒーを一口、口に含んだ。


「そうか。なら、いい。じゃあ、今日中に報告書を書いて提出してくれ」


「了解」


上井はコーヒーを持って、自分の席に着いた。


「上井さん、きのう撮った映像ですが、きれいに撮れていましたよ。これなら問題なく裁判に使えます」


斜め向かいに座っている理栄が上井に話しかけてきた。


「昨日の努力が無駄にならなくてよかったよ」


「あと……二人が連行されるところも」


「そこも撮っていたのか?」


上井は向かいにいる早希に視線を向けた。


「二人の無実を証明できる大事な映像ですから」


早希は口元をいやらしく歪めながら言った。


「上井さん。僕は、昨日包丁は胸に刺さりませんでしたが、心には何か鋭利なものが深く突き刺さった感じがします」


少し疲れた表情を浮かべながら、隣にいる冨田が口を開いた。


「大丈夫。青春の心の傷と一緒で、時が解決する」


冨田にそう言葉を返すと、上井は引き出しを開けて、中から報告書を取り出し、そして昨日の出来事を報告書に書き始めた。


報告書を書き始め20分くらいたった頃、玄関のチャイムが鳴った。


「あっ。たぶん、宇留嶋弁護士ですね。俺、行ってきます」


冨田が立ち上がり、玄関に向かって行った。そしてすぐにこちらに戻り、口を開いた。


「社長、宇留嶋先生が来ました。どうしますか?」


「応接室に通して」


「分かりました」


「裕一郎、お前も同席しろ」


「ええ。喜んで」


上井は作業をいったん中断し、イスから立ち上がった。


そして日沖とともに隣の応接室に向かうと、そこには朝出会った時とは違うスーツを着た宇留嶋が立っていた。


「おはようございます。日沖さん。上井さんは数時間ぶりですね」


「ええ。先程はどうも」


少し嫌味な感じを出しながら、上井は宇留嶋に返事をした。


「どうぞ。宇留嶋先生。かけてください」


二人のやりとりはいつものことなので、日沖はにこやかな表情を作りながら宇留嶋にソファーへ座るよう促した。


「失礼します」


三人はそれぞれソファーに腰を下ろした。


「失礼します」


早希がカップに入ったコーヒーを、お盆に乗せて運んできた。


「ありがとうございます」


宇留嶋がお礼を言った。早希はコーヒーを三人の前にそれぞれ置くと、すぐに下がっていった。


宇留嶋は早希が応接室から出て行ったのを見て、それから口を開いた。


「今朝、クライアントの下脇さんと会って来ました。今回のことを大変反省しておりましたので、無茶なことはもうしないと思います」


「そうですか。それはよかった。ちなみに、彼女はどこで旦那の居場所を突き止めたのですか?」


日沖が宇留嶋に質問した。


「実は、夫のスマートフォンにこっそり会話も盗聴できる追跡用アプリをインストールしていたらしく。それを使って、現場に行ったそうです」


「そうだったんですか」


「昨日の映像は、裁判の証拠に使えそうですか?」


「はい、問題ないです。今、編集しています。明日までには報告書と一緒に提出できると思います」


「よかった。これで離婚裁判を有利に勧めることができます」


「では、この件は終了ということでよろしいですか?」


「はい。ご協力ありがとうございました」


宇留嶋は丁寧に頭を下げた。


「宇留嶋先生。今朝言っていた穏やかなクライアントの仕事とは、どのようなものですか?」


二人の話が終わったのを見て、上井は宇留嶋に質問した。


「ああ。その件ですが、日沖社長。実は今日ここを訪れた理由は、もう一つございまして。新規に依頼したいことがあるんです」


「それはどのようなものですか?」


「素行調査なのですが、夫が最近、元気がないので調べて欲しいというものでして」


「ほう。その夫とは、どなたですか?」


「柵木ビル管理会社の社長で、依頼人はその奥様です。私はそこの顧問弁護士をしております」


「なるほど。それなら身元に問題はないですね」


「はい。奥様は穏やかな性格で、金払いもいい方です。なので、ぜひ日沖社長にこの仕事を引き受けていただきたいと思いまして」


「分かりました。その仕事、喜んでお受けいたします」


「ありがとうございます」


「つきましては、宇留嶋先生の方から夫人にこちらの事務所に電話するよう伝えていただけませんか?」


「もちろんです。すぐに彼女に伝えます」


「よろしくお願い致します」


「では、私はこれで失礼致します。何かあったら、すぐに連絡をください」


そう言って、宇留嶋はソファーから立ち上がった。それを見て、日沖と上井も一緒に立ち上がった。


「では、失礼致します」


宇留嶋は軽く頭を下げ、事務所を出て行った。


「さあ、裕一郎、仕事だぞ。すぐに報告書を仕上げて、柵木ビルについて調べてくれ」


「了解」


上井は再び自分の席に戻り、報告書を書き始めた。

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