遠泳大会にサメの群れが出没したのですが
武州人也
筋肉VSサメ
「うわぁ!」
突然の叫び声は、先頭集団から上がった。一人の男性が、水面でばしゃばしゃともがいている。やがて、男性の体は海中に没していき、そこから赤い液体が広がっていた。
この時、先頭集団にいた中山は、男を引きずり込んだものの正体を間近で見たのであった。
***
石垣島社会人遠泳大会に中山・シルベストウェイン・シャワルツテイサムが参加したことは全国区のニュースとなり、同大会は世間の注目を浴びた。
「筋肉俳優」と呼ばれる中山は元々水泳選手であったという経歴を持つ。遠大会への参加を記者に尋ねられた中山は、「昔取った杵柄を試したくなりましてね」と笑顔で答えた。
身長一九五センチメートルの巨体と卵のようにツルツルのスキンヘッドは、居並んだ遠泳選手たちの中でもひときわ目を引くものであった。「強さ」「力」という無形の概念をそのまま体現しているかのような肉体が、南国の陽の下で眩しく照り輝いている。
むんむん蒸し暑い中、遠泳大会は始まった。中山は先頭集団に付け、順調にレースを運んでいた。
中山の泳ぎは確かに順調ではあったものの、決して圧倒的ではなかった。彼よりも若い実力者たちが、中山に勝るとも劣らない泳ぎを魅せていたのだ。
それでも、中山は焦らない。意地になってペースを乱すと、終盤にツケが回ってくるであろう、だから、今は自分のレースをするべきなのだ……そうした思慮が、この筋肉男の中にはある。
そして、悲劇はレースの終盤、もう少しでゴールという所で起こったのであった。
***
中山が水中で見た者は、脚を食われ、頭をかじられた男と、一匹の大きなサメであった。目測だが、恐らく三メートル半以上はあるであろう立派なサメである。
――ヨシキリザメ!
魚類に詳しい中山は、瞬時にそのサメの正体を見抜いた。
ヨシキリザメ。メジロザメ科ヨシキリザメ属のサメで、その青く美しい体から、英語名ではブルーシャーク(blue shark)と呼ばれる。ホホジロザメやイタチザメほどではないにせよ大きくなり、美しい容姿とは裏腹に気性も荒く、人を襲う危険のあるサメだ。
間近で見るヨシキリザメは、うっとりしてしまうほどに美しかった。海の中ではなく水族館であったのなら、きっと見惚れていたであろう。しかし、今はそのように呑気な感動をしていられる状況ではない。このヨシキリザメは、間違いなく人を一人殺したのだ。
ヨシキリザメは、一匹ではなかった。よく見ると、他にも数匹のヨシキリザメが、中山を含む先頭集団の選手たちの周囲をぐるぐると泳ぎ回っている。
――囲まれた!
中山は焦った。自分たちは今、ヨシキリザメたちに餌として認識されている……
一部のサメは、血の匂いを嗅いだりすると、集団が狂ったように餌を捕食するといった状態になることがある。こうした摂食行動は「
加えて、ヨシキリザメは餌とみなした相手の周囲を円を描くようにぐるぐると泳ぐという習性が知られている。これらのことを考えると、目の前のヨシキリザメたちの様子は非常に危険だ。
「動くな! 脚をばたつかせると寄ってくるぞ!」
水面から顔を上げた中山は、他の選手たちに向けて叫んだ。下手に手足を動かすと、サメの狩猟本能を刺激しかねない。サメはもがき苦しむ生き物や逃げ出す生き物に向かっていくからだ。
サメはまるで映画「ジョーズ」のように水面からヒレを立てながら、相変わらずぐるぐると泳ぎ回っていた。彼らの描く円は、徐々に狭まっている。襲い掛かってくるのは時間の問題であると思われた。
その時、中山の耳がモーターの音を捉えた。音のする方を見ると、白いモーターボートが、白波を立てながら近づいてきているのが見えた。きっと異変に気づいて助けに来てくれたのだろう。
しかし、安堵することはできなかった。サメの内の一匹が、中山に向かって急接近していた。
咄嗟に中山は水中に潜り、サメと対峙した。細長いサメの鼻先が、そのまま真っすぐ、高速で近づいてくる。たとえ噛みつかれなかったとしても、巨体に体当たりされればそれだけで大怪我を負わされる危険がある。
中山は突っ込んでくるヨシキリザメの鼻に、そのまま拳を繰り出した。
繰り出した拳は、まさしくクリーンヒットであった。中山は拳に響く反動に怯むことなく、のけ反るヨシキリザメを相手に追撃を加えた。両顎を掴み、腕力に任せて大きく開いたのだ。強引に開かれたサメの口の端は裂け、海中に血が撒き散らされる。
顎を引き裂いたサメを、中山は放り出した。他のヨシキリザメは、傷ついた同胞の流す血に反応してそこに集まった。
――今だ!
中山は他の選手に対して、自分の後についてくるよう合図を送った。中山は近づいてくる白いボートに手を振り、自分たちの場所を知らしめた。
こうして、中山を含む選手四名が、大会運営側のモーターボートによって助け出された。
一方、傷ついたヨシキリザメはどうなったか。だれも見る者はなかったが、中山たちがボートに救助されている間、海中では自然界の厳しさを象徴するのような惨事が起こっていた。
傷ついたヨシキリザメは、他のヨシキリザメに寄ってたかられ、その体を食われていた。彼らにとって傷つき血を流す動物は、たとえ同種であっても獲物でしかない。この傷ついたヨシキリザメは、全長四メートルという巨体を、無残にも食われ続けていた。
***
結局、遠泳大会は中断となり、ゴールできた者は一人としてなかった。運営側に対して責任を問う声もあったが、サメの接近は地元の漁業組合も確認しておらず、そういった意味では避けようがない事故であったことから、運営に対する直接的な非難の声は次第に小さくなっていった。
この後、中山はサメとの対決が大きな話になってしまい、記者の大群が自宅付近にたむろするようになってしまうのだが、それはまた別のお話……
遠泳大会にサメの群れが出没したのですが 武州人也 @hagachi-hm
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